「個人情報を取らない」という哲学。原点は「日本人は我慢している」

2018/6/22
家計簿アプリ「Moneytree」は、2013年にiOS版をリリースすると、瞬く間にユーザーを増やし、アップルが選ぶ優秀なアプリ「Best of 2013」を受賞した。そして2014年も受賞し、異例の2年連続受賞に輝いた。

成功の秘訣は徹底したユーザー目線。ビジネス度外視、マネタイズプランなしで起業し、徹底的にUX(顧客体験)にこだわってUIを磨き上げ、個人情報を一切取らずに無料で提供する姿勢を貫いてきた。とにかくユーザーを増やし満足させることに力を尽くしてきた。

ユーザーがいてくれればビジネスは後からついてくるという“楽観”と“無謀”。その破天荒とも言える戦略を指揮するのが、創業者のポール・チャップマン。オーストラリア人ながら日本を愛し、日本での起業を選んだ男だ。ルーツは何か。チャップマンは語る。「日本人は我慢をしている」
マネタイズよりもビジョンを優先して起業
──「GDPR」の影響で風向きは変わってきていますが、個人情報を取得して属性やログに合わせて広告を表示するビジネスモデルがネットサービスでは主流です。そんな中、マネーツリーは無料で個人情報取得なし。かなり異色です。
当面は無料にしてユーザーを引きつけて、あるタイミングで有料に移行するフリーミアムなのか、あるいは個人を特定しない形でデータを販売するような仕組みを持っているのでしょうか。
チャップマン:どれも違います。私たちは、BtoBビジネスの「MT LINK」という金融インフラプラットフォームがマネタイズの本業で、利用している提携企業からの使用料で成り立っています。
提供しているのは銀行口座、お金にまつわる取引明細をすべて1つの場所に集めるサービス。MoneytreeアプリはMT LINKの上に乗っているインターフェースの1つです。
銀行を始めとしたファイナンシャルサービス企業は、Fintech抜きに生き残れなくなっています。セキュアなクラウド環境を構築し、法律などをクリアした上で、利便性の高いサービスを提供したいと考えます。
しかし、ゼロからでは時間もコストもかかりすぎるし、ノウハウも乏しい。だから、簡単に使えるMT LINKを利用しませんか、という提案なんです。当然、ユーザーの承認を得た上で他の提携データを取り込むこともできます。
──個人情報を取って、それに合わせて広告を出すようなビジネスのほうが楽だとは感じなかったのですか。
もし広告収入モデルだったらどうだろうとは考えました。でも、即座にそれはしないと決めました。広告モデルはユーザーに優しくないんです。誰だって、個人情報が勝手に渡ることは嫌なもの。短期的にビジネスになってもユーザーが遠のくのはわかりきっていました。
──それで、今のモデルを見いだして起業した。
実は、マネタイズモデルは定まらないまま起業しました。走っている中でなんとか見いだせるのでは、と信じて(苦笑)。
銀行などのシステムは大規模で堅牢なため、最短3カ月や1年程度しか履歴を見ることができない場合が多い。そこで考えた“一生通帳”というコンセプトを起点としてビジネスを展開したのです。このサービスには圧倒的なニーズがあるとわかっていたので、まず始めようと。
私たちの意思決定の軸は、長期的にユーザーにいいと思ってもらえる課金モデル、かつ長期的なプロフィットが出るかということ。アプリがすべてだという意見もありましたし、議論したり実験したりを繰り返しました。
“家計簿アプリ”を作りたいわけではない
──一生通帳のコンセプトは明確だったけれど、その実現方法は模索を続けていたわけですね。
どんなスタートアップでも、模索するものです。
レストランのように、目の前のサービスや飲食に対してお金をもらうという、わかりやすいビジネスはスタートアップのすることではないと考えていますから。
模索した結果、戦場はデータプラットフォームだと確信しました。仮説検証ベースで進める会社なので、これだというものを決めるプロセスは取らなかったのですが、結果としてボーングローバル企業として世界No.1になるには、需要と供給をつなぐデータプラットフォームにフルコミットするべきだと。
──「個人資産管理サービス」と言っていますね。
大きな表現だと、そういうことになります。金融インフラプラットフォームのほか、ゲートウェイサービスや、モバイルバックエンドサービスという表現もできるかもしれません。
だから、家計簿アプリの会社ではありません。個人ユーザーから見た印象や、アプリ紹介では間違っていませんが、企業紹介で「家計簿アプリのMoneytree」って書かれると残念な気持ちになりますね。
──プラットフォームはユーザーや提携先企業がある程度集まってから、一気に加速していくものではないですか。立ち上がり期間は、資金面で大変だったのではないかと想像します。
まずは、アプリとプラットフォームの開発、そしてユーザー獲得に注力しました。最初の2年間はレベニューがゼロ。小さなチームで運営して、100万人以上のアプリユーザーがいたにもかかわらず、ですよ。
シリコンバレーならそれでも資金調達できるでしょうけど、日本では難しかったんです。これは自慢できることではなくて、今となっては反省しています。その点は、資金調達の経験が豊富な役員に担当してもらいました。
──そしてアプリが高い評価を受けて、提携企業も順調に増えました。この成長スピードは、予想通りでしたか。
初期の頃は、指標となるものがなかったので、よくわかりませんでした。ただ、私たちの姿を客観的に見て投資判断されたので、成長していた証拠だと理解しています。
今、日本では約40社が利用してNo.1に。これは想像以上です。ただ、なかなか満足できない性格なので、もっと、もっと、増やしたいですね。
日本人はネットを我慢して使っている
──個人情報の扱いを非常に気にされていて、プライバシーポリシーにもこだわりがあるそうですが。
20年ほど前からインターネットに触れてきたので、長く使ってきたほうだと思います。これまでの経験で、もし個人の情報を銀行やクレジットカード会社などに悪用されたら嫌だな、と感じてきたのが原点です。ただ、だからといって利便性がないのも困ります。
国や地域に、それぞれの風習があることは理解していますが、プライバシーについての考え方も違うものです。
私はオーストラリア出身なのですが、オーストラリア人はスパムメールが大嫌いなんですよ。何かに登録したら、毎日毎日メールが送られてくるのにイライラする。そして煩雑なことも嫌いで、我慢強くないんです。だからソフトウェアデザイナーやエンジニアも、必要以上の複雑さを避けます。
一方で、日本人は我慢強いな、と思います。大手ECサイトの大量のメール、なんとか我慢している人が多いじゃないですか。配信停止しようと思ったら、そのためにはログインが必要ですと言うんだけど、ずっと使ってないパスワードは覚えていない。
リセットが必要で、そのためには登録時の電話番号が必要だけど機種変更して何だったかな、と。日本は「おもてなし」の文化だと言いますが、インターネット上にはほとんど見受けられません。
──日本語が堪能で、日本のこともよくご存じですね。
高校生の時、沼津に1年間留学していました。そのときは言葉に苦労しましたが、かえって頑張ろうと思って日本語を学びました。
流暢(りゅうちょう)ではなく、堪能になってやろうと。オーストラリアに戻って、大学では日本語とビジネスを専攻して、埼玉大学に1年間留学して北浦和に住んでいました。法学も専攻したんですけど、それは起業のために犠牲になって落ちこぼれましたね。
社内の4割は日本人ですけど、18カ国のメンバーが集まっていて、もっと日本語が上手な外国人もいます。こういう仕事をするようになって知識の幅が広がって、上達するいい経験になりましたよ。
お客さまをユーザーと呼んではいけない
──日本でのおもてなしは、リアルでは感じてもネットでは事情が違うということでしたが、その点でMoneytreeが気をつけていることはありますか。
これまで「ユーザー」って言葉を使ってお話ししていますけど、社内では禁止用語になっています。「ゲスト」と呼んでいて、コミュニケーションだけでなく、システム開発にも浸透させています。例えば、データベースのテーブル名も「USER」ではなく「GUEST」と名付けました。
──そこまでやるんですね。
これには開発者とユーザーの知識のギャップを防ぐ狙いがあります。開発者たちは知識が豊富でシステムの中身もよく知っています。でもユーザーは知らないですよね。「わかりにくい」という意見に対して、「わからない方に問題がある」というリアクションが発生しないようにするためなんです。
カスタマーサービスで忘れてはいけない概念を、ホテルを例に説明します。来客があれば親切にするものだという姿勢は、小さいときから身についているので、どんな態度や知識の「ゲスト」であっても、どう対応すべきかはわかっています。ところが、相手が「ユーザー」になると、どう接するかは会社によって風習や文化が変わります。
──なるほど。おもてなしを自然に醸成させる環境を作っているんですね。
伝統的なおもてなしとは異なるかもしれませんが、やはり基本的にはゲストさんに対する敬意を示さないといけません。
GDPRを5年前からクリア
──ゲストに喜んでもらおうと考えると、個人情報を使って広告を出すようなことはしないほうがいい、という判断につながっていったのでしょうか。
そうですね。個人の意図しないところで、多くのオファーメールや個人情報を利用したターゲット広告などが(近年の?)広告モデルの主流となっていますが、GDPRの影響で、個人情報の扱いに関心を持つ人が増え、こうした流れに変化が生まれることは、個人的には嬉しいですね。
──GDPRはMoneytreeのビジネスとしては歓迎することですか。
ゲストのことをこれまで以上に丁寧に考えるようになる、という点では意味があります。ただ、GDPR自体がどう適用されるか、まだわからない状況です。
今はルールを見て、どうやって対応できるかを事前に考えておくことが大事だと思っています。これは私たちに限ったことではなく、IT分野以外にも関係する問題です。
Moneytreeには140カ国にゲストがおりますが、EU域内で子会社がローカル取引をしている場合、日本の本体は対応不要でしょうか。
例えば、グローバル展開している企業がポイントプログラムを提供している場合、GDPR圏内でメーリングリストを安易に送ることができなくなります。個人情報の扱いについて、無頓着ではいられません。みんなが関心を持つべきことだと思いますね。
──Moneytreeでの対応は進んでいますか。
GDPRに対応しているのか、イギリスのICO(Information Commissioner’s Office)がチェック項目を用意しています。これに照らしてみると、MoneytreeはGoodでした。始めた5年前から、ほぼ何も対策が必要ないレベルで対応していたわけです。
──なぜ、当初から先進的な整備を行えていたのでしょう。
センシティブな情報を預けるサービスには、グレーゾーンがあってはならないからです。プライバシーポリシーには、よく例外として「グループ会社には・・・・・・」といった包括承諾を認める文言がありますが、Moneytreeには一切無い。
──しかも、難しく書いてあって、よく見ないまま承諾してしまいがちです。
私たちはプライバシーポリシーを読みやすいように、簡易な日本語で記述するようにしていて、GitHubにも公開しています。プライバシーバイデザインの考え方を国内に根付かせたいと思ったので公開することにしました。近いうちにアップデートする予定ですので、スタートアップや金融系の新規事業でぜひ活用してください。
──さて、アプリではないMoneytreeの本質、金融インフラプラットフォームの話を伺います。
「MT LINK」は、国内の金融機関に対してMT LINKと各金融機関のシステムが容易につながることができるAPI連携サービスでNo.1を誇るまでに成長しました。この理由は、提携先企業にプライバシーだけでない“多面的な安心感”を与えているからでしょう。(後編に続く)
(取材・編集:木村剛士、構成:加藤学宏、写真:的野弘路)