忘れられるチベットの受難。日本在住の亡命者が伝えたいこと
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中国政府は巧妙なので、チベットでもウイグルでも、人が飢えて死ぬわけではなく、モノは増えていて建物もどんどん立っています。学校へ行けないわけではなく、ただ中国語(ビジネスに役立ちます)を勉強して自分たちの言語があまり話せなくなっています。宗教も締め付けられていますが、全く禁止されるわけではなく、観光化して社会や人の心の中核ではなくなっていく、という変化を迫られています。中国政府は下手に殺したり投獄するよりもその方が有効であることを理解しているし、チベット人やウイグル人の多くもわかってはいても、命がけで抵抗するだけの動機を持ちにくいでしょう。
近年、日本への難民申請者の増加について報道されることが増えましたが、「難民」と「亡命者」の違いは、国にもよりますが、あまり制度的な違いはありません。難民や亡命者としてその国で認められるかどうかは、その国の政府の判断にかかっています。「自称難民」「偽装難民」「経済目的の難民」といったいわれ方をすることがありますが、当事者は難民を名乗ってその国の政府に保護を申請するので、当然みんな「自称」はします。日本の場合、難民として認められることは極めて少ないので、紛争や迫害を逃れてきた人であっても、難民認定以外の資格で日本に滞在している人も多いです。日本人の配偶者となったり、お金があれば、留学生ビザをとったり、起業したりもします。日本企業に雇用されているひともいます。日本に滞在しているチベット人もそうやって滞在している人たちが多いでしょう。
難民といえども食べていかなければいけないし、出身国や他の避難先にいる親族に仕送りをする人が多いので、「経済目的」も当然滞在目的の一つにはなります。
明治から昭和の戦前にかけての日本では、多くの亡命者・難民を受け入れていましたが、対外的に積極的な介入政策をとっていたのが大きな原因でしょう。ロシアが大きな脅威であった頃は、亡命者への同情もあったでしょう。しかし、当時から今日まで、亡命者・難民の気持ちになる、というのは非常に難しいことで、日本社会にあまり期待はできないでしょう。対外的政策のうえで使いようがあるとか、国内での労働力として必要とか、どうしてもそういう基準の判断をされます。戦後の日本は、欧米諸国やほとんどの途上国と比べても対外的な介入政策をとらなくなりましたから、ますます関心をもたれないでしょう。これは酷い。まるでチベット問題に関心がある日本人は右翼と言わんばかり。これじゃ誰も関心を持たなくなりますし、関心を持っていても、表に出さなくなりますよ。
--以下引用--
「日本ではどちらかというと中国共産党を敵視している右翼の人たちが、「敵の敵は味方」というロジックでチベット問題に関心を持つ状況があるのではないでしょうか。」チベットの人たちの受難に対しては深く同情する。
が、チベット仏教はどうなんだろう。
元が滅んだ主要な原因のひとつがチベット仏教であり、その本当の説明は高校の教室では不可能である(普通、寺院の建設に巨額の国家資金を投じたからだと説明する)。チベットの人たちには悪いが、歴史的知識があると、色眼鏡でみてしまう。
中国では歴史的に、「赤」は漢民族を象徴する色とされている(これは高校で教えてくれる先生もいるだろう)。
現在の中国政府の意識は、明らかに漢民族の政府だというものであろう。