日本以外の国で車に乗っていると、"I love my Honda"とか"Nissan Crazy"といったスティッカーを後部に貼っている車が目につくことがあります。ファンをコミュニティに囲い込む、というのは様々な産業で見られることで、「マンチェスター・ユナイテッド・サポーターズ・クラブ」とか自分の出身大学、あるいは支持政党のスティッカーを貼っている車も目につきます。スポーツも大学も政治も、ファンというものを囲い込まねば成り立たないところがある商売なのでしょう。 日本だとそこまで自分の支持や志向を誇示しようとする消費者は多くはない気がします。透明な無色の消費者として自分を見せたがる場合が多い気もします。これは文化の問題という以上に、市場の問題のように思えます。国民全員がヒット曲を共有していた時代、日本国民なら「上を向いて歩こう」を誰でも歌えた時代が終わり、AKBとかでファンを囲い込むのが商売の基本のあり方になった業種もあるのでしょう。 豊かな国内市場に支えられた「いいものさえつくれば買ってもらえる」という時代が去りつつあり、そもそも「いいもの」の基準も人によって異なっている、ということなのでしょう。
一人でニュースを読むよりも、ピッカーの皆さんに自分の意見を知ってもらったり、皆さんの意見を知れたりすると楽しい。
ピックを続けられるのはきっと私も孤独を埋めているんだと思う。
プロピッカー制度の導入やNewspicks アカデミアなど、各施策がコミュニティにどういう影響を与えたのか、分析が読んでみたい。
コミュニティにどっぷり浸かっている方には運営に役立ち、そうでない方には「こんな世界があったのか」と新鮮な発見を得ていただくような内容になっていれば嬉しいです。
日本だとそこまで自分の支持や志向を誇示しようとする消費者は多くはない気がします。透明な無色の消費者として自分を見せたがる場合が多い気もします。これは文化の問題という以上に、市場の問題のように思えます。国民全員がヒット曲を共有していた時代、日本国民なら「上を向いて歩こう」を誰でも歌えた時代が終わり、AKBとかでファンを囲い込むのが商売の基本のあり方になった業種もあるのでしょう。
豊かな国内市場に支えられた「いいものさえつくれば買ってもらえる」という時代が去りつつあり、そもそも「いいもの」の基準も人によって異なっている、ということなのでしょう。
クリエイターはもちろん、企業でマーケティングやプランニングに携わっている人たちは必読だろう。
私も読書会を始めて二年近くになるが、最初は自著の読書会から始めたものが、他人の著作へ、そして「読書をいかに面白くするか」「歴史の教訓をいかにビジネスに生かしていくか」といったテーマへと変化してきている。
自著を売るために拡散してほしいとか、読者の意見をリサーチして次の作品に結び付けるといったことなどはどうでもよくなり、読者と一緒に「読書や小説の未来を考える」といった大きな話をする方が楽しい。
こうした仮説検証の繰り返しの果てに、新しい読書の楽しみ方や役立て方が生まれていくことだろう。
情報過多を生み出し、マス広告の終わりを告げてきたネットが特に、場づくり、コミュニティ作りに寄与する時代。
最近ではこの手の施策をベンチャーや地方企業が上手くやっているように思う。
企業が場どんな場づくりを行い、コミュニティ形成に寄与することが求められているのか?
この特集から学びたいと思います。
入っても良いという方は、いいねソフト連打してください。
サンデルや宮崎哲弥など、「コミュニタリアン」と言われた人々がいるが、あまり定着してないなあ。
「スマートシティ」も日本版では「スマートコミュニティ」。
便利な言葉ではあります。
すっかりビジネス用語になってしまった。
ありがとうございました。
今回は僭越ながらトリを務めさせていただきます汗
人によってコミュニティの定義も範囲もまだマチマチだとは思いますが
かなり他の方とは違う視点のお話ができたのでは?と思います。
よろしくお願いします!
①領域
テーマをどこに設定するのか?
②コミュニティ
関わる人の範囲をどのように設定するか?
③実践
関わる人の共通の実践を何に設定するか?
コミュニティという言葉は曖昧になりやすいので、領域・人・具体的な活動は言語化しておく必要があるなと感じています。