イケアもFBもイメージカラーは青

だが現実は、マス・スブラマニアンの考えとは桁違いだった。
ドイツの調査会社セレサナの推定によると、大手化学企業のラクセスやBASF、ベネター(米化学品メーカーのハンツマンから分社化)、ケマーズ(デュポンから分社・独立)を中心とする色素業界の市場規模は300億ドルに達する。
なかでも急成長している分野が、色鮮やかで最上級の安定性と耐久性を持つ高性能色素だ。
市場調査会社スミザーズ・ラプラによれば、その価値は2016年時点で全体の6分の1近くを占める。需要増大の背景には、鉛系の顔料が段階的に廃止されていること、新興国の工業や建築業で高性能色素の利用が増えていることがある。
安全で耐久性があって環境に優しい──そんなブルーがあれば、大儲けできるのはほぼ確実だ。アメリカ人はとにかく青色が好きだと、パントン・カラー研究所のプレスマンは指摘する。
「青は希望や約束、信頼性、安定性、穏やかさやクールさを象徴し、忠誠や真実の色と見なされる。最も親しみやすい色の1つで、最も心地よく感じる色です」
イケアやフォード、ウォルマート、フェイスブックのイメージカラーも青。冷蔵庫の中にも壁の上にも着るものにもこの色があふれ、米大リーグ(MLB)チームの3分の2はユニフォームに青を取り入れている。身の回りのどこにでも存在する色、それがブルーだ。

高まる関心と発売までの長い道のり

スブラマニアンの元に問い合わせをしてきた数々の企業には、インミンブルーの使い方をめぐって山ほどアイデアがあった。HPはプリンター用のインクに利用可能かどうかを知りたがり、シャネルは化粧品に、メルクはスキンケア製品に使えないかと興味を示した。
レザー素材に使用して、足を低温に保つスニーカーができないかと思いついたのはナイキだ。自動運転車開発に取り組む企業の下請け業者は、インミンブルーの反射性が車載センサーの機能向上に役立つのではないかと考えた。
顔料メーカーも関心を持った。スブラマニアンの論文が発表されてから1週間たたないうちに、シェファードカラーはオレゴン州立大学に代理人を派遣。それから2年をかけてインミンブルーの環境的な回復力、規制面での適合性、コストについてテストを行った。
次のステップはライセンシングだった。特許権はスブラマニアンに帰属するが、オレゴン州立大学にはライセンス料の一部を受け取る権利があった。インミンブルーは大学が所有する実験室で発見されたからだ。
2015年、シェファードは独占権を獲得。最も市場性が高いと判断した建物の外壁や屋根向けの工業用塗料を、合計0.5トン生産する準備を始めた(契約条件について、シェファードは開示を拒否)。
米環境保護庁(EPA)が工業用塗料やプラスチック製品としてインミンブルーを販売することを承認したのは、スブラマニアンの発見から8年後の2017年10月。シェファードはただちに、自社製品を発売した。

クレヨンの新色は「ブルーティフル」

シェファードの次なる一歩として当然予想されるのは、アメリカにおける商業目的での化学物質の製造・加工・輸入の条件となる、EPAの「有害物質規制法(TSCA)インベントリー」へのインミンブルーの収録を申請することだ。
インベントリーに収録されれば、さまざまな分野の製品への利用が可能になるため、ナイキなどの企業の関心を引くだろう。しかし、シェファードはまだ申請を行っていない。
シェファード以外でインミンブルーを市場に送り出したのは、これまでのところ米クレヨンメーカーのクレヨラと、オーストラリアの画材製造企業デリバンだけだ。
クレヨラが約10年ぶりに発表した新色のクレヨン「ブルーティフル」は、インミンブルーに「インスパイアされた」ものだという(同社がライセンス料を支払っているかどうかについて、シェファードの回答はなかった)。
一方、デリバンはインミンブルーからアクリル絵具を製造。一部の小売店で試供品として提供している。

1キロ1000ドルの超高級顔料

インミンブルーの市場規模は現時点ではあまり大きいとは言えない。原因は高額な価格だ。
インミンブルーの成分の1つであるインジウムは、主にスマートフォンのタッチパネルの導電層に使われる金属だ。純度が極めて高いことが求められ、しかも需要が大きいとあって、1キロ当たりの価格は2017年末時点で720ドルに上る(マンガンの価格は1.74ドル)。
そのため、シェファードはインミンブルーの1キロ当たりの価格を1000ドルに設定している。これは、ほかの色素をはるかに上回る値段だ。オハイオ州にインジウムの隕石が衝突でもしない限り、価格が下がることはないだろうと、同社のマーケティング・マネジャーのライアンは冗談交じりに言う。
ただし、価格の高さは利益の少なさを意味するわけではない。
シェファードにとって、インミンブルーをはじめとする最高級の複合酸化物顔料は最も耐久性が高い製品だと、研究開発部門責任者のジェフリー・ピークは話す。工業用塗料の場合、保証期間は最大50年。金属屋根や高層ビルの外壁に使用するにはもってこいだ。
インミンブルーの用途を広げられるか、価格を引き下げられるか。答えは、シェファードとオレゴン州立大学の研究者たちが鮮やかさを損なわずに、インジウムなしでこの色を作れるかどうかにかかっている。

青から赤を生み出すために

テストや規制当局による承認に長い時間を要したうえに、弁護士費用などライセンシングに絡む経費がかかったため、発見からほぼ9年がたつ今もスブラマニアンは特許権使用料をまったく手にしていない。
それでもインミンブルーのおかげでキャリアが再活性化され、新たな目標を見つけることができた。
「安定していて毒性がなく、美しい赤の色素を生み出すことができたら、すごいことになる。それを実現することが私の望みだ」
特許番号8282728が持つ価値は、インミンブルーという色素そのものをはるかに超える可能性がある。真の発明と言うべきは「三方両錘構造」と呼ばれるこの物質の結晶構造(結晶中の原子の配置構造)だ。
マンガンは青色を与える物質で、その割合を調整すれば色合いを明るくしたり暗くしたりできる。その一方、スブラマニアンのラボにある瓶の中のライラック色やモスグリーンが示すように、この結晶構造はほかの色を吸収(または反射)する能力を持つ。これは、本棚に隠し扉を見つけたようなすごい発見だった。
赤の色素を作るには、ただインジウムの量を減らせばいい。当初はそう考えていたと、スブラマニアンのラボに所属するジュン・リー助教は振り返る。ところが、現実にはそれほど単純な話ではなかった。
大半の赤色色素は半導体で、導電性を保つにはちょっとしたトリックが必要になる。1つの方法は、化合物の原子間の距離を調節すること。そうすれば、光を受けた際の電子の吸収エネルギーが変化し、化合物は青を吸収する。つまり、赤が反射されるということだ。
しかし、この方法を試すと元のぼんやりした灰色に戻ってしまうと、リーは説明する。「結果を予想しようとしても、こればかりはわからない」

危ないカドミウムに代わるものを

インジウムを減らしたり代替物を使用したりすることができれば、新たな赤色色素の価格を引き下げることも可能になる(同時に、インジウムを使わないインミンブルーの開発につながるかもしれない)。
1990年代後半にドイツの2人の研究者が発見した赤の顔料は、おおいに期待されながらも不発に終わった。需要に見合う価格を実現できなかったためだ。
この研究者らが探していたのは、カドミウムに代わる物質だった。地球の表層部に広く存在する重金属であるカドミウムは赤色顔料として使われ、長らく安全で耐久性に優れていると見なされていた。モネやゴッホ、ムンクの絵画に生き生きとした輝きをもたらしたのもカドミウム系の絵具だ。
だが、カドミウムは次第に有害性で悪名高くなった。生産活動によって環境中に放出され、食物連鎖を汚染することが明らかになったのだ。
1997年に行われた研究では、子ども用のバックパックや玩具、ヘッドフォンに微量のカドミウムが含まれていたことが判明。歌手で女優のマイリー・サイラスがデザインしたアクセサリー製品や、イングランドのサッカークラブ、アーセナルの元ホームスタジアムの観客席からも見つかっている。
ドイツの2人の研究者が発見した顔料は、カドミウムの代わりにペロブスカイト(CaTaO2NおよびLaTaON2)を用いたものだった。彼らは2000年に学術誌ネイチャーで発表した論文に、この無機顔料はカドミウム系顔料の「代替物として有望」とみられると記している。
問題は、大量に販売するには高価すぎたことだ(合成に当たって、有害なアンモニアガスを使わなければならない点もネックだった)。結局、この新しい顔料は市販されないままで終わった。
EU(欧州連合)はカドミウム系顔料の販売禁止措置を検討していたが、アーティスト団体の反発にさらされて断念した。
米消費者製品安全委員会(CPSC)は、規制を求める市民の署名活動を受けて、カドミウムの「1日摂取許容量」の推奨レベルを発表。米有害物質・疾病登録局の危険性物質リストでは、カドミウムは計275の物質のうち7番目に危険とされている(コバルトは51番目)。

文化的にも商業的にも重要な色

果たして、スブラマニアンは成功を収められるか。そのカギは、カドミウムだけでなく、カイガラムシを成分とするコチニール色素などにも取って代われる赤色色素を発見することにある。
カーマインやカルミン、ナチュラル・レッド4とも呼ばれるコチニール色素について、米食品医薬品局(FDA)は摂取しても安全だとしている。だが塗料として用いた場合、この色素は長持ちしないことが多い。
赤はアメリカ人の間で人気が高い色とは言えない。とはいえ勇気や誘惑、喜び、革命を象徴する色であり、世界各地で文化的にも商業面でも重要な色と見なされ続けている。
パントン・カラー研究所のプレスマンによれば、赤は黒を除けば最も大胆な色。権力や権威を想起させるという(だから、一時停止を命じる道路標識に使われるわけだ)。
赤い車は世界の自動車保有台数のうち8%を占めるにすぎないものの、動くカネは大きい。派手で高価なスポーツカーは、ほとんど赤が定番だ。
こうしたイメージを裏切ることのない色合いを持ちつつ、堂々と市販できる安全な赤を作り出すこと。それがスブラマニアンの目標だ。
「(DIYのチェーン店)ホーム・デポに行っても、表示されているのは色番号だけだ。誰も化学的な成分を知らない。色素から作り出されているはずだと思うだけで、どうやってできた色かは考えない」

新しい「赤」が誕生する日

ラボに程近いパブで昼食をともにしていたとき、スブラマニアンはアーティストである妻と最近、ニューヨークへ旅行したときのことを語り出した。
「グッゲンハイム美術館に行ったんだ。以前は美術館が大嫌いだった。妻に1人で行ってもらって、その間、私は近所の大学の化学科を訪れたものだ」。だが、今回は違った。カンディンスキーが描いた『青い山』の前で立ち止まり、山を彩るウルトラマリンの色に見入った。
「おかげで、どれほど人生が変わったか」。インミンブルーについて、スブラマニアンはそう言う。
パブの室内の壁は鈍い赤さび色に塗られていた。スブラマニアンは退屈したような訳知り顔で壁に目をやる。「酸化鉄だ。間違いない」
インミンブルーを発見しても金持ちになっているわけではないが、それはどうでもいいという。自分の55番目の特許が、一般の人の心にも響くような何かであることを誇りに思う、と。
スブラマニアンは先日、空港で見知らぬ人物から話しかけられた。新たな色の発見者であることを知っていたその人は、こう言った。「あれはすごくきれいな青ですね。どうやって見つけたんですか」
色素研究の難しい点は、どれだけ注意深くプランを練っても、窯の扉を開けるまでは何が出てくるかわからないということだ。
スブラマニアンは電子素材を追い求めるうちに新しい青にたどり着いた。今度は、新しい赤を探しているうちに新しい電子素材が見つかるかもしれないと、彼は冗談を言う。
しかし、少なくとも今は具体的な出発点があり、方向性も見えている。ラボに戻ったスブラマニアンは、濃いオレンジ色の粉が入った瓶を手に取った。それを見ると、いずれ赤い色素を発見できると自信が持てるのだろうか。
スブラマニアンは微笑んで答えた。「いいや。私たちはそれを目指して進んでいるだけだ」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Zack Shonebrun記者、翻訳:服部真琴、写真:Sylvia_Kania/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.