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注目のコメント
人間がトランジション(変化)する過程においては「これまでの自分」と「新しい自分」の間で板挟みになり本人も辛いし、周囲からも「キモい人」と見られがちだ。でもそのキモさこそ成長痛…それに耐えてこそ進歩するのだとという千葉氏の主張には共感しきりでした。
勉強の基本は座学というのはその通りだと思いますが、私の場合、どうしても必要に駆られないと学ぶ気が起きません。「そのうち必要になるだろう」と思って書籍を手にしても、一向に頭に入らないのです。大学のマス講義で聴いた内容もほぼ覚えていません。
私以外にも、似たような感覚をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか?
この点、ギャップイヤーなどを通じて、大学での学習機会以前に、学ぶことの必要性を痛感するような機会があればと思うのですけどね。せっかく大学等で学びの機会があったとしても、頭に入らないのではもったいなさすぎます。響くポイントは数多くありましたが、特に「環境と自分の片方ではなく、両方を見直す」、「環境と自分の癒着の定期的な振り返り」は共感します。
大変恥ずかしながら、日本時代に「外資系本社で働くこと」ということを過度に美化、理想化していた自分の滑稽さを認めます。「その理想を実現すれば、日本で感じていたキャリアの悩みやモヤモヤはきっと解消されるであろう」と思い込んでいました。
実現してみた結果、「環境」によって変わったことも確かにあった一方、日本で自分を誤魔化し、モヤモヤしていたことは結局、何ら自動的に解消されませんでした(当たり前ながら)。そこで、ようやく環境変化も大切ながら、自分を直視し、真摯に向き合い、自分が変わるしかない&「隣の芝はどこまでいっても青い」ということを遅ればせながら実感するに至りました。
そうして変わることを選び、他者や世間に「キモい」と思われるのではないかというビクビクさを乗り越え、現在に至ります。ただ、オランダでも行き抜く術を身に着け、ある種安住のポイントを見出してしまっていますので、まさにマンネリ・癒着状態であり、自分のあり方を次段階へ見直す必要を痛感しました。