究極の“個人戦”時代、「副業社会」が到来する

2018/5/7
freeeのマーケティング部門でマネジャーを務める水野剛氏の週末は、金曜日の夜7時20分発の東北新幹線に乗ることから始まる。
目指すは岩手県八幡平市。この地で約40年続く老舗ホテル「いこいの村岩手」で、“週末マーケター”の仕事をするためだ。
水野剛(みずの・ごう) 
freeeマーケティング部門のマネジャー。1983年岩手県生まれ。2007年筑波大学大学院数理物質科学研究科を卒業、旭硝子に入社。高機能性素材の開発・技術営業およびマーケティングなどを行う。その後ユニクロで店長およびマーケティング部を経て、2017年12月よりfreeeにて中堅企業向けソフトウェアのマーケティングに従事。35歳。
「社長、この間言った、喫煙所の場所替えは進んでいますか?」
「お土産物屋の動線が悪いですね。店じまいに什器を動かしていたら、4分はかかります。それを毎日やったら、年間で1460分。24時間以上になります。この作業をやめれば従業員の誰かが一日休めます!」
旭硝子、ユニクロ、そしてfreeeで培ってきたマーケティングの知見を、ホテルのサービス向上に惜しみなく発揮する。
月2回、4日間このホテルで、販売促進ビジョンの策定から節電システムの導入、売店レイアウトの最適化まで幅広い業務を行い、交通費別で月5万円のギャラを得る。
grooves(グルーヴス)という会社が提供する「スキル・シフト」というサービスを介して出会った。
「もともと私は岩手の出身。故郷に貢献したいという思いと、いずれは岩手の家業を継ぐため、地元のコミュニティを拡大したい思いもあり、この副業を始めました」
freeeでは、全面的に社員の副業は認められている。そのため、上司や同僚に気兼ねなく、会社とはまた違う環境で仕事に没頭できることが楽しいと言う。
水野氏が「週末マーケター」を務める岩手県八幡平市のホテル「いこいの村岩手」
「マーケティングの仕事は、その会社のサービスの魅力を深く突き詰め、顧客のニーズとマッチさせること。本質を深く考えるという仕事に本業と副業の境目はなく、むしろ、アイデア同士の繋がりを生み出していると感じています」(水野氏)

「副業1.0」から「副業2.0」へ

かつて副業といえば、会社に隠れて副収入を稼ぐ……といった後ろ暗さがあった。あるいは、弁護士や会計士が企業の顧問や相談役を務めるなど、名誉職に近いイメージがあった。
実際、副業を行う人は、下の表のように、「年収1000万円以上層」と、「年収100万円未満層」が圧倒的に多勢だった。
しかし、最近は水野氏のような意欲的なビジネスパーソンの間で、副業・兼業を報酬目当てではなく、自身のスキル向上や、やりたいことをやるための機会として捉える人が増えている。
かつての副収入を得る目的、あるいは名誉職的な副業を「副業1.0」とするなら、自分がやりたいことをやる自己実現や能力向上のために行う「副業2.0」が定着しつつある、と言えるだろう。
副業・兼業を含む「柔軟な働き方」を促進する、経済産業省の産業人材政策室・室長補佐で弁護士の白石紘一氏は「副業2.0」が広がりを見せる背景について、以下の3つを挙げる。
経済産業省の産業人材政策室・室長補佐の白石紘一氏は弁護士で弁護士事務所から出向中だ。専門は労働法。弁護士事務所勤務時代から副業することは当たり前だったという。
1) 副業を解禁する企業が増えつつある
2) 副業などパラレルワークをやりたい人が増加している
3) 仕事をパラレルワーカーに発注する企業が出始めている
実際、社員の副業を認める企業は増えている。
以前から副業しやすい職種の代表格であるエンジニアを多く抱えるIT企業では、優秀な社員の採用や引き留めのため、社員の副業・兼業を認める傾向が強かったが、最近ではコニカミノルタや新生銀行など大手企業でも解禁の動きが見られる(下図参照)。

新生銀行が副業を解禁した理由

他業界に比べて、守秘義務や顧客情報漏洩の観点から、兼業・副業はハードルが高いとされる大手銀行業界。その中で、新生銀行がこの4月から全社員を対象に兼業・副業の全面解禁に踏み切ったことは話題になった。
執行役員人事部長の林貴子氏は、その狙いを次のように語る。
「周知の通り、終身雇用にはもう限界が来ています。今後、銀行はフィンテックの流れもあり、同じ数の社員を雇っていける保証はありませんし、必要な人材像も変わっていきます。そういった変化に対応するためには、会社側にも、社員個人の側にも、働くことの選択の自由がなければいけません。他社で獲得した知見を新生銀行での本業に還元することで、新たなイノベーションを生む効果も期待できます」
兼業・副業解禁から1カ月で、既に9人の行員から副業したいという申請があった。
新生銀行執行役員人事部長の林貴子氏(撮影:遠藤素子)
「イベントに出て音楽の指揮者をする、NPO法人の理事になる、アクセサリーを作ってネット販売する、資格を生かして自営業をする、親の事業を手伝うなど内容は様々ですが、利益相反のリスクがある金融業界の仕事でなければ、他社に業務委託として雇用されることも認める方針です」(林氏)
今後は、他社に本業を持つパラレルワーカーの「副業の受け皿」になることも視野に入れる。
「既存の銀行業を超え、広い意味での金融業に脱皮するには社員の多様性が何よりも重要ですから、新生銀行にない能力を持つ人が週数回や月数回、当行で副業をすることも歓迎していきたい」(同)

副業はトランジションに有効

ロンドン大学ビジネススクールのリンダ・グラットン教授は、NewsPicks編集部の取材で、「副業を含めたポートフォリオワークは、トランジション(自己変革)をする上で極めて有効だ」と語った(特集1回目で配信中)。
「これまで、働く人がキャリアをつくる上で最も簡単なオプション(選択肢)は、現状を維持することでした。しかし、先が見えにくく、変化が激しい今の時代に、現状維持では結局、5〜6年の間で行き詰まってしまいます」
ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットン教授 
だからこそ、働く人は常に自分の能力は今、伸びているかを振り返る必要があり、副業・兼業をすることはリフレクション(自己の振り返り)の効果もある、と言うのだ。

テクノロジーで変わる副業の未来

最近では日本でも、クラウドソーシングや自身の知見を教えたい人と教わりたい人をマッチングする「ストアカ」や「ビザスク」のような副業支援ツールも充実し、副業を見つけることは比較的容易になってきた。
しかし、「雇用関係のある主たる仕事を持ちつつ、他の収入源を持つ者」が28%、「雇用関係を持ちつつ、アルバイトなど副次的な収入を持つ者」が25%もいる(「Freelancing in America 2016」より)米国と違い、日本でビジネスパーソンが副業するにはまだまだ課題がある。
1つは、労働時間の問題だ。
「法的に、勤務時間外の労働時間や労災については本業の会社と雇用者が結ぶ雇用労働契約の管轄外となりますが、各社、雇用者の労働時間を削減する中、勤務時間外で副業されると、社員の健康管理がしにくいとの声が多い」(前出・経産省白石氏)
2つ目は、本業に支障が出るとの懸念だ。
「多くの日本企業はフルコミットする人材を求めるため、他社で仕事をするくらいなら本業に専念して欲しいというのが本音です」(同)
また、一般的に従業員の仕事に明確なジョブディスクリプション(職務範囲の設定)がない日本の企業では、業務を切り出してアウトソースすることがもともと苦手だ。そのため、外部の副業者に仕事は任せにくいという側面もある。
つまり、副業したい人は増えても、魅力的な副業を得られない事態もありうる。
だが、1つの会社に縛られるのではなく、多様な業務を同時並行で行い、将来の選択肢を広げていきたい──というビジネスパーソンのニーズが増える限り、副業・兼業の解禁を含む「柔軟な働き方」を認めることは、企業が優秀な人材を獲得するために避けられない流れだろう。
いきおい米国同様に、一度にマルチな仕事を請け負うパラレルワーカーが増えれば、今後は会社という存在そのものの意義も問い直される可能性もある。
「副業2.0社会」の到来は、働き手や会社、そして日本型雇用にどのようなインパクトをもたらすのか。本特集では、本日より全8話にわたり、その全容に迫っていく。

グラットン教授独占インタビュー

特集1回目は、ベストセラー『ライフ・シフト』の著者で、ロンドン大学ビジネススクールのリンダ・グラットン教授が2018年4月19日に来日して行った「新しい働き方」についての講演と、その講演直後にNewsPicks編集部が直撃した独占インタビューを掲載する。
「今こそ日本人は働き方を変える時期に来ている」とグラットン教授は言うが、現実に働き方を変えることは簡単ではない。
副業をするにしても、上司や同僚の目が気になる。だからこそグラットン教授は「勤め先に自分を応援し、引き上げてくれる“スポンサー”を確保せよ」と言う。
果たして、スポンサーとはどのような存在か。
特集2回目は、この4月「社内副業義務付け」との報道が流れ、NewsPicksのコメント欄でも大きな話題となった丸紅の人事部長インタビューを掲載する。
「社内副業義務付け」報道の真実とは何か? また、丸紅がこの4月より刷新した、人事制度や人事戦略の本当の狙いについて語る。
日本型雇用に加え、縦割りの印象が強い総合商社は、どのような新しい働き方を目指しているのだろうか。
特集3回目は、クラウドソーシングやスポットコンサルティングなど100近く存在する副業支援ネットツールや、そのサービスごとの「人気副業ランキング」を完全図解で掲載する。
4回目には、「副業・兼業の達人」5人の実例を一挙に紹介する。2社の企業の双方で正社員として働く「W正社員」、会社の許可を得て週2日を起業準備に充てる人、平日は介護士として働きながら週末はモデルとして活躍する「週末モデル」など、今現在パラレルワークを行っている人に、多様な仕事を楽しみながら同時進行で成果を出す技術について聞いた。
5回目は、「お嬢様芸人」として著名な、たかまつなな氏のロングインタビューだ。たかまつ氏は教育事業を行う会社の代表も務めるが、この4月よりNHKにディレクター職として入局した。
そんなたかまつ氏は、現在どの仕事も全部本業だとして、すべての仕事に没頭しているという。反対に、流行だからといって副業に飛びつく現象は危険だと警告する。
6回は、著書『勉強の哲学』がベストセラーとなった立命館大学准教授の千葉雅也氏が登場する。
副業・兼業が当たり前となりマルチにアウトプットする社会が到来すれば、当然、インプットである「勉強」も必須となるだろう。では、マルチワーク時代の大人の勉強法とは? 勉強のそもそもの定義についても「哲学」した、貴重なインタビューだ。
第7回は、「兼業の達人」のなかでも極め付きの逸材が登場。動画配信授業『スタディサプリ』で1、2を争う人気講師の伊藤賀一氏だ。
伊藤氏は、高校の日本史だけではなく、現代社会、倫理、政治経済など「社会科」科目の大半を教える。さらに、守備範囲は哲学にまで拡大中で、将来的には大学などの教育機関に進出することも考えているという。
そのため、現在は早稲田大学で「生涯学習」について学ぶ。それも、43歳にして普通受験で合格したというから驚く。25以上のクライアント先を持ちながら、週6日、大学で学ぶ生活とは、どのようなものなのか。
最終回では、NewsPicksの人気プロピッカーで産業医の大室正志氏が、パラレルワークが拡大すれば、無謀な副業による「副業ウツ」が増える可能性があると指摘し、その防御策を語る。
副業をして、こんな兆候が出たら危険と思われるチェックシートも掲載する。
(デザイン:九喜洋介、データ作成:栗原昇、丸山リタ)