「知らんがな」と言う勇気
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一時期、ひどく人間不信になって、いかに自分がひどい目に遭ったかを懇々と色んな人に話すことがよくあった。そうでなくても自分語りすると話が長くなる。
不幸な自分語りなら枚挙に暇が無い。
自分を褒めてほしい、丁寧に扱ってほしい、優しくしてほしい、慰めてほしい、色んな狙いというか打算があるわけですよね。
一方で、この記事で指摘されてる「知らんがな」というのはまさにその通りで、相手にとってはそんなん知らんがなの世界ですよね。あんたが不幸な過去背負ってるのはわかったし、可哀想やなとは思うけど、今のあんたはどうなん?という世界。みんな、多かれ少なかれ、色んな過去がある。自分だけが大変!と思ってるのは本当はダサい。みんなそれぞれの人生でそれぞれの事情で大変なんだよね。
こういうのって、自分で気がつくしかないんよね…。大人になるというのはそういうことでもあるのかな、と思う。なかなか言えないけどなぁ、とくに他人だと(・_・;
ただ、自分の経験談などから伝えられることは話をしますけど、最後は本人がどう感じてどうするか、ですからね。
たいがいは聞いてほしいだけ、という方も多いとは思うので、こういうオチも一つなのかも知れませんが、これを放ったあとのその場の空気に耐えられそうにない…相手の行動から、相手の過去を推察したり、その意図を尋ねたりしたとき、その方にとって大変だった過去の話にたどり着く、ということがよくあります。私自身の行動の背景にある価値観を説明するときにも、大変だった過去の話をすることもあります。
そんなとき、相互に示される態度のステータスは、① 理解、② 共感、③ 行動変化(例:相手に優しくする)、くらいかと思います。
話に出てくる、知らんがな。これが、③ に対する言葉であれば、わかります。が、①、② に対して、知らんがな、とは私は言うことは決してありません。
その辺の切り分けを明確にしておくことが大切、と感じました。