85年、私はアナウンサーになった。 セクハラ発言「乗り越えてきた」世代が感じる責任
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注目のコメント
別のところでも書きましたが、セクハラやハラスメントを受けているのは女性と言った考えをまずは改めるべきなのでは?
ここに書かれていることを男に対して言っても立派なセクハラですよ。
はっきり言って会社の上司や異性の先輩にそんなこと言われたら私は不快です。
女性の上司の時に、男のくせに細いし頼りないよねなんてことも言われたことあります。男がセクハラ被害を訴えるのもそれなりにハードルが高いのですよ。
男もされているのだから女性も我慢すべきと言うことが言いたいのではなく、男に対しても女に対してもセクハラは無くさなくてはいけないことです。女性がー、なんて言っていると、単に女は扱いにくいと思われるだけです。
日常的な会話のやり取りに、女性だと気を使わなければいけないのではなく、男女関係なく誰に対しても気を使わなくてはいけません。
そう言った議論にならないうちはセクハラは無くならないでしょうね。
また、相手が不快に思ったらセクハラなんていう曖昧なものではなく、しっかりとした線引きが必要だと思います。10年くらい前になりますが、女性向けのビジネスのプロジェクトを立ち上げた時、iモードで有名な松永真里さんとお話をしていて、とても衝撃を受けたのは「これまで男性と同じ扱いをしてもらうのに男性と同じように仕事をする事で認めてもらう事に必死だった、でもこれからはこのプロジェクトのように女性であるということを楽しみながら仕事をしていいのよ」と企画に賛同していただきました。当時男女平等という言葉そのものは当たり前だったので、そのためにたくさんの先輩達が体力もココロもかなりのリスクを負って築き上げてくださった今なんだという事をそれまで何もわかっていませんでした。
そして今の世代になっても、キャリアのある女性でもパート勤務でも、まだまだ悔しく辛い思いをしている女性がたくさんいます。二次的な被害の相手は異性だけでなく同性の時もある。
女性であるから弊害になり、現場に出て行けないのはおかしい。
女性だからできる事があるのに…
男性だからできる事があるのに…
性別含めお互いの個性を「良い形」で活かせる世の中にしていきたい。こういう風に考えられる人もなかなかいないものだと思い、本当の意味で女性が立ち上がり始めたことを感じる。
なぜ「乗り越え」なければならないのか、そもそもなぜ乗り越えるべきものが存在しているのか、乗り越えて偉い・素晴らしい・強いなどとその前提の如何に目を伏せたような逆差別的な褒め言葉をいわれる時代が終わることを願いたい。