我慢強さ、粘り強さは、母譲り

2018/8/8

母の闘病

こんなふうに過去の自分を振り返ると、「意外と粘り強かったな」と思わないでもありません。
吉本興業の大先輩である漫才師の中田カウス・ボタンのカウスさんに、「大﨑社長、よう粘るね」と言われたこともあります。
それまで僕は自分のことを飽き性だと思っていたし、実際に飽き性です。それこそ通知表に「付和雷同型」と書かれたくらい。ちなみに人生で初めて覚えた四字熟語がこの「付和雷同」です。
今もおっちょこちょいで飽き性ですが、どこか粘るときは粘るところがある。それはやはり母のことがあるからでしょう。
母(中央)、姉(右)と
僕の母親は、僕を産んだあとまもなく子宮がんになり、人生で大きな手術を3回することになりました。
3回目に手術をしたときは、お腹を開いた先生も看護師さんも、「涙が出て止まらなかった」とおっしゃった。「どうしてですか」と聞くと、母のお腹のなかはもうひどい状態だったという。