吉本興業を革新する、大﨑洋の全思考

2018/7/28

先生に「白痴美」と言われて

アホな子ほどかわいい? 白痴美と言われた僕
「何か一つでもいいところを見つけて、そこを伸ばしていただけないでしょうか」
「そうですよね。私もそう思いながら大﨑くんのことを見ているんですけど、全くないんですよね」
おふくろの目がじわりと赤くなりました。先生はとりなすように続けました。
「だけど大﨑くんは、なぜか女子生徒には人気がありますよ。こういうの、白痴美というんですかね」

島田紳助のSWOT分析

明石家さんま、島田紳助たちの「生きる力」
島田紳助の家に遊びに行くと、壁になにやら文字が書かれた紙がたくさん貼ってありました。
「オール阪神巨人は正当派の漫才師。ものまねという武器を持っている」
「明石家さんまは可愛げがある。武器はあの軽さとノリ。運動神経がいいという特徴もある」
「俺は体が弱いし喧嘩も弱いけどヤンキーだった。これをネタにしたらどうだろう」
紳助は誰に教わったわけでもないのに、当時から自分の立ち位置について、今でいう「SWOT分析」をしていたのです。

「ミスター吉本」の下で

漫才ブーム勃発、「大阪の笑い」が箱根の山を越える
新人時代の僕を鍛えてくれた上司が、のちに「ミスター吉本」の異名をとるほどのキレ者、木村政雄さんでした。
「横山やすし・西川きよしをスターにした敏腕マネージャー」
「あのやすしが言うことを聞くのは木村さんだけ」
など木村さんの噂は研修中から耳にしていたので、どんな人かと内心ビクビクしていました。
ありとあらゆるむちゃな指示をされましたが、「はい!」以外の返事をした記憶はありません。

NSCに配属

「大阪に帰れ」できたばかりのNSCに配属
東京事務所はたかだか2年ほどで閉じることになります。80年に始まった漫才ブームは約2年でバニシングポイントを迎え、収束していったからです。
東京から大阪に戻ってきた僕が配属を命じられたのは、新しくできたばかりの「吉本総合芸能学院」、通称NSCでした。

ダウンタウンとの衝撃の出会い

ダウンタウンの面白さ、吉本の偉い人には理解できない
漫才という芸能はすでに完成の域にあり、もうこれ以上進化することはないだろうと思っていました。
セント・ルイス、ツービート、紳助・竜介、明石家さんま以上の才能は、これからの時代には二度と出てこないと思っていたのです。
ところが10代のダウンタウンを見たとき、「こんなやつ、まだいてたんや」という衝撃が走った。とにかく発想がいままでの漫才とまったく違う。

漫才コンクールで優勝

ダウンタウン、漫才コンクール優勝「笑うな!」
彼らが初めて出場した新人漫才コンクールでは、「松本・浜田」と名乗っていました。
それまで客前で演じた経験はほとんどなく、このコンクールがいわば初舞台。にもかかわらず会場じゅうを沸かせて、100組の出場者のなかで優勝を手にします。
彼らはうれしさを隠せず、満面の笑みを浮かべていました。
僕は、彼らの背後に忍び寄り、慌ててこう耳打ちしました。
「笑うな! うれしそうにするな」

ダウンタウンのマネージャーに

松本人志の一言に込められた「笑いの哲学」
「大﨑さん、俺ら、面白くないですか?」
「いや、そんなことない。すごく面白いよ」
「じゃあ、どうして仕事ないんですかね?」
「そうやな、みんなアホなんやなあ」
ダウンタウンは間違いなく面白いのに、それを理解できる人間が社内にいないのです。このままではせっかくの才能がつぶれてしまう。
気がつくと、「じゃあ、俺がマネージャーするわ」と口にしていました。

アジア進出と音楽ビジネス

吉本興業がアジア進出と音楽ビジネスに挑戦した理由
東京パフォーマンスドールがあるんだったら、大阪パフォーマンスドールがあってもいい。舞台が中心ということならば、劇場を持つ吉本も何かできるのではないか。
その後、上海パフォーマンスドール、タイやベトナムなどのどこそこのパフォーマンスドールと、ワールドワイドに広がっていくことになります。

足し算から掛け算の世界へ

ダウンタウンの印税交渉、足し算から掛け算の世界へ
儲けを増やすには「劇場に来てくれるお客さんを増やす」という単純な発想しかない。つまり、お笑いは足し算の発想です。
でも東京の芸能界は音楽ビジネスを中心としたところなので、基本的には印税という掛け算が成り立つ世界。
「これでは吉本は駄目になる」と思い、権利ビジネスの勉強をしようとレコード会社の人たちをはじめ、いろんな方々に話を聞きましたが、誰もはっきりしたことを教えてくれませんでした。

反社会的勢力との戦い

反社会的勢力との戦い。ダウンタウン人気が標的に
ダウンタウンが飛ぶ鳥を落とす勢いで売れ始めたころ、僕はある現象に悩まされていました。
ダウンタウンの人気が暴力団や右翼など反社会的勢力に目をつけられて、脅しの電話などがかかってくるようになったのです。
背景には、1991年に吉本興業の会長だった林正之助さんが亡くなったことがあります。

吉本のお家騒動

吉本のお家騒動。株主総会に紙オムツで出る?
僕は2009年4月に吉本の社長になりましたが、きっかけは僕が副社長のときに起きた吉本の「お家騒動」です。
僕が社長に就任して初めての株主総会は大荒れでした。
秘書には別の心配があったようです。当日は警察も来るし、延々と質問が続けば僕はトイレに行く暇がないかもしれない。
「社長、紙オムツしときはりますか」

母の闘病

我慢強さ、粘り強さは、母譲り
母親は、僕を産んだあとまもなく子宮がんになり、人生で大きな手術を3回することになりました。
3回目に手術をしたときは、お腹を開いた先生も看護師さんも、「涙が出て止まらなかった」とおっしゃった。

デジタル・アジア・地方

デジタル・アジア・地方がこれからのテーマ
「デジタル・アジア・地方」の3つがこれからの吉本のテーマだということははっきりしています。
そしてデジタルの時代はコンテンツを持っているところが強い。たとえばピースの又吉直樹が芥川賞をとった小説『火花』。この作品にはたくさんのドラマ化のオファーがありましたが、あえて日本のテレビ局ではなく、アメリカ最大の動画配信サービスのネットフリックスで映像化しました。
またアマゾンプライムビデオという動画配信サービスとも提携して、いろいろと新しい取り組みを始めています。
実は、世間ではドラマやアニメがコンテンツだと言っているけれど、最強のコンテンツは──。

タレントをやる気にさせる

ゆりやんに「賭けてるで」、渡辺直美に…
僕のもとに不思議とみんなが集まってくれるのは、僕が人をだますのがうまいからかもしれません。タレントがうれしくなるようなことを言って、やる気にさせることが大事だから。
たとえば、ゆりやんレトリィバァに、「おまえは素晴らしい。吉本はおまえに賭けてるで」と言った3秒後に、渡辺直美に──。

吉本は野生動物の集まり

秋元康「吉本は野生動物の集まり」、吉本坂46の誕生
秋元康さんと食事をしたときのことです。
「大﨑さん、吉本って面白いですね」
「え、何が、何が?」
「吉本って野生動物の集まりみたいなところですよ。その野生動物のかたまりを世界のクリエイターに乗せると、いろんなことができますよ」

嫉妬しないと決めた

嫉妬は自分の世界を小さくする
僕がのちに吉本興業の取締役の一人になったとき、唯一決めたことがあります。
それは「絶対に人にジェラシーを持たないでおこう」ということ。

贅沢はモチベーションにならない

ストレス解消法。贅沢はモチベーションにならない
僕は基本的にマゾなので、贅沢したいとは思わない。食事だってフランス料理のフルコースとかより、薄暗いところでおかずの少ないお弁当をボソボソ食べるのが、めっちゃ幸せ。
マネージャーの仕事をしていた若いころは、仕事が終わったタレントを送ったあと、売れ残りの駅弁と冷えたお茶を大阪駅のホームの一番端っこのベンチでひっそりと食べるのが一番の楽しみでした。

なぜ沖縄?

沖縄をエンタメのプラットフォームにする
いま吉本が力を入れているのが、沖縄をエンターテインメントのプラットフォームにしようという計画です。
「大阪の会社が、なぜ沖縄?」と思うかもしれません──。
(予告編構成:上田真緒、本編構成:長山清子、撮影:遠藤素子、デザイン:今村 徹)