上場。莫大なお金を手にして働く目的を見失う

2018/7/11

目的が音楽から上場に変化

エイベックスが輸入盤の仕事をしている頃、僕は顧問の依田巽さん(後にエイベックス社長兼会長)と一緒に年に10回ぐらいは海外出張をして、最先端の音楽を探し回っていました。
その時、ニューヨークだったと思いますけど、夜、依田さんとバーでお酒を飲んでいて、「エイベックスって、店頭公開とか上場とかいつかできますかね?」という話をしていたのが記憶に残っています。
ただ、どこまで本気で考えていたのかはわかりません。父親が株をやっていて、店頭公開だとか、ものすごい高い初値がつくものだとか、そういう断片的な知識を知っているだけで、自分でも夢物語みたいに語っていたと思います。少なくとも、創立10年で店頭公開までいくなんて思ってもいませんでした。
上場の話が具体的になってきても、僕はあんまりよくわかっていませんでしたね。上場は依田さんの仕事でしたから。僕は「とにかく売り上げをあげればいいんだろう」と思って、Every Little Thingと浜崎あゆみの仕事に集中してましたから。
だから、いまだに上場ってどうしたらできるのか、細かいことはよくわかっていないんですよ。今の若い経営者は、本業もやりながら上場の仕事もやっていて、すごいなと思います。
ただ、上場のために我慢をしなければならないことが増えていくのが苦しかったですね。
当たり前ですけど、事故があっちゃいけないわけで、過剰に不安になって、悪いことをしているわけでもないのに、出かけるときは個室を借りて、他人の目を避けるとか、他人と揉め事にならないように注意するとか、そういう小さな我慢もたくさんありました。
僕がやりたかったことは、音楽を作りたい、アーティストを作りたい、それでブームを作りたいということだったんですけど、決められた売上数字を達成しなければいけなくなるわけです。音楽よりも数字になっていくんです。
まあ、上場するんですから当たり前の話ばかりなんですけど、僕にはすべてが我慢に聞こえてしまう。
僕は上場なんてよくわからないから、依田さんから上場とはこういうものだと教えられると、そういうもんなんだと信じてしまって、上場ってものすごく大変なことなんだ、ものすごく我慢しなければいけないことなんだと思い込んでいたところはあります。
エイベックスにとって、音楽を作ったりアーティストを育てたりすることが、何といっても一番に大切な仕事で、その仕事を僕が中心になってやっているという自負があったんですけど、上場するとなると、上場とか経営とかもエイベックスにとって重要な仕事になる。
僕はしなかったんですけど、東京証券取引所とか銀行や証券会社の方ともおつきあいしなければならない。
エイベックスで音楽を作る、アーティストを育てるということが中心でなくなっていくのも、やっぱり我慢のひとつでした。僕も上場を目指すことには賛同していたんで、そんなことを後から言ってもしょうがないんですけど。

車30台を眺めてお酒を飲む

浜崎あゆみの4枚目のシングル「For My Dear…」をリリースした1998年10月、エイベックスは店頭公開をし、翌1999年12月に東証一部に上場します。
店頭公開の告知
ものすごい額のお金が入ってくるわけです。一生働かなくても生きていけるぐらいのお金が入ってくる。