【辻一弘】成功への道は、自分が何をしたいか理解すること
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今回の内容とは逸れますが、きのう、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』を見てきました!
あえて辻さんの技術を見せつけるかように、チャーチルの顔がアップになるシーンが何回かありました。それでも、絶対にメイクには見えません。
誰も話題にしませんが、気になっていることがあります。チャーチル役を打診されたゲイリー・オールドマンは「カズがやってくれるなら」と辻さんを指名したとのこと。
顔立ちの似ていないオールドマンをチャーチルに変身させた辻さんが評価されるのはもちろんです。しかしそもそも、チャーチル役に似ていないオールドマンを起用しようと思いついた人がすごくないですか?
そのスタッフは誰なのか、なぜオールドマンだと閃いたのか。そんな話を聞いてみたいのですが、どこにも報じられていないですよね・・・。「~をしたい」と「~になりたい」はずいぶんと混同されがちです。たとえば、「大学院で研究をしたい」と言ってくる学生がいたとして、どうしてかと聞いたら「大学教授になりたいから」だったりします。大学教授になって何をしたいか聞くと「会社に行かずに生活が安定するから」とか「テレビに出てる~みたいになりたいから」だったりします。そのことの良し悪しはともかく、この場合、「大学教授になりたい」のであって「研究をしたい」わけではないですよね。どうしても何か知りたいことがあってひたすら突き詰めて知りたいから研究したい、ではなかったりします。
「政治家になりたい」というのも、「行政をしたい」「立法をしたい」というわけではなさそうな場合がけっこうありそうです。
辻一弘さんの場合も「メイクアップ技術者になりたかった」わけではなくて、たぶん、メイクアップ技術を使って表現したい、とりわけ人間の顔を造ってみたい、というやむにやまれぬ「~をしたい」気持ちがあったのでしょう。こういう衝動は困難と併せて大きくなっていくことが多く、ソクラテスがてんかんと人間関係に悩み死刑になりながら人にものを訊ね続けたように、ヘレン・ケラーが言葉を見出したように、ライト兄弟が自分たちと周りの人々を不幸にしながらも飛行機を完成させたように、それを達成せずにはいられないため、やむにやまれず「~をしたい」とこだわり続ける人というのはいます。困難を与えられなければ人は成長しないとは思わないし、万人に当てはまることではありませんが、何の得にもならないのにそうし続ける人は確かにいます。
単に「メイクアップ技術者になりたい」というだけなら、米国に渡りアカデミー賞をとることはないでしょう。日本にいながらメイクアップ技術者として食べていくこともできます。「大学教授になりたい」というだけで後世に残る世界的な研究をしたり、「政治家になりたい」というだけで歴史に名を遺す統治者になる、ということはあまりないように思います。
辻さんの兄弟子であるリック・ベイカーは近年、メイクアップ技術や映画だけにこだわることをやめて、3D技術なども駆使しながら、様々な場で表現することに乗り出しています。元々、マイケル・ジャクソンのメイクを担当したりしていて、彼の場合も、メイクアップ技術者になりたかったわけではなく、何らかの表現をしたかったのでしょう。NPでもおなじみの慎泰俊さんの言葉に通ずるものを感じます。
”循環論的になってしまうのですが、自分が本当に得意なことが何かを知るためには、その物事を一生懸命にやってみる他には無いように思います。
これは原石から宝石を削り出すプロセスに似ています。ある石が本物の宝石かどうかは、実際に削ってみないとわかりません。”
https://newspicks.com/news/2720011/body/?ref=search