【ビートたけし×水野良樹】自分の「第一のファン」は自分だ

2018/3/30
現在、“放牧中”の「いきものがかり」のリーダー水野良樹氏が、先輩クリエイターたちに話を聴きに行くシリーズ。第1弾の糸井重里氏、第2弾の原泰久氏との対談に続き、第3弾はビートたけし氏が登場。自身初となる恋愛小説『アナログ』を通して「愛」や「作品作り」について語る(全2回)。
「暴力と性行為と愛」を考える
水野 たけしさん、僕は「いきものがかり」というバンドをやっているんですが、ご存じですか?
ビートたけし ああ知ってるよ。最初聞いた時「うまいの出てきたなー」って思ったよ。デビュー曲の「SAKURA」っつったっけ? サビの連続だよな。サビの部分が何回でも聞けるんだよな。
水野 ありがとうございます。僕も『アナログ』を始め、たけしさんの映画も拝見しています。いきなり大きなテーマですけど、たけしさんにとって誰かを愛するっていうことはどういうことなんでしょうか。
『アナログ』の中では、まるで母のような愛が描かれています。相手の存在がただそこに在ってくれればいい、相手の全てを受け入れるような愛が描かれていました。一方でたけしさんの映画では、そんな「受け入れる」愛とは表面的には相反するかのように見える“暴力”の描写もたくさんありますよね。そもそもたけしさんにとって、人を「愛する」ことと「受け入れる」ことは違うのでしょうか。
たけし ちょうどこの前、カタツムリの教授と対談してたんだ。カタツムリは面白くて、雌雄一体なんだ。繁殖する時はお互いに、角(つの)じゃないけど、生殖器みたいな器官を突き刺すのね。
で、あんまり何回も相手を刺し過ぎて殺しちゃうんだよ。だから子孫を残す行為というのは愛するという行為であるとともに、多分に暴力的なんじゃないかって思ってさ。性行為自体は愛とは関係なくて、ただの死と隣り合わせの繁殖。
だからカタツムリの場合、セックスする行為自体が子どもを作ることと殺すことと同じことをやってるみたいなことがある。考え方によっては人間とも似てるなと思ってちょっと笑ってたんだけどね。
『アナログ』で書いたのは愛することと繁殖とはまったく別物っていうこと。女性というのは母であったり菩薩のような存在で。その手の中で寝てみたいというか、手のひらの上に乗ってかわいがってほしいというか。でも自分のなかでは繁殖と愛することの区別があんまりつかなかった時期もある。
あやふやな感じが「愛」
芸人になって女遊びばっかしてたときに、性行為が愛する行為と勘違いしてたということもあるけどね。
だからすごい下品な話だけど、おカネを払えばそういうことができる店もいっぱいあるわけでしょ。でも、その愛情や情愛をおカネで果たして買えるのだろうか、と。
それに今はあまりにも簡単にデジタルで意思の疎通が伝わり過ぎる時代でしょ。でも本来、意思疎通や精神的なつながりっておぼろげなものなんだ。物理で言うと原子核の周りに電子が回ってる感じ。どこにあるかっていうのは分かんないんだよ。見つけりゃあるんだろうけど。
デジタル化が進んだことで、精神的なあやふやな状態がなくなった。実はそうしたあやふやな感じが“愛”ではないかと気づいた。
水野 確かに、『アナログ』の中では“ぼんやりとした”精神性を描いていますよね。一方で映画では“愛する人を殺す”という直接的な相手への干渉、分かりやすい暴力の形が出てきます。両者のバランスはどう考えていますか?
たけし やっぱり日向と陰じゃないけども、必ず、振り子のようにプラス10のものが、ポテンシャルとしてはマイナス10になる可能性が常にあって。「10の愛」の振り子を離すと「マイナス10」の愛、例えば暴力につながると思ってる。
だから、あまりに愛して、愛し過ぎると殺してしまうほどの愛に変わる。だけど、振り子が10じゃなくて0.1とか中途半端なところにいると、いつまでたってもプラス0.1とマイナス0.1を行き来するだけで終わっちゃう。
芸事でもそうだよ。
とにかくくだらないことが好きで、何時間もくだらないことを何千人の前でやりたいんだけど、それは、くだらないことをやるということについて真面目に何時間もやりたい自分がいるっていうこと。もっとくだらなく、もっとくだらなくと思うほど、実はもっとシリアスになっていく。
オイラん中ではそういう感覚でいるんだ。
水野 振り子の話だとどちらかに偏ることはないのですか? 片方にバーっと行きたいんだっていう欲には駆られないんですか。
自らを「俯瞰する」ということ
たけし うん。だからそれはね、本人が気が付いてないんだよ。お笑いのやつと話すとね、師匠や先輩のところに来てさ、「みんなが崩れ落ちるような、くだらないことを僕はやりたいんです」って「真剣な」顔で言うんだよ。
俺はそれ見て笑ってんだよね。
「いや、師匠、おかしいですか、僕はこんなに真剣なのに」って言うけどさ、そいつは真剣なんだけど、真剣だからこそ(外側から見れば)その姿が、一番くだらない顔に見えるんだ。本人が気付いていないだけで、「お前、真剣な話じゃないだろ」なんて。芸人に限らず現象には常に裏表がある。
水野 両方共存しているっていうことに気付くのって、やっぱり一度俯瞰(ふかん)して見ないと、“気付き”は訪れないですよね。
ビートたけし 自分を俯瞰してみる癖は小学校の時からあって。子どもの時はおいら、ワルでさ。
担任の先生が20歳ぐらいだったかな、体育大学なんかを出てて、暴力もすごくてね。学校のガラスを割ったときに5、6人立たされて、ボコボコぶん殴ってくの。もう鼻血出してるやつはいるし。
で、いよいよ俺の番だって思って「うわー」って思った瞬間に、ぱっと殴られてる自分たちの絵が見えちゃったことがあって。隣で殴られてるやつは横にいるはずなんだけど、斜め上から見えてて、間抜けな顔して泣いてんだよね。
ビートたけし(北野武)/1947(昭和22)年、東京都足立区生まれ。漫才コンビ「ツービート」で一世を風靡。その後、テレビやラジオのほか、映画や出版の世界でも活躍。1997年「HANA-BI」がベネチア国際映画祭グランプリを受賞。著書に『間抜けの構造』『テレビじゃ言えない』『アナログ』など。
それ見ておかしくなっちゃって笑っちゃうと「何がおかしいこの野郎!」つってまたぶん殴られる。あまりにもぶん殴られるの嫌だなと思ったのか、自分自身から、痛さや何かから抜け出して俯瞰になっちゃったっていう経験があって。
それ以来、俯瞰するのが癖になっちゃった。イヤなことがあると俯瞰して独り言みたいに「たけちゃん大変だなー、またこんなことになっちゃった」って自分にしゃべりかけんだ。隣に俺がいるような感じでさ。その癖がついちゃってる。
水野 確かに、たけしさんが自分のことを話される時ってすごく俯瞰的に話しますよね。ご自身にまつわるさまざまな事件やアクシデントの数々について話される時ってすごく俯瞰になるじゃないですか。
なぜ俯瞰で物事を見ているのに、暴力やセックスといった生々しいものが描けるんだろうと不思議なんですよ。たけしさんの描く暴力って自分が何かそこで殴られているかのような感覚になるほどリアルに思えます。
「今度は俺が書く」
たけし 多分ちょっとディレイ(※遅延)してて、俯瞰があとから来んじゃないかと思ってんだよね。だから、思い出話って全部俯瞰の話じゃん。
作品はなるべく、リアルにリアルになるように描くんだけど、映画っていうのはある程度撮ってから公開まで日にちがある。そうすっと、いつの間にか今まで撮ったシーンを俯瞰で思い直してるっていうか。そうすっと、それを修正するためにもうちょっとリアルにやろうと工夫する。
水野 なるほど。ですが、映画のような撮影から編集までという時間差がある表現に対して、小説だと書いた文章がそのまま表現となり、“ディレイ”が存在しないとも言えるように思います。なぜそもそも小説を書こうと思ったんですか?
たけし おもしろいのはね、外国とかでは「たけしは、男と女、男女の話をあまり描かないね」って言われるわけ。
「いや、『あの夏、いちばん静かな海。』を撮った」って言うんだけど、「いや、あれは男女の話ということももちろんあるけど、ちょっと違う。完全に男と女が付き合う話じゃない」って言われるから。
じゃあ撮ってみようかなって脚本を書いた。で、脚本を書いたら、ちょっと映画化は大変だ、俺には無理だと思った。そうしてるうちに又吉(直樹)が芥川賞取った。「あの野郎」と思って頭きちゃって、じゃあ俺が書くって(笑)。
新潮社は怒るんだけど「今度は俺が書く」って伝えてさ。「じゃあ今まで誰が書いてたんだ」って怒られちゃうんだけどさ(笑)。
水野 (笑)。小説を書く上での難しさは?
たけし 映画だったら無意識に車が行くシーンをただ10秒ぐらいカメラでずーっと追えばいい、パンすりゃいいぐらいのもんなのね。
でも小説になると「夕日が落ちかけた関越道をBMWが嫌な音を立てながら、出口を間違えて…」と書かなきゃいけない。当たり前だけど、「一瞬の出来事なのにこんなに書かなきゃいけないのか」って。
小説で大変なのは情景描写だけじゃない。今度は本人の意識の説明もある。「この時に悟は何を思ったか」を書かなきゃいけない。となるともう既にそれは、悟っていう生き物、人間の行動を俯瞰で見てる感じなのね。
脚本は書き上げてあったから、セリフはできてんだけど、「そんとき何の表情も変えずこう言った」とか、「はっと驚いたように」とか、「珍しいものを見るように」とかね。それは全部筆者であるオイラの俯瞰になる。
ビートたけしのものづくりの姿勢
水野 作品をリリースした後についてはいかがですか? 書籍にしろ、映画にしろ、たくさんの人が見ていて、それぞれに解釈していろんな意見が出てくるじゃないですか。音楽をやっていて思うのは、今って何につけても“共感されたもん勝ち”かのように言われることも多いように思います。
「マーケティング」みたいな単語が(本来の意味を離れて)安易に使われて、作品を味わう側に媚(こ)びるかのような作品作りが、ある場面では礼賛されているような気さえします。
たけし 第一にオイラが忘れないようにしてるのは「自分の一番のファンは自分」っていうこと。何より自分が一番気に入った映画を作りたいと思う。
水野良樹(右、みずの・よしき)/「いきものがかり」のリーダー、ギター担当。1982年、静岡県生まれ。5歳から神奈川県で育つ。1999年、高校生のときに現メンバーの山下穂尊(ギター&ハーモニカ)、吉岡聖恵(ボーカル)といきものがかりを結成。明治大学中退、一橋大学卒業。2003年にインディーズデビュー。06年にエピックレコードジャパンからシングル「SAKURA」でメジャーデビューした。
あともう一つは一番の評論家は自分だっていう。だから自分の中で文句も自慢も全部解決しちゃってて、それでリリースしてる。失礼な言い方だけど、どう解釈されようといいんだよ。
だから、別にお客さんに気に入られることを前提としてやってるわけじゃない。自分がおかしい、くだらないと思ったことを出すだけ。
そこでお客さんもくだらないと思うだろうなというような、希望的観測を持っていて、それがあまり外れていないだけなんだよ。そのやり方で今までやってきて、まだ仕事があるんだから、もう今さら変えようがないよね。
水野 自分の作品を正確に理解されたいと思ったりはしないんですか?
例えば、自分が本当に描きたかったことを作品を見た評論家がずばり言ってきた時は、うれしいですか?
たけし こと映画や自分の芸について、俺ぐらい文句言われてるやつはいないよ。「ソナチネ」なんて映画館では2週間もかからなくて打ち切りになったけど、結果として世界的に一番評価されたり。
だから褒められるとうれしいっていうよりも、“ホントかなあ”って思っちゃうよ(笑)。
水野 言葉ではそう言いながらもたけしさんの作品には、菩薩のようなというか、自分の存在を全て受け入れてくれるみたいな女性像がすごく頻繁に出てくるような気がしています。
恐縮なんですけど、たけしさんの中に「愛されたい」という強烈な欲求があるんじゃないかな、っていうふうに思ったんです。
たけし まあ基本的に言うとマザコンだから(笑)。俺ぐらいのマザコンはいねえって思うよ。こう言うと女性蔑視って怒られるかもしれないけど、女性は“存在感”ってのがある気がする。
男が最後に泣きついていくようなとこに女の人がいるんじゃないのかな。
水野 たけし軍団の皆さんへは愛ですかね(笑)?
たけし あれは愛っていうよりも心配だね。それもみんな(たけし軍団から)オイラへの心配だった。
話聞くとさ、軍団のヤツら、「ほっとくとあの人何すっか分かんないから」って言うんだよ。「なんだおまえら、喜んでやってたんじゃねえのか」みたいな。「いや、心配でやってたんですよ」っつってさ。
映画も同じだね。「この監督どうにかしないと、われわれが一生懸命やんないと自分で崩れていってしまう」って。だからみんなに支えられてきた。オイラは支えてたつもりが支えられてたんだ。
水野 いい話ですね。
たけし へへっ(笑)。
(文:武田鼎、企画編集:FIREBUG、写真:栗原洋平)
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