ジャパニーズドリームを叶えた7人の男

2018/3/19

汗と涙のサクセスストーリーではない

「日本で働くということ:ジャパニーズドリームを叶えた7人の男」。
この特集には、日本で暮らしながらユニークな仕事をする7人の外国人が登場する。
イギリス、中国、スウェーデン、フランス、ベルギー、オーストリア、インドという7カ国で生まれた男たちの人生と仕事に焦点を当てたストーリーだ。
職業もクリエイティブディレクター、起業家、日本茶インストラクター、弦楽器職人、神主などバラバラだが、共通しているのは成人してから日本に渡ってきて、自ら道を切り拓き、日本を第二の故郷としていることである。
そう書くと、「日本すごい!」的な内容や、外国人の汗と涙のサクセスストーリーだと思われるかもしれないが、それは違う。
7人は周囲に惑わされることなく、独自の価値観を貫いてきた。そうすることで自らの仕事を確立し、現在の地位を築いた。
意外性に溢れた彼らの思考や言動は、何かしらの壁を突破しようとする日本人に、ヒントをもたらすかもしれない。あるいは、ビジネスチャンスにつながるかもしれない。

山奥から変革を期すアメリカ人

この特集を組むきっかけは、博多弁が達者なアメリカ人、ダグラス・ウェーバーとの出会いだった。
アップルのエンジニアとして活躍していたダグラスは、仕事を辞めて福岡県の糸島に移住。現在は糸島の山奥に建てた自宅兼ラボでコーヒーのグラインダーやエスプレッソマシンの開発を手掛けている。
なぜアップルの元エンジニアが糸島に? なぜコーヒー? どんなものを作っているのか? という疑問を出発点に取材に出向いた。
なによりも興味をひかれたのは、アップル流の精神でつくったプロダクトでコーヒー業界にイノベーションを起こそうというその壮大な野望の拠点が糸島の山奥であることだ。
常識的な日本人は、コンビニもない、若者もいない、町なかまで車で30分以上かかる不便な町で世界に挑戦しようとは思わないだろう。
ダグラスのようなユニークな外国人が、ほかにもいるかもしれない。その人たちの話を聞いてみたいと思って探し、リストアップしたのが今回の特集で登場する7人だ。

日本人にはない視点

「専門家じゃないから、アイデアが制限されない」
生活やビジネスの場として注目されていなかった土地に魅了され、それを大きなビジネスにつなげたのはイギリス人のクリエイティブディレクター、ショウヤ・グリッグだ。
ショウヤは、24歳の時に旅行で来た北海道の自然が気に入って、移住。
札幌で仕事をしていたが、雪、温泉、山、食べ物、景色と魅力的なコンテンツがあるニセコに可能性を感じ、まだ今ほど観光客が多くなかった時期からレストランやホテル、ギャラリーなど人気スポットを次々とプロデュースしてきた。
昨年発行されたミシュランガイド北海道2017特別版で、宿泊施設のカテゴリーで最も高い評価の5レッドパビリオンを獲得したラグジュアリー旅館「坐忘林」のクリエイティブディレクターを務めたのも、ショウヤである。
「日本茶は衰退産業と言われますけど、今一番楽しいですよ」
同じように、日本人でもほとんど知らないような分野でチャレンジしているのは、スウェーデン出身のブレゲル・オスカルだ。
彼は高校生の時に、岡倉天心が英語で出版した『茶の本』を読んで日本茶に惹かれ、来日。合格率30%の日本茶インストラクターの試験に日本語で挑み、見事に合格を果たした。
そして現在、日本茶を海外に広める伝道師として海外を飛び回っているのだが、彼はいま、「シングルオリジン」の日本茶に将来性を見いだし、「明るい将来が絶対ある」と語る。
「事業計画は考えてなかったんです」
「Bento&co」の代表を務めるフランス人、トマ・ベルトランも、同様だ。
京都でブロガーとして活動していたトマは、ひょんなことから海外向けに「弁当箱」のECを開始。その後、リアル店舗も京都に開き、わずか8年で売り上げを2億円にまで伸ばした。
購入者の国籍は、100カ国に達する。弁当箱が鉱脈だと感じるのは、外国人ならではだろう。

日本でソーシャルビジネス

「誰も犠牲にせず、お互いをハッピーにするのがポリシー」
日本で、「三方よし」の事業を立ち上げたのは、中国人の董 路(ドン・ルー)だ。
北京で生まれたドンは、20歳の時に日本に留学し、ゴールドマンサックスで勤務した後、渡米。スタンフォード大学でMBAを取得してから中国に戻り、中国で2社を立ち上げた。
しかし、子どもの誕生を機に再来日。主に中国人の訪日旅行者と日本の飲食店をつなぐ飲食店予約、QRコードを用いた店頭スマホ決済サービス「日本美食」を立ち上げた。
誰でも簡単に導入、利用ができるこのシステムで、「日本の美しい田舎、地方の飲食店に貢献したい」と語る。
「西葛西はコスモポリタン」
インドのカルカッタ出身のジャグモハン・チャンドラニは、在日インド人を対象にしたソーシャルビジネスの連続起業家だ。
2000年問題を契機に、日本で働くインド人のエンジニアが急増。チャンドラニは、彼らとその家族のニーズに応えるために、自分の住まいと会社がある西葛西で次々とサービスを立ち上げてきた。
1998年の時点では西葛西に8人しかいなかったインド人が、現在では3000人を超えているが、そのきっかけと生活のインフラを築いたのが「リトル・インドの父」と呼ばれているチャンドラニだ。

日本だからこそ、の仕事

「なにがベストか、答えがない。だから楽しい」
日本人の好みに自分の居場所を見いだした人もいる。ベルギー人のフィリップ・クイケンは、日本でバイオリンやビオラ、チェロを作っている弦楽器職人だ。
世界的な演奏者の父を持つ彼が、なぜ埼玉の田園風景のなかで弦楽器を作っているのか。
彼の仕事はほとんどが手作業。チェロ1台を作るのに、約4カ月かかる。その繊細な手仕事を評価し、支えているのが日本人ユーザーだったのだ。彼は長閑な風景が見える工房で、好きな手仕事に没頭できる生活を、「足りないものがない」と表現した。
「神道は道であり、道は生きることそのもの」
オーストリア人のウィルチコ・フローリアンは、日本の長い歴史上、初めて神主になった外国人だ。彼は子どもの頃から神道に魅せられ、その思いを貫いて神職に就いた。
ウィルチコは、自分が外国人として異色の存在であることを理解しながら、日本人が知らない、あるいは忘れてしまったような物語を語る。そうして日本の過去と未来をつなぐことに、仕事の意義を見出している。
今、日本では地方創生が最重要テーマである。その文脈でよく「よそ者、若者、ばか者」が大切だと説かれている。
今回登場する7人は、まさしく「よそ者」だ。彼らの話を聞いていると、そんな考え方もあるのかと何度も驚嘆し、彼らの大胆な行動力にも瞠目させられた。
彼らの感覚や言葉は、日本人にとって発見の連続だ。そのような想像を超える刺激から、新しい何かが生まれるのだろう。
(写真:川内イオ、デザイン:星野美緒)