日本茶こそ、わが人生。スウェーデンから来た「日本茶伝道師」
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シングルオリジンはカカオ豆の世界でも同じだ、メーカーは安定供給したいゆえ混ぜ込みショコラを製造する、しかしトップを走るパティシエやショコラティエはシングルオリジンで個性的なアロマを持っカカオ豆やショコラの美味しさに気づいているのだ、メーカー側もシングルオリジンのショコラを作りアプローチはするが、少量しかない最強のアロマビーンズでの生産は難しい、カカオティエという少量で多品種のシングルオリジンの豆でショコラを作るカカオティと組むことで更に個性的なショコラを入手する事ができるのだ。お茶の世界にしろ、しっかりとした個性を打ち出す時代になってきたのだと思う、ストーリーの無い美味しさは長くは続かない。シングルオリジンは最高のストーリーを与えてくれる。
この記事を書いたライターの川内です。
オスカルさんの話を聞いていて、一念岩をも通すという言葉を思い浮かべました。最近の日本では「好きなことで勝負しよう」とよく言われていますが、オスカルさんほどの情熱があると、道が拓けていくのだなと。
あと、僕も日本茶が好きでよく飲むのですが、「やぶきた」の話や「ブレンド」の話は全く知りませんでした。日本茶の関係者にとっては当たり前すぎてどうでもいい話なのかもしれませんが、自分が飲んできたお茶の恐らくすべてがやぶきたブレンドだと思うと驚きです。
それだけに、シングルオリジンの存在にはワクワクしました。もっと広く知れ渡れば、日本茶の可能性が格段に拡がる気がします。とりあえず、東頭の取材に行きたい!茶は、中国で生産、享受されることが始まり、17世紀に英国に伝わりやがて国民的飲料となったことで、世界的な商品となりました。英国統治下のインドもまた茶の巨大な生産地および消費地となりました。
日本では、茶は仏教僧らにより中国から伝えられたものの、江戸時代に至るまで、高級嗜好品でした。茶が日本人にとっての日常的な国民的飲料となったのは、幕末から大正時代にかけて、日本茶が主力輸出品の一つになり、生産が急増したことによるものです。
戦前の日本茶の最大の輸出先は、米国であり、もし日本茶が米国の国民的飲料となっていれば、日本茶は世界的な商品となっていたでしょう。それが失敗した理由は、日米関係の悪化、貿易不均衡、南米でのコーヒー生産増加、などがありましたが、一つの原因は、セールスの仕方がうまくなかったことです。米国に向けたブランドの確立、米国市場のマーケティング、日本国内での品質管理、等々、ほとんどといっていいくらい、行われませんでした。
現在、欧米のみならず、東アジアなどでも、「抹茶ブーム」と呼ぶべき需要はあります。しかし、飲料としての日本茶が有力な商品になっているわけではありません。もし再び、日本茶を輸出商品として再興できるのであれば、世界各地それぞれの市場にあわせたブランド確立、商品開発、市場調査、品質管理が必須になります。それには、各地の市場の出身者の参画が必要になり、現代であれば可能なはずです。外国人労働力の導入が議論される際には、こういった商品開発などの段階でどれだけメリットがあるかということも考慮されるべきです。