私たちは今、国民主権と民主主義の危機に直面している⁉︎
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情報公開法は、主権者たる国民が正しい「最終的決断」をするために必須の材料を提供するものです。
理念と現実が乖離しているという考えもあるでしょうが、この理念は極めて重要なのです。
行政の恣意性を防止するために行政手続法が制定されて機能しているのも、国民主権という理念があるからこと。
今回の事件だけをとってみれば、大した書き換えではないかもしれません。
しかし、私は声を大にして言いたい!
内容ではなく「書き換えが行われていること自体」が大問題なのです。
みなさんも主権者の一人として、よくお考えになってくださいね。
注目のコメント
公開非公開以前に改ざんですからね。組織を守るためとは言え、一線越えてるなという感じはします。
私のみている範囲でも、最近の官僚は確かにやりたい放題な感じがします。
官僚がそうなるのは、政権末期のドサクサ時と、安定政権の時かなと言う気がしますね。
「主権」は国民にある、と頭でわかっていても、ピンと来ない人が多いのも事実。「主権」を、「自分(国民)が損する政策を拒否する権利」くらいにしか思っておらず、「大事なことはできれば誰か他の人に決めて欲しい」と、心理的に主権を放棄して、文句だけ言っている人が多いことも事実かなと。
そういえば、福島第一原発事故の「国会事故調」にも、聴取はしたけれど掲載されていないものが多数あり、例えば政府側が福島の津波対策の必要性を認識していながら、放置していた証拠等が公表されていないのではないか、という疑惑があり、それが現在行われている刑事裁判で明らかにならないか期待しています。行政が文書を厳正に管理することは、経済活動で帳簿に正しく記帳し管理するのと同等のことのはずで、これらのことは国家や企業を運営するための基本中の基本であって、どのような事情があってもゆるがせにしてはならないこと。
そうしないとたとえ会社が潰れるとしても、不正会計は犯罪です。会社が潰れたら困るという理屈はわかるけれど、でも、許されないものは許されない。その論理は国家であっても、同じでなければならないはずです。
存在の重要度のおいて国家と企業とでは比較にならないということもあるかもしれません。だとしたら、だからこそ倫理の重さも企業とは比較にならない。
国家の存立は重大事だけれど、だからといって、国家を国家たらしめている理念とそれを支えている倫理を後回しにしていいということにはならない。実際には存立の方を優先しなければならないとしても、「だから許される」論だけは(それが本音であったとしても)謹んで、抗議をする(ふり)をしないといけない。
大人であるなら、この辺りの最低限のところはキッチリと理解しておきたいものです。穂積さんのコメントはNewsPicks的にはインパクト大。
公文書改ざん事件に対してのポジションのとり方は、イケてるビジネスパーソンとしての思考能力をはかるリトマス試験紙と言えそうです。
ちなみに、銀英伝を本が擦り切れるくらい中学生の頃読んだ私。盛夫さんのコメントを見て、銀英伝の奥深さをあらためて痛感しました。