荘司雅彦オフィシャルブログ「荘司雅彦の最終弁論」powered by Ameba
コメント
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私はセックスかどうか以前に、肌をふれあい続けることがまず基本かな、と思ってます。セックスはその延長線上にあるものかなー。
そういう意味では、人前でも自然に手を繋いだり腕を組んだり、腰に手を回したりできない相手はまずだめなんだと思います。子供がお母さんに触られていると安心するように、自分を委ねられる人と自然に触れ合っているのは、生き物として幸せじゃないかなと。その感覚に2人が素直で、互いを幸せにしたいと思っていれば、セックスの嗜好性がどうとか以前にうまくいくんじゃないかなー。
と、人生セカンドラウンド入った私は、言ってみる。
注目のコメント
この問題は、性の問題のようでサニアラズ❗と言いたいです。
お互いへの思い遣りです。
自己中な性であれば「相性が…」となるでしょう。
体調や精神状態で、毎回の受け止め方は違うはずです。
それを「相性」のせいにするのは、人を愛せない証拠。
毎回満足したければ、風俗に行けば良いのです。
「相性」を求めてさ迷うのであれば、どうか「性病」の予防だけは確りして下さい。
家族や恋人に移すのは、避けて下さいませ。
それと「さ迷う」相手は、選んでくださいね。
貴方は「相性」並びに「快楽度」の追求であっても、相手は貴方に命懸けの恋をしているかも知れません。
人を傷付けないように…極力注意を怠らないように。人生やセックスに快楽を求めるか充実感を求めるかの違いはベクトルが真逆なので大きな違いとなります。快楽を求める場合はついつい「自分さえ良ければ良い」という形になりやすいので後味が悪くなりやすいでしょう。
それに対して充実感を求める場合はその源である健康や自己実現や愛を大切にするため「相手も自分も喜べるのが良い」という形になりやすく、後味が良くなりやすいですね。