2014年、サリナスバレーのレタス畑

カリフォルニア州サリナスバレーに広がるエメラルドグリーンのレタス畑。2014年10月のある晴れた日、ホルヘ・ヘロー(47)はそのど真ん中でキレそうになっていた。
ヘローは農業ロボット・ポテト(Potato)のフィールドテストをしていた。ポテトは、芽が出て葉が数枚程度のベビーレタスを間引きして、成長のいい苗を残すロボットだ。
ただし、『スター・ウォーズ』のC-3POのように人間の形をしたロボットが虚弱な苗をひとつひとつ引っこ抜くわけではない。インクカートリッジのような装置がずらりと並んだ台車が、トラクターに引っ張られて畑を移動している。
ポテトは、台車に設置されたカメラで苗を見て、育ちのいい苗を瞬時に見極め、弱そうな苗は高濃度の肥料を噴射して息の根を止める……はずだった。だがサリナスの畑で、ポテトは期待どおりの働きをしていなかった。
ロボットは管理された環境が大好きだが、ポテトはトクターから発散される熱とほこり、それに震動で調子がおかしくなっていた。電気系統がショートし、ノズルは機能せず、冷却ファンは泥がこびりついて動かなくない。ポテトに指示を出すパソコンは30分おきにフリーズして、ブルースクリーンが映し出された。
そのたびにヘローは、どんどん暗い気持ちになっていった。ポテトのベータ版(それぞれシーザー、コブ、チキン、ウェッジ、ジェローなどサラダの名前がついていた)で何カ月もテストしてきたのに……。すでに農家へのリースも開始しているが、どうやら時期尚早だったらしい。
2日後には、ブルー・リバー・テクノロジー(Blue River Technology)の取締役会が開かれる。
ヘローはそこで、ポテトことレタスボット(LettuceBot)の問題を投資家たちに説明しなくてはならない。ブルー・リバーはそれまでに1300万ドルを調達しており、投資家たちは、信頼できるロボットができたという報告を心待ちにしていた。
青緑色の目と彫りの深い顔立ちのヘローは、感情をむき出しにすることはめったにない。それでもストレスがたまっているせいか、最近は湿疹ができて、寝つきも悪く、胸焼けがする。

取締役会が下した意外な判断

もともとヘローが投資家にプレゼンしたロボットは、レタスボットではなく、除草剤の使用量を大幅に削減できるスマート除草機だった。
それが実現すれば、シンジェンタ(Syngenta)やバイエル(Bayer)、BASF、ダウ・デュポン(DowDuPont)、モンサント(Monsanto)などが支配する280億ドルの農薬市場を破壊できる。
土壌の微生物叢(マイクロバイオーム)を保護し、水生動物種や両生類を守り、世界中の水路の水質も改善できるだろう。ヘローが自分のスタートアップに、ブルー・リバー・テクノロジーという名前をつけたのもそのためだ。
取締役会当日、ヘローはクビを覚悟でレタスボットのテスト失敗を報告した。だが、意外にも取締役会はヘローを更迭することなく、状況改善に励むよう背中を押した。
そこで20人からなるヘローのチームは、24時間年中無休のトラブル解決作戦を開始した。シリコンバレーのオフィスに交代で泊まり込み、夫や妻の助けも借りてレンチを締め、冷却ファンを設計しなおし、取り付け具を組み立てた。材料を変更して、薬物の調製も見直した。
ヘローも胃薬のTUMS(タムズ)を大量に摂取して作戦に参加した。おかげで2015年までに、畑できちんと機能するレタスボットが完成。サリナスとユマ(アリゾナ州)でリース事業を拡大することができた。
2017年には、アメリカで生産されるレタスの5分の1がレタスボットで間引きされた農場で生産されるまでになった。この成功は、ヘローと投資家たちをおおいに活気づけた。
だがそこに、もっとワクワクするニュースも飛び込んできた。マイクロチップメーカーのエヌビディア(Nvidia)が、莫大な処理能力をもつコンピュータープラットフォームをリリースしたのだ。
自動走行車のナビゲーション用に設計されたものだが、農業ロボットでもカメラで取得したデータや情報を今まで以上にたくさん処理できるようになる。ということは、ヘローが夢見たスマート除草機も実現できるかもしれない。
さらに2017年9月には、農機大手ディア・アンド・カンパニー(Deere & Co.)が、ブルー・リバーを3億500万ドルで買収することになった。
アメリカ最古の農機メーカーであるディアの傘下に入れば、世界中で農薬使用量を減らし、食料生産の仕組みを根本から変えるというヘローの壮大な目標を達成するのも夢ではないかもしれない。

「人間ではなく機械のやる仕事だ」

ブルー・リバーの本社は、カリフォルニア州サニーベールのガラス張りのビルにある。近くにはジュニパーネットワークス(Juniper Networks)やロッキード・マーティン(Lockheed Martin)の宇宙システム部門、ヤフー(Yahoo!)などの先端企業が集まっている。
ヘローは「アグリカルチャー2.0へようこそ」と静かに言うと、ありふれたオフィスに招き入れてくれた。
72人の社員のうち、本物の農業の経験があるのはヘローと共同創業者のリー・レッデンら数人だけ。あとはソフトウエアや機械系のエンジニアで、ハーバードやスタンフォード、オックスフォードやカリフォルニア工科大といった名門大学の出身者ばかりだ。
ブルー・リバーが農業関連のスタートアップであることを示唆する数少ないヒントのひとつは、「アイ・ラブ(ハートマーク)・ソイル」というヘローのパソコンに貼られたステッカーと「敵」を思い出させる額縁の写真くらいだ。そこには、広大なトウモロコシ畑に除草剤を空中散布する黄色いセスナが写っている。
ヘローは、ペルーの首都リマで生まれ育った。父親は電気技師で母親は小学校教師。幼少のときから算数が大好きで、5歳のときには電話帳を開いてそのページに掲載されている電話番号を足して遊んでいた。
週末や放課後はよく、父親の勤め先に連れて行ってもらった。工場自動化(FA)を請け負う会社ディジタ(Digita)だ。夏休みは、リマの北部にある祖父母の農場で過ごした。主な作物はトマトと米だ。
ヘローは、農場の楽しい部分は大好きだった。それはトラクターや四輪バギー(ATV)を運転したり、サワーソップ(トゲバンレイシ)の果樹園を走り回ったりすることであり、ニワトリ小屋で卵を集め、祖母の焼くケーキやパイを食べることだった。
だが、重労働は馬鹿げているような気がした。たとえば朝5時半に起床して、6時までに畑に出て、ひたすら雑草を抜く作業。「どんなに小規模でも、農場とは基本的には大きな屋外工場なんだと、子ども心に理解した」と、ヘローは言う。
「畑では、何十人もの子どもが腰を曲げて雑草を抜いていた。『これは人間じゃなくて機械のやる仕事だ』と思ったのは7歳の頃だった」
学業優秀だったヘローは、14歳のときには父親のためにソフトウエアを設計していた。やがてペルーの名門大学で、南米の優秀な数学者が集まるカトリカ大学に進学。学業のかたわらソフトウエア開発も続け、ニワトリの餌工場の自動化プロジェクトを率いたりもした。
するとスタンフォード大学から、奨学金付きで電気工学の修士課程に来ないかという誘いがきた。
こうしてスタンフォードを卒業したヘローは、GPS関連のテクノロジー企業トリンブル(Trimble)に就職。自動運転トラクター設計チームのリーダーになった。この技術は現在、先進国の農業生産の約80%で使用されている。
2008年、トリンブルの事業開発部長となったヘローは、土壌の水分を測定するデジタルセンサーを作る会社などを買収した。
しかしそこで自分の会社を持ちたいと思うようになり、スタンフォードに戻ってエグゼクティブMBAを取得。このとき、スタンフォードのイントラネットに「農業最大の問題を解決しよう」という記事を投稿したところ、ロボット工学の博士課程にいたレッデン(当時24歳)が返事を送ってきた。
ネブラスカ州出身のレッデンも、夏休みになると叔父のトウモロコ畑を手伝って育った。そしてレッデンも、ヘローのような天才肌だった。15歳になるときまでに自動車整備工のアルバイトをし、オートバイや4輪駆動車、ゴーカートを組み立てたり修理する副業をしていた。
スタンフォードでは、卓球の練習から小児CPR(心肺蘇生法)まで、あらゆることができるロボットを作った。「でも、それはみんなラボの棚に置かれたまま、ほこりをかぶっていた」とレッデンは言う。「何か現実の世界で生かせることをしたかった」

農薬全廃の夢はやぶれたが

ヘローはさまざまな農業災害についてリサーチを開始した。メキシコ湾とバルト海で低酸素のため海洋生物が生息できない「デッドゾーン」が生まれた問題、ハチ群崩壊症候群(CCD)、土壌荒廃、アレルギーや癌などの健康被害──。「すべては無差別的な大規模農薬散布と結びついていた」とヘローは語る。
そこでヘローとレッデンは、機械に農作物と雑草の違いを教えて、雑草を機械的に取り除くか、非毒性物質をピンポイント散布することで除草できると考えた。
2人は「非毒性除草剤」として高温の泡やレーザー光線、電流、沸騰水を使うことを検討した。こうしたロボットは有機農家に需要があるはずだ。彼らは無農薬の除草法に多額の投資をすることで知られていた(機械耕作もそのひとつだが、燃料を大量に食ううえに、土壌にダメージを与える恐れがある)。
数カ月にわたるリサーチの結果、ヘローとレッデンは残念な事実を認めなくてはならなかった。農薬を完全に使わない経済的な除草方法はなかったのだ。「電力や熱湯で雑草をやっつける方法は、農薬よりも時間とエネルギーがはるかにかかることがわかった。しかも効果の保証がない」とヘローは言う。
これらの方法では、雑草の目に見える部分は取り除けるかもしれないが、根は取り除けない。一方、ロボットが機械的に引っこ抜く方法は、農薬をピンポイント的に噴射するよりもはるかに時間がかかる。
こうして2人は、除草剤を精密に使う方法を探す研究に焦点を移すことにした。ヘローはブルー・リバーの資金調達の第1ラウンドで、農薬大手モンサントとシンジェンタの投資部門にも除草ロボットのプレゼンをした。両社が投資に応じてくれれば、その農薬と植物学者と協力できるし、既存の農家からの信頼も得やすいと考えたのだ。
だが、反応はいまひとつ。「ホルヘのトリンブルでの仕事には感心した。実に頭がいい」とシンジェンタ・ベンチャーズのガブリエル・ウィルモス投資部長は言う。「だが当時は、理想に燃える夢想家のようなところがあった」
このため、シンジェンタは第1ラウンドを見送ったが、その後もレタスロボットの進化を観察し続け、第3ラウンドで投資に踏み切った。
モンサント・グロース・ベンチャーズのキアステン・ステッド投資部長も、第3ラウンドで投資に応じた。その金額は、アグリ業界では形だけと言っていい数百万ドルだったが、やはりブルー・リバーの動向をチェックし続ける意味合いがあった。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Amanda Little記者、翻訳:藤原朝子、写真:rightdx/iStocok)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.