神戸のやんちゃくれ集団、球児を“野球バカ”にしない教育法

2018/2/14
テレビ画面に映し出されたナインの姿に唖然(あぜん)とした高校野球関係者は少なくなかった。
2004年秋の神宮大会のことである。
その年の秋季近畿大会を制して2度目のセンバツ甲子園出場を確実にしていた神戸国際大学附属は部員全員を五厘刈りにして大会に挑んでいたが、その頭髪以上に目を奪われたのが薄く短く剃り上げられた眉毛だ。
「当時、気合を入れるためという理由で、選手たちの髪形を五厘刈りにしていたんですけど、頭が青っぽくなって、眉毛が濃かったら、アンバランスですよね。高校生ならそうしたくなるのもいまなら分かるんですが、当時の僕の認識が甘かったです」
神戸国際大附の指揮官・青木尚龍である。
反省とともに当時を振り返ってくれたが、神宮大会がCS放送で中継されていたこともあって、ナインの“いかつい眉毛”はちょっとした話題になった。
いや、正確にいえば日本高校野球連盟は問題視した。
翌春のセンバツに出場すると、ある試合前、日本高野連の田名部和裕事務局長(当時)が青木とナインのもとへやってきて、厳しくただしてきたという。
「監督、そして、君、ちょっと来なさい。君の眉毛な、いま、こんな(短さ)やねん。私ら、見とくよ。夏の大会までどうなっているかずっと見とくからね。今後、(眉毛は)いじらないって約束できるか?!」
あれから12年が経った2017年、創部以来初の春・夏連続甲子園出場を果たした神戸国際大附のナインのなかに、かつてのような眉毛をしていた選手は一人としていなかった。
それだけではない。
夏の甲子園2回戦で前年準優勝の北海(北海道)を相手に、2年生の谷口嘉紀の3ラン本塁打で逆転勝ち。3回戦の天理(奈良)戦では延長戦の末に敗れたものの、試合後のインタビュールームでは泣きじゃくる風でも、敗戦に不機嫌な態度を取る風でもなく、気丈に振る舞いしっかりとした言葉でインタビューに応えていた。その立ち振る舞いは模範的だった。
指導者がつくり出す環境次第で人間は成長していける。
神戸国際大附の歩みには教育のヒントが隠されていると、その時に感じたものだ。
実は、「文武両道」をテーマにした本連載の第12回を書き終えた時から、ずっと取り上げたいと思っていたのが神戸国際大附のようなチームだった。
連載第1回で安田尚憲選手(現ロッテ)を特集した際、彼自身が幼少期から歴史の勉強を通して読書を続けていたことが野球でも生き、「読書で理解しようとする力が指導者からの言葉を受け止める力になった」と文武両道の大切さを紹介したが、一方、真逆なこともあるのではないかと考えたのである。
野球の技術を高め、甲子園を志す。その過程で培った力を日常生活の振る舞いや勉強に生かす。
子どものころからスポーツしかしてこなかった“運動バカ”がその成長とともに、自分自身を律していく。そんなチームが存在するということである。

「個性」か「態度が悪い」か

神戸国際大附は、いわば、子どもの教育に対して新しいアプローチをしているチームだ。
「甲子園はホンマにいい舞台やと思うんですよ。いろんな経験、出会いがあります。何が何でも勝ちたいとか、何をしてでも勝って甲子園に行きたいとまでは思っていませんが、大会を勝ち進んでいくともっと面白いことに立ちあえる。そんなふうに思って甲子園を目指す指導をしてきました」
“神戸のやんちゃくれ集団”と、かつての神戸国際大附はいわれていた。
失敗を恐れないダイナミックなプレーを連発し、グラウンド内で感情をむき出しにする。冒頭の薄く短い眉毛の印象も手伝って、自由奔放な香りのする彼らはそう揶揄されていたのだ。
青木はそうした悪評にさらされながらも、「男らしい野球部にしよう」を信念に歴史を積み重ねてきた。坂口智隆(ヤクルト)など多数のプロ野球選手を輩出し、春4度、夏2度の甲子園に出場するなどいまや近畿有数の強豪として評価を受ける。
「昔の言葉では『硬派』というんですかね。正々堂々と戦っていこうと。ベテランの監督さんたちからしたら、『そんなんやから、お前はいつまでも勝たれへんのや』とおっしゃると思いますけど、勝ち方とか、負け方とか、去り際を大事にしてきました。去年の夏の甲子園の試合後に選手がそういう立ち振る舞いだったのも、チームに年輪が出てきたからだと思う」
日本聖公会に属するキリスト教の学校として創立された八代学院からいまの神戸国際大附と名前が変わったのは、1992年のことだ。校名変更以前から指揮を執ってきた青木は、母校である同校の系譜をこう語る。
「僕らの時代に野球をするのは、自分が好きだからというのもありますけど、『親のいうことを聞かないから、野球でもやって鍛えてもらえ』とか、『やんちゃなヤツが問題起こす時間をなくす』という意味でやらされていたところもありました。野球がなかったら不良になっていて、高校を辞めているヤツもいたかもしれない」
有り余るエネルギーがある男たちは、野球に没頭することで、持っている能力を発揮した。
しかし自身のプレーに気に食わないことがあれば、地面を蹴り上げ、道具を投げつけたりする自分本位的な一面も、このチームの男たちの特徴でもあった。
そんなチームが世間から注目されるようになったのは、2年生エース・坂口智隆を擁して、2001年春のセンバツ甲子園に初出場を果たしたころからだ。打席では卓越したバットコントロールを見せ、投手として県内有数の選手だった坂口の存在は、神戸国際大附の名を知らしめた。
兵庫県大会で坂口がノーヒット・ノーランを達成したことがあったし、金刃憲人(元楽天)を擁して「公立の雄」との評判だった市立尼崎との試合では、9回に5点ビハインドをひっくり返す劇勝をみせたこともある。
だが、坂口が大記録達成など派手な活躍をみせる一方、世間から取りざたされたのは彼のちょっとした行動だった。
青木が回想する。
「個性派集団とよくいわれましたが、『個性』っていうのはいいように捉えてくれる分にはいいんですけど、違う見方をされたら“やんちゃ”とか“ゴンタ”なヤツといういわれ方をするんですよね。坂口はグラウンドでは目立つプレーをよくしたんです。ノーヒット・ノーランもその一つですけど、それを個性というのか、あいつが悔しいことがあってエルボーガードをたたきつけたら“態度が悪い”と非難するのか。捉える側の違いやと思うんです」
「個性」を悪い方に見ようとする人間が多く、青木や神戸国際大附は、世間からやっかみのような仕打ちにたびたびあった。
そんな冷たい扱いを受けながら、青木がチームの方針としたのは、選手たちが持つエネルギーをひとつの方向に向かわせるという作業だった。その作業とは、グラウンド内での行為に規制を掛けることだ。
自身の高校時代がそうだったように、納得がいかないプレーがあるときに態度を出してしまうことを厳しく追及した。
「人間、誰でもそうだと思うんですけど、おなかを真っ二つに割ると、『ちゃんとせなあかん』という思いと、『ええやんけ、好きにやろうぜ』の両面が常にケンカしている。僕の経験も含めてのことですけど、自分の思い通り行けへんからってイキった態度をとるのは、気持ちが違うところに向かっているからなんです。『ちゃんとせなあかん』という気持ちの方が勝った人間は、態度で見せつけようとは思わなくなる。そして、少し大人の考えができるようになって、エネルギーは一つの方向に向いていく」
エネルギーを一つの方向に向けた男たちは強い。
グラウンドだけではなく、日常生活の礼儀や学校での授業態度も律していけるようになるのだ。その例が2009年、2度目の秋季近畿大会を制したときに主力だった岡本健(ソフトバンク)や石岡諒太(中日)だ。
青木は力説する。
「『野球は好きでやっているんやから、それを大事にしたいんやったら、他のこともしっかりやらなあかん』、と。これは、どこの学校の監督もいっていると思いますけど、うちの部員たちはエネルギーを出す方向が変わったので、『俺らはちゃんとせなあかん』と自分に甘いことをしなくなりました」

エネルギーをどこに持っていくか

もともと備えていたエネルギーを正しい方向へ向けていくことで、しっかりと自分の考えを持つようになって成長につなげたというのは興味深い話だ。
昨夏の甲子園2回戦で逆転本塁打など大会2本のアーチを架けた現副主将の谷口は、同校に入学してからの自身の成長をこう感じている。
「野球をやる前に大事なことがあるというのは、このチームに来てから知りました。僕が甲子園で2本もホームランが打てたのは、去年の4番バッターの猪田(和希)さんにかわいがってもらえたからだと思います。バッティングのいろんな話をしてもらったので、引き出しができて打てた。野球をする以前に人との関わり方をうまくしていかないといけないと教えられてきました。その力は大きいと感じています」
谷口の言葉を聞いていて感じるのは、人間は得手不得手ではなく、エネルギーをどこに持っていくかで人生は変えられるということだ。
「あいつは頭が悪いから野球だけをさせておけばいい」と大人たちは英才教育のように、スポーツ、あるいは一つのことに没頭させようとする。
誰にも得意分野があり、不得意なものがあるが、それを分け隔てて考えていくのではなく、得意なものを極めていくうちに、不得意なものまでを克服できるように仕向けていく。一人の人間が持っているエネルギーは、生まれ持った方向ではなく、後天的に変えていくことで、人間力に昇華させることができるのではないか。
日本には野球ばかりやらせる「野球学校」や、部活をさせずに勉強ばかりさせる「がり勉学校」が多く存在している。得意なものに没頭させようと、親や教育者たちがよりよい環境をつくっているようにも見えるが、人間それぞれが持つエネルギーは、どんなことにも対応できるはずだ。それなのに「甲子園に行かせたい」「有名な大学に行かせたい」と大人の都合ばかり先だってしまっているのが、いまの教育の状況になっているように思えてならない。
野球でトップレベルにある人間は、そこで培ったエネルギーを勉強や他の分野でも発揮できるはずだ。
つまり、甲子園球児は「野球バカ」にはならないはずである。
かつては“神戸のやんちゃくれ”と揶揄された神戸国際大附の歩みから、そう学ぶことができる。(敬称略)
(撮影:氏原英明)