高僧の「悟り」をデータで分析、イノベーションは五感のどこと関係するのか
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ブッダの入滅の軌跡を描いている「大般涅槃経」によれば、ブッダは菩提樹の下で瞑想し、「九次第定」と呼ばれる9つの瞑想レベルを順に上がって行きます。
九次第定(くしだいじょう)
レベル9 無色界 非想非非想処(有頂天) →さらに「滅尽定」
レベル8 無色界 無所有処
レベル7 無色界 識無辺処
レベル6 無色界 空無辺処
レベル5 色界 第四禅
レベル4 色界 第三禅
レベル3 色界 第二禅
レベル2 色界 初禅
レベル1 欲界 散心 (普通の状態)
ブッダは、アーラーラー・カーラーマ師の下でレベル8の「無所有処」("何もない"が定着した心)まで、ウッダカ・ラーマプッタ師の下でレベル9の「非想非非想処」("何もない"という想いもなく、ないものでもなくあるのでもない境地)に達したものの、悟りには至らなかった。そして、さらにそれを超える「滅尽定」に達するが、それでも悟れず、一旦レベル2の「初禅」に戻ってから再び色界の最高処「第四禅」に至って悟ったとされています。
(参考「ごまかさない仏教」佐々木閑 宮崎哲弥著)
つまり、高い瞑想状態にあれば悟れるというものでもない。多少意識がないと「悟った」と意識すらできませんからね。
ブッダの弟子の悟りは阿羅漢果といいますが、大して修行もせず、掃除していたら悟りに達するというようなライトな悟りが量産されます。
それくらいになると、ここでいう「悟り」とは、一切の煩悩を捨て去ることではなく、何か重要そうなことに気がついた「アハ」体験(もしくは「イヒ」体験)程度の意味でしかないかもしれません。
それを「イノベーション」と呼ぶのなら、まあそれでもいいんですが、イノベーションって社会的価値が結果として評価されて初めてイノベーションだと思うんですよね。まあいいか。
恐らく単純に言えば、脳内の報酬系が継続的に活性化されるポジティブフィードバックがかかるループが繋がった状態で、それ故に様々な欲求から解放されるのでしょう。
視覚情報は情報量が大きすぎて、他の事を考えいても視覚情報に引っ張られてしまうので、こうした体験において視覚が相対的に軽視されるのは理解できます。
私も、他ごと(ご飯を食べる、用を足す、等)をしている時に、いいことを思いつくのが多いですね。
ただし、イノベーションをどこか特定の感覚器官に関連づけるのは無意味かと。大なり小なり悟り体験をされた方は人生の秘密を思い出す為まるで別人のようになります。1つは"信念は体験化される"という夢の秘密を思い出すため創造性が高まり、体験が加速し、より大きな創造が可能となります。
もう1つは"すべてはひとつである"という愛の秘密を思い出す為あらゆるものを自分自身として大切に扱うようになります。右手と左手がケンカをせず自然と助け合うように争いを避け自然と周りを助けるようになります。日常的に視覚に頼りがちで他の五感を使い切れていないということですね。
座禅を組む際、鼻の下にあたる鼻息をまず感じることに集中してみることを求められました。つまり触覚かな。
森など暗闇を探索するドイツ発のプログラム、ダイアローグインザダークは視覚以外の感覚を研ぎ澄ませる内容。とても面白かった。
データで悟りの状態を示す、面白い試みです。