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プロスポーツを強化するという意味では、徹底した勝利至上主義は、欠かせないもので、決して悪ではないと思います。

ど根性主義で、あまり意味ない練習をダラダラ目的もなく延々と長くやる方が、問題なのでは?
小・中学生の野球離れ、そしてプロ野球ではリピーターのおかげで観客動員は増えているけど新規ファンの開拓は決して芳しくない、という事実をそれぞれの現場が課題として受け止め、打開策を打とうという流れが出始めています。これまでは世代ごとに分断されていたけど、各世代が結びつき、野球界いい方向に変わっていくのではと希望もまだまだ少しだけどあります。あとは世間に認知させ、大きな団体をどう動かすか。個人的には二つほど、それなりに大きな手を打とうかと。それと加えると、勝利至上主義は大人と子どもで分けて考える必要があります。この議論は長くなるので、場を改めて設定したいなと。
「いまのスポーツ教育では、“勝つことが一番いい”という教えを大人が先導してしまっています。それが子どもたちの進路につながってきて、親まで入り込むようになっている。スポーツというのは本来、スポーツ自体を楽しむことが大事であったはずなのに、勝利にあまりにもこだわって、戦術や監督の采配で勝とうというのは違うだろう、と。まず、子どもたちが楽しむのが大事です」(記事引用)

勝ちたいと思う心にもレベルがある。普通にいう「競争心」は他者に勝ちたいというWIN-LOSEの相対的な関係性。相手がたまたま調子がわるくても勝ちは勝ち。この競争心が不健全なレベルにおちると「虚栄心」となり、相手の足をひっぱったり不正を働いて自分の相対的ポジションを維持しようとする。

本来の健全な競争心は、自分自身に打ち勝とうとする「克己心」として現れる。スポーツの楽しさは、ルールやゴールが明確で結果のフィードバックが速いので、努力し、工夫することで、できなかったことができるようになるところにある。そこに力点を置けば、子どもたちの自尊感情が高まり、スポーツに限らず学びと成長に前向きになると思う。
皆勝手なこと言ってますね。
元々はプロ野球が至上主義を作り上げたんです。
逆算してみると、プロ野球選手になるために、いい大学、いい高校に行かなくてはならない。そうでないとスカウトに見てもらえない。ということは、スカウトはいわゆるいい高校/大学というところしか殆ど見ていなかったということです。甲子園もそうですね。元々純粋な高校生の日本一を決める名誉な大会だったのが、高校の生徒集めの材料になり、全国区の甲子園大会に目をつけた学校経営陣、指導者が球児を宣伝のツールにしたのです。言うまでもなくそこにはお金が流れますので、そこに目が眩んだ者も多いでしょう。あとは、流れに従い中学生、小学生と影響が及ぶことになったのです。改革改革と言って実質変わって来てないこの野球界を真摯に受け止められるかと言うことでしょう。神奈川県の怪我への取り組みも他県ではもっと前から行っているところもあるようですが、糠に釘。指導者が変わらなければ、絵に描いた餅です。一年中野球だけをやっているようでは、当分変わりはないでしょう。怒号、罵声、暴力、の指導者がまだまだいる日本は育成後進国です。
現場指導では担当の選手・子ども達の潜在能力を引き出すを最優先に行います。勝利至上主義は『悪』ではない。しかし、個々の可能性を試さずにチーム優先があまりにも多い。

野球界も意識的に親御さん、指導者を対象とした講習会(意見交換の場)。そして低学年の子供達も違う指導者から環境で学ぶ楽しさを実感してほしい。
スポーツは充実感を手軽に味わうには最適なツールの1つです。高ストレスで運動不足な人ならスポーツで心身のバランスが整い、スポーツで目標が出来れば自己実現や成長が生まれ、スポーツを通してチーム一丸となることで絆や心の一体化が生じたりします。

このようにスポーツがもたらす健康・成長・絆は充実感の3要素と言えるほど充実感を生みやすいので、スポーツは人生と同様にそれ自体がとても楽しいものです。本来楽しいものをつまらなくさせるのはいずれの場合も「しなければいけない」という思い込みでしょうね。
勝利至上主義はどのスポーツにおいても、監督なりコーチという大人の自己実現のためのものだったりする。

目の前の勝ち負けよりも、この子らが高校とか大学まで続けてくれて、うまくなっていってほしいと思ってラグビースクールのコーチしてます。そのためには好きになってくれることが重要。好きでなかったりすると簡単に進学のタイミングで辞められてしまうと思うから。
勝利至上主義と競技で勝利を目指すことは違うと思っていて、前者は本来コーチングしないといけない人が、頭を使わず支持に従うだけの競技者を産んでしまう点が弊害だと思っています。他競技ですが、それで大学とかで自由になった途端伸びなくなった人間を何人も見ました。
悔しさも楽しさも、自分で見いだせる環境がいいですよね
少年野球をやっていましたが、今でも鮮明に思い出せる風景があります。

はじめて打ったホームラン
ピッチャーで相手の強打者から三振をとったとき
はじめて試合で飛んできたボールを取ってアウトにしたとき

そういう楽しい瞬間をたくさんの子供が体験してくれるといいなぁ。特にレギュラーにはなれていない選手はこういう風景をなかなか見れない。こんな体験一つが、続けようと思う動機になると思うんだけどなぁ。
NPBがなかなか動けなかったのは、業界としての危機感を全体で共有しにくい業界構造上の問題が大きいと思いますが、逆にこの記事のような動きが現場から出てきているのであれば、それを加速するハブにはなり得るように思います。