小室さんを蝕んだ「介護者の孤独」の深刻度
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便利になればなるほど他人の協力が不要になり、孤独度は増します。
逆に不便であれば必ず他人に頼らざるを得ず、コミュニティが生まれる。
社会の中に不便さを保つ機能として祭りや町内会、などの面倒な取り組みがあって、時に愚痴を言いながらみんなで継続させています。
たまに「もっと効率よく地域活動できないのか?」的なことを言う人もいますが、これは地域活動の本質が分かっていない証拠。
あえて面倒を作ることで協力し合う必然性を生んでいます。
自分に余裕がある時にそういう活動を通して誰かに無償でヘルプを提供した経験がないと
逆の立場になったときにヘルプを出せなくなってしまいがちと思います。家にいると何度もテレビで紹介される小室さんの記者会見、全盛期を知る世代にとって痛々しいですね。
ケイコさんの病状をあそこまで話す必要はないとの意見も多いですが、小室さん自身が「ここ数年男性としての機能が…」と話すシーンも含めて、尋常ではない状況で文春砲を受けたら誰でも正気は保てないような気がします。
「孤独担当相」とは何とも切ない。
人生100年時代と言い、健康寿命が延びるとも言いますが、健康で100歳になっても孤独は辛いなあ。高次脳機能障害の介護は一般的な要介護者に比べて極めて過酷だと感じる。私がこれまで出会った高次脳機能障害の方は発症きっかけに家族システムが破綻し、離婚や別居などに至るケースが多い。
それはおそらく、障害の特性が主介護者により強い孤独感や虚無感を産むからだと思う。
高次脳機能障害などの身体的障害が強く起こらない方は公的サービスが行き渡りづらい。
ただ家族の身体的疲労は少なくとも精神的疲労や疲弊はむしろ大きくなってるケースは度々あるので、記事のようなインフォーマルなサービスがCSRなど活用され日本にももっと広がってほしいと思う。