松坂大輔の野球人生は成功か。恩師と考える、球児の早熟化

2018/1/17
高校時代に甲子園で活躍しプロに進んだ選手を見て思うことがある。
彼らの野球人生は成功に達したのだろうかと。
「成功」「失敗」を捉える物差しが人によって異なるものであることは百も承知だが、2017年のシーズンオフ、人生最大といってもいい岐路に立たされている、あの怪物の去就を心配するにつけ、そんなことをふと思ったのだ。
昨シーズン限りでソフトバンクを退団し、現在は所属先のない松坂大輔である。
高校時代に甲子園春・夏連覇を果たし、“平成の怪物”といわれた松坂は、成功者なのか、そうではないのか――。
「失敗というと語弊があるけど、『もうちょっとこれは練習しないといけない』『あれも練習しないといけない』という未完成な部分を残しておいた方がよかったのかなというのはある」
そう語るのは松坂の恩師にあたる、横浜高校の元部長・小倉清一郎氏である。
(撮影:中島大輔)
松坂をはじめ、成瀬善久(ヤクルト)、涌井秀章(ロッテからFA)など幾多の好投手を輩出してきた高校球界の名コーチとして知られる小倉氏は、自身の指導を回想し、教え子の現状を慮った。
「投手として学ぶ要素が100あるとしたら、普通の選手は100まで到達しないんだけど、松坂だけは100を教え込んだ状態で送り出した。高校時代にすべてを完璧に教えたことが失敗だったのかもしれない」
高校時代に偉業を次々と成し遂げてきた松坂だけに、恩師がそう語るのは興味深い。苦しむ教え子の姿を見て、そんな想いにかられるのだろうか。
小倉氏にじっくり話を聞きながら感じたのは、“名コーチと大投手の間には、「選手育成と甲子園」の根深い問題がある”ということだ。
「チームを完璧にしたい」
小倉氏は社会人の河合楽器でプレーしたのを最後に、東海大一高校(現東海大静岡翔洋)で指導者のキャリアを本格的にスタートさせた。
その後、横浜高校、横浜商業高校と渡り歩き、1990年に横浜の部長に就任。それから25年間、部長とコーチを務めた。そのなかで1998年、松坂との春・夏連覇を含めて3度の全国制覇を成し遂げている。
甲子園で勝つことを目指し、小倉氏は独自の野球観を前面に押し出してチームをつくった。中学の有望選手のスカウティングに始まり、選手の育成、さらには相手チームの偵察、データを軸にした戦術の徹底などだ。
それゆえ、小倉氏の指導方針はシンプルだった。
「やっている限りは甲子園を第一に考えていた。野球は試合の中でいろんなことが起きる。だから、『試合の中で“こんなことはやったことがない”というプレーはないようにしよう』と常に考えていた。100試合に1試合、起きるかどうかさえわからないようなプレーでも、しっかりとたたき込んだね。要するに“ここまで教え込んだら、負けるはずがない”ところまでチームを完璧にしたいというのが俺の指導方針だった」
横浜高校で数々の名選手を育てた渡辺元智前監督と小倉清一郎元コーチ(撮影:中島大輔)
松坂らたくさんの好投手を世に送り出しているから「選手育成」に特化するところもあったのかと思っていたが、小倉氏は「甲子園に出ることが選手の成長につながる」と話した。
プロにするために選手を育成しているのではなく、甲子園に出場して勝利を目指すことで、選手育成につながると考えてきたのだ。
「プロ野球の世界でも間違いなくやれる素材であるなら、甲子園出場なんてどうでもいいと考える高校球児もいるだろう。でも、プレーしてみないと実力がわからないし、すごい投手になりそうだと思ったら、(普通は)甲子園を目指すでしょう。ソフトバンクの千賀滉大投手のように、テスト生という立場からあれほどの投手になれることは、なかなかないんじゃないの? (甲子園を目指すような)大会で投げないことには、目立たないわけだから」
「100まで身につけた」松坂
甲子園を目指した中で好投手が生まれ、小倉氏にとってその“最高傑作”が松坂だったということだ。
周知のように松坂は、高校での実績を引っ提げ1999年プロ入りし、所属した西武ライオンズでは1年目から16勝(5敗)を挙げた。NPB在籍8年で108勝を挙げる活躍で、沢村賞を1度受賞している。
2007年にポスティングシステムを利用しメジャーリーグのレッドソックスに移籍すると、ここでも1年目に15勝を挙げるデビューを飾り、同年ワールドチャンピオンに輝いた。
(写真:ロイター/アフロ)
メジャー4年目からケガとの戦いで、2011年に右ひじ靭帯(じんたい)を断裂。同部を再建する“トミー・ジョン”手術を受けた。以後は全盛期の活躍は鳴りを潜め、2013年にインディアンス、メッツと移り、35歳となった2015年に日本球界に復帰した。
松坂のキャリアを振り返ると、高校時代はもちろん、プロ入り直後から活躍して、とにかく登板を続けている。甲子園で連投したことがないダルビッシュ有、駒大苫小牧高校で複数投手制のなかにいた田中将大らより登板過多の印象は強い。
それが可能だったのは、小倉氏が「100まで教え込んだ」からこそ、松坂は常に第一線で投げ続けられたのだろう。
体力をしっかりと付け、理にかなった投球フォームで投げ込んでいく。150キロ近い速球、打者の手元で変化するスライダーは彼の代名詞だ。完投能力も高校時代で身につけた。それに加えてピッチング以外の周辺動作、つまりクイックや牽制、フィールディングに至るまで、寸分のスキもないほど松坂は完成されていた。
高校時代に「100」を身につけた松坂には、伝説となった試合がいくつもある。
そのうちの一つが、1998年夏の準々決勝PL学園戦だ。延長17 回までもつれた横浜対PL学園の戦いは、いまでも「球史に残る1戦」と語られるほどで、松坂は延長17回を1人で投げ切っている。250球に及ぶ大熱投だ。
そして、翌日の準決勝・明徳義塾戦では先発登板は回避したものの(4番・左翼で出場)、2点ビハインドの9回表に1イニング登板。翌日には京都成章を相手に、59年ぶりとなる決勝戦でのノーヒット・ノーランを達成した。
松坂が高校時代に果たしてきたことの偉大さは、今夏100回を迎える甲子園球史のなかで最たるものといってもいいだろう。小倉氏の指導のもと「100に到達した完成品」になった松坂は、高校時代に輝くことができたのである。
しかし現在、小倉氏の言葉を聞いていると、葛藤さえ感じるところがある。高校時代に“完成品”であったことが、プロ入り後の松坂にとってマイナスに働いた部分もあるというのだ。
“何も教わったことがない状態にしたい”と指導方針を語った小倉氏が、松坂を完璧に作り上げたことは「失敗だった」と振り返っているのである。
「プロ1年目に16勝して、イチローを抑えたときには『自信が確信に変わった』と松坂は口にしていたけど、“これでやれるんじゃないか”と、あいつ自身に思わせてしまった。入団直後に少しでもできないことがあったなら、1、2年ほどの下積みを経験することができて、もう少し長く活躍できていたんじゃないか」
つまり育成段階の高校生を“完成させる”ことは、長い目で見れば弊害を生むわけである。
甲子園が松坂を早熟させた
小倉氏は松坂を高校生で完成させたことで、「本人が満足してしまって、節制をしなくなった」と悔いている。ただし育成という視点で見たとき、本来見つめるべき問題点は目標設定ではないだろうか。
松坂が目標とすべき到達点の設定で、間違いが生じていた。ややもすると、“甲子園で優勝するために完璧すぎる投手”を高校時代に目指したがゆえに、その後、転落を招いてしまったといえるかもしれない。
では、松坂の野球人生は成功なのか、そうではないのか。
そう尋ねられたら、多くの人は「成功」に数えられるというだろう。私もその一人だ。
先にも書いてきたように、甲子園で春・夏連覇を果たし、日本のプロ野球で活躍して、メジャーでは本人が目指したほどではなかったかもしれないが、ワールドチャンピオンに輝いている。彼の野球人生を「失敗」ということはできないはずだ。
しかし、高校時代よりもっと先を見据えて、大きく羽ばたく可能性を求めていたとしたら、松坂はプロでどんなキャリアを歩んだのだろうか。秘められた能力が最大限に開花したとき、“サイヤング賞を何回も獲れるほど才能のあるピッチャー”だったとしたら――。
高校球児に対して小倉氏はいかなる場合も「100を目指して教える」というが、現実として、「普通の選手は100までいかない。涌井でも100まではいかなかった」。それでも、稀有(けう)の才能を持った松坂は100に到達した。小倉氏の表現を借りれば、「到達してしまった」。
大器晩成という言葉があるが、将来大きく羽ばたくためには、花開く前にしかるべきステップを踏まなければならない。松坂は才能にあふれるあまり、その段階を飛び越えた。そう考えると、周囲が松坂を「早熟させた」といえるのではないか。
“甲子園優勝”という、野球人生のトータルで考えれば大きいのか小さいのかもわからない目標を達成するために、一人のアスリートの可能性をキャリアの手前に設定してしまった。小倉氏の「未完成なまま送り出していれば、松坂はもう少し長く活躍できていた」という言葉には、“高校球児の早熟化”を感じずにはいられない。
もし松坂が未完成だったなら、横浜高校は春・夏連覇をできていたのかどうか。
一つ言っておきたいのは、これは決して小倉氏への批判ではない。甲子園の存在が大きいあまり、育成年代の高校生を「完成」させようと指導者は駆り立てられているのだ。
(撮影:中島大輔)
いま、松坂は所属先が見つからない中で、野球選手としてのプライドにかけて、中日のテストを受けようと練習に励んでいるという。
あくなき挑戦心には恐れ入るが、やがて野球人生の終わりを告げるときが訪れる。
そのときに、野球界がどう判断をくだすのか。
松坂大輔は成功者なのか、そうではないのか――。
その答えにこそ、甲子園のあるべき姿が見えてくると思う。
(写真:ロイター/アフロ)