生き残った社員は「7%」。老舗がベンチャー企業に化けた日

2018/1/15

空間の価値を上げる「発明集団」

だれもが知っている有名企業から、急成長中のスタートアップ、またはファッションや自動車の高級ブランドまで、新しいアイディアを実現させるために訪ねる「秘密企業」が東京湾岸にある。
それが1950年に設立された、寺田倉庫(東京都品川区)だ。
ただモノを預かって「場所代」をもらう倉庫企業ではない。イベント会場のようなスペースから、ダンボール1箱に至るまで、あらゆるサイズの空間に付加価値を与える「発明集団」なのだ。
例えば2012年に「発明」したのが、個人がインターネットを通じて、安価に保管スペースを使えるバーチャル倉庫「minikura(ミニクラ)」だ。
洋服やシューズ、時計といった個人の所有物を専用ダンボールで送ると、一品一品、預けたものを画像データとして手元に送ってくれる。スマートフォンで管理して、好きな時に取り出したり、別の場所に送ることもできる。
(写真:後藤直義)
これまでの倉庫は、主に企業がまとまったボリュームの荷物を保管する場所だった。その空間をデジタルデータで個別管理された、約1700万点のアイテムが自由に出入りする、個人用のバーチャル倉庫に変えてしまったのだ。
料金は、ダンボール1箱分で月額200円から。それが広大な空間にテトリスゲームのブロックのごとく、無数に積み上げられては、毎月収益を生み続けている。
この仕組みに目をつけて、例えばヤフーは寺田倉庫と提携した。「ヤフーオークション」のユーザーがアイテムを保管したり、購入者に送付したりする作業を、このミニクラを使えば簡単にこなせるからだ。
また定額料金で、女性のファッションアイテムが「使い放題」になるサービスで注目を集めるIT企業のエアークローゼットも、実はミニクラによって初めて事業を実現させた。
玩具メーカーのバンダイは、プラモデルやフィギュアの愛好家たちの大事なコレクションを預かる「魂ガレージ」のサービスを始めた。もちろん裏側では、ミニクラが動いている。
「多くの引き合いがあって、ミニクラとの提携は20社近くの企業にお待ちいただいている状況です」(月森正憲・上席執行役員/MINIKURA担当)
将来的には数百万個、数千万個のアイテムの市場価格を自動表示して、それを売ったり、貸したり、物々交換したりと、倉庫を起点にしたビジネスアイディアは無限に生まれそうだ。
誰もが安価に倉庫を使えるようにした「ミニクラ」のサービス(写真:寺田倉庫提供)

残った社員は「14分の1」

寺田倉庫は1950年、国による指定倉庫として、米の保管事業からスタートした。
東京都の天王洲エリアを中心に、倉庫や土地を活用したビジネスをたくさん展開してきたが、最初から今のような「発明集団」ではなかった。
「なんか最近、つまらないよね」
寺田倉庫の関係者によると、その“事件”が起きたのは創業60周年の懇親会の後のこと。創業家のオーナーである寺田保信氏が、どこか残念そうに、会社の近況をそのように語ったのだという。
一見すると、分かりやすい事業構造だった。トランクルーム、重要文書などの保管、そして不動産。どれも倉庫業と聞いて、イメージが湧くものばかりだ。
ところが中野善壽社長が調べてみると、どれも将来性があるように思えなかった。そこから社員たちも唖然とするような、猛烈な改革が始まった。
旧来の倉庫ビジネスのように、スケールと価格競争による消耗戦はもうできないと、次々と主力事業を売却した。それに伴って、わずか2年間という期間で1000人以上いた社員が、わずか「7%」(14分の1)以下にまで激減した。
「同期入社は8人いたのですが、残っているのは3人。それでも“多い世代”と言われています」と、ある30代の社員は振り返る。
特色のない土地建物もすべて売り払った。だから企業としての大きさは7分の1に縮小したが、生み出せるキャッシュは8倍近くに増えた。
もちろんカルチャーも激変した。これまでは年功序列で支えられたピラミッド型の組織だったが、以降はあたかもベンチャー企業のように、年棒制にして才能の入れ替えを加速させた。
「5年間たったら会社を辞めろ」。
つまり期間を区切って、精一杯のチャレンジを寺田倉庫にしろというメッセージを、社長は公言してはばからない。そのため離職率は年間約30%に及ぶが、新しい人材も次々と入ってくる。
オフィスに社長室はなく、フリーアドレスの座席をはさんで、少数精鋭のプロジェクトメンバーたちがバリバリ働いている。まさにオープンコミュニケーションだ。
一体、寺田倉庫はどのように変わったのか。多くの有名企業が協業したいと集まる魅力はどこにあるのか。その知られざる変身の舞台裏は、特集第1話のスライドストーリーで余すところなく紹介する。

謎に包まれた「異端経営者」

メディアの取材にはほとんど応じない中野善壽社長の独占インタビューにも、NewsPicksは成功した。それだけに極めて貴重な内容になっている。
「人生は最後の10秒間が勝負。その時に、こんな人生でよかったなと思えたら幸せ」
そう語る中野社長は、これまで台湾や中国などアジアのコングロマリット企業に飛び込んで、その経営メンバーとして腕をふるってきた異色のキャリアをもつ。経営に関わった企業は合計で6つになる。
50年以上のキャリアで、「時代の寵児」ともてはやされる経営者を何度も目にしてきた。ダイエー創業者の中内功氏は、かつて経営者の仲間の一人だったが、そのダイエーの輝きと末路をすべて見届けた。
メディアは怖い。だから自分はなるべくメディアから距離をとり、素早い経営判断ができる100億円規模の会社にいて、高い収益をあげることを目指す。
こうした哲学や人生観が、寺田倉庫のイノベーションの原動力になっているのは間違いない。
スタートアップのように変貌した寺田倉庫では、少人数の社員たちが新しいサービスの立ち上げにいつも奔走している。
例えば目を付けたのは、富裕層たちが資産としても大事にしているアート作品やワインだ。それも国内の資産家だけではなくて、アジアにネットワークをもつ華僑たちを惹き付けるようなサービスを展開している。
「スタートトゥデイ創業者の前澤さんが、バスキアの絵を超高額で落札して話題になりましたが、あの作品を預かったのも寺田倉庫です」(複数のアート業界関係者)
有名作家のアート作品については、将来的な値上がりも見込める、重要な資産であるという認識は広がっている。そうしたアートを保存するだけではなく、補修をしたり、有料で貸し出したり、希少な画材を揃えたラボを開いたりする。
こうして広げていく、富裕層向けの保存ビジネスの現場もレポートする。

「和製アマゾン」の舞台裏

かつて米アマゾンが誕生した時、多くの人はインターネットで本が購入できるサービスだと受け止めた。
しかしその後、本当の凄みはテクノロジーによって進化した巨大物流倉庫にあったことを、私たちは知ることになる。だからアマゾンのサービスを真似したくても、誰もできないのだ。
新しいサービスの裏には、テクノロジーによって進化する「空間」がある。それはアマゾンであっても、寺田倉庫であっても同じだ。
そこで独創的なサービスを生み出しながらも、経営者はメディア取材をほとんど受けず、非上場企業のため経営数値や内情もわかりづらい。私たちが寺田倉庫を「秘密企業」と呼んでいる理由だ。
彼らは一体何者なのか。どんな経営をしているのか。そんなミステリアスさが、ますます多くの人を、寺田倉庫に向かわせるのだ。
NewsPicksは7回にわたって、この知られざる企業の内側をレポートする。
天王洲エリアにある寺田倉庫の倉庫内部の様子(写真:寺田倉庫提供)
(取材:後藤直義、デザイン:砂田優香)