【松岡正剛】日本は、もう一度「ハイブリッド」を考えよう
コメント
注目のコメント
とてつもなく刺激されるインタビュー、第2弾。
日本は外圧でしか変わらない、とは、よく言われますが、ただ、分かりやすい外圧よりも前に、国民国家成立前の日本には、何度も多くの周辺国の人々が入り込んできて、その上で「日本」というもの(幻想)が成り立ってきました。
今活躍している経営者や、世界へ飛び出すコメディアンを見ても、そう感じさせられます。いろんな角度で、ハイブリッドをいかに発揮できるかは、(国家としてではなく)日本を見通す上でカギだと強く感じます。「文化人」や「権威」と目される人々は、その言説が難解であり、また実用性のないレトリックを駆使した言葉遊びであることが商売上、重要なんでしょうね。
衒学的で難解な言説であればあるほど、受け手はその一端を理解したかのように振る舞うことで、自分をそうした権威と同一視することができ、承認欲求を満足させることができるわけですから。
実用性があると、その言説は評価に晒されてしまいますが、実用性がなければその心配もない。批判者に対しては「お前は考えが浅い」とでも言って煙に巻いておけば良いわけですからね。
高級官僚や大企業の経営者のようなインテリ、エリートの方が、往々にしてこの手の人たちに弱く、こぞって褒めそやすのは、いくら社会的地位を得たところで、自身の出自や知性に対するコンプレックスが拭えないからなのだというのが私なりの解釈です。わかりやすい「権威」に同調することで、自分も「名誉権威」「名誉文化人」と見なされたいという願望の表れなのでしょうね。
この点で、「権威」とそれに追従する人々は共犯関係にあると言えますし、「権威」は「権威であり続けること」が競争力の源泉なのでしょう。
宗教に近いものを感じますが、言説の消費者が満足感を得ることができるのであれば、それでいいんじゃないでしょうか。
非常によくできたビジネスモデルだと思います。日本人は元々、結構好奇心が旺盛で新しい物好きな民族。
だから、太古から漢字を輸入したり、秀吉の時代に東南アジア貿易をしたり、明治に欧州の制度を取り入れたり、戦後はアメリカ文化に感化されたり。。
建造物でも、以前は古いものをどんどん壊して新しい物を建てていた。
その意味で、外から新しいものを取り入れてハイブリッド化する事が何か新しい起爆剤になればいいと思う。
関係ないが、時々「関ヶ原で西軍がもし勝っていたら」と夢想することがある。
秀吉体制が存続していれば案外、華僑真っ青の商人国家が誕生していて、製造業中心でない全く違った現代があるのではと。。