コンサルファームで「“上流コンサル”に興味なし」な変わり者

2017/12/22
コンサルティングファーム大手で、裏方ビジネスにこだわる人がいる。ITインフラの構築・運用、アウトソーシング、そしてクラウドといったビジネスプロセスのバックエンドを一貫して担当。そして、これからは「セキュリティ」に懸ける。花形と言える上流コンサルティングサービスには見向きもしない変わり者。アクセンチュアの執行役員 市川博久が「裏方の哲学」を説く。

1年前、退職するつもりだった

──この12月、アクセンチュアはセキュリティに特化した事業部門「アクセンチュア セキュリティ」を発足させ、市川さんがリーダーを務めます。
市川:私、1年前にアクセンチュアを退職しようと思っていたんです。
──いきなり、辞めたかったという話ですか(笑)。
そんな感じのほうが人生面白いかな、って(笑)。
私はアクセンチュアに新卒で入社して今年で21年目になります。
インフラの構築・運用、アウトソーシングサービスといった、コンサルファームのビジネスの中では、どちらかというと誰もやりたがらないような裏方のビジネスにずっと携わっているのですが、それでも私なりの信念があって、チャレンジをし続け、苦しいながらも結果を出してきたと思っています。
もともと事業をゼロから創造したり、ダメな事業を立て直したりするのが好きな性分で、その当時は、自分で立ち上げたアウトソーシング部門が順調に伸びていた時期。
それまで苦難の連続で、その苦しみを乗り越えてきたので、どことなく苦しみがないと喜びを感じないんでしょうね。
──「踏みとどまる何か」があったわけですね。
ですね。社長に呼ばれて「クラウドを立て直せ」と。当時のアクセンチュアのクラウドビジネスは、強がりで言ってもうまくいっている状況ではありませんでした。
でも、市場環境はいいし、優秀な人材がそろっていてチームワークも良かった。だから、他社との違い、アクセンチュアのユニークネスをちゃんと伝えさえすれば、軌道に乗せられる自信があったんです。
今の自分を満たしてくれるのはコレ!って感じで、クラウドを復活させることに関心を持ち、再び戦う気持ちを持てて「辞めることをやめた」んです(笑)。
──でも、そのクラウドも1年で軌道に乗りました。
そう、次のチャレンジが欲しくなっていた時に、出会ったのがこの12月から専任で担当することになったセキュリティです。クラウドをやっている時に、セキュリティの重要性を痛感したんです。
利便性や自由、イノベーションは安定した基盤があれば、成り立つというのが私の持論です。だから、もっとセキュリティの重要性を訴えたいし、安全・安心と自由を両立するセキュリティソリューションをご提案したいと思っています。
私はITインフラの構築・運用、そしてアウトソーシングといったビジネスを下支えする領域に携わってきましたから、裏で動く仕組みやシステムの重要性をわかっているつもりです。今後のテクノロジー社会の発展と、お客様のセキュリティ事情を考えれば、チャンスは大きいし、社会的意義がある。
そんなことを思っていた時期に、タイミングよくグローバルグループの経営陣がセキュリティ事業を強く推進する方針を固め、日本法人も同様にセキュリティ事業を強化することになりました。そして、私が担当していた事業部門の傘下にあったセキュリティ事業部門が独立することになったんです。
それなら、軌道に乗ったアウトソーシングやクラウドは人に任せて、これ(セキュリティ)一本に懸けよう、と。

コンサルをやりたくて入社したわけじゃない

──ずっと裏方のビジネスですが、大概の人は、戦略を描く上流工程のコンサルタントになりたくてアクセンチュアに入ると思うんです。
それ、私にはなかったですし、今でもないですね。
子どもの頃から目的や意味を考えすぎる性格で、社会人1年目、すでに疲れていたんです。
──1年目で疲れていた……?。
私、暗黒の学生時代を過ごしてきたんです(笑)。
少し振り返ると、小学校の頃、勉強する意味がわからなかったんです。たとえば、九九。電卓もソロバンもあるのに、なんで暗記するの?って。そんな世間が当たり前として受け入れることを常に疑問に思ってしまうんです。だから、意味がないと思ったらやらない。結果、勉強しない。
ただ、友達が「そういう能書きは100点取ってから言え」と。それで悔しくて、夏の数カ月を必死に勉強して過ごし、学年で2位に。でも、これもいけなかった。夏だけでこんなに結果が出せるんだからと、やればすぐにできるじゃん、じゃあ、やる必要ないってますます思ってしまった。
でも、いい成績が取れるとわかった周りの期待値は上がって、今度は優等生扱い……。重荷でしかありませんでした。
高校に入ると、中学まで無理に勉強した反動で、やりたいことを追い求めました。油絵をやりたかったので、夜は芸大の予備校へ通い、昼はバイト。予備校で絵を見る目が肥えてきて、自分の実力に失望し、諦めることに。高校の成績は下の方ですから、大学受験の選択肢は限られます。少ない受験科目数のところに絞って、唯一合格できた学校の英文科へ進みます。
入学したはいいものの、目的がないから通わなくなり、趣味のウインドサーフィンに没頭。大会に出るうちに実力がつき、セミプロ契約のような状態にはなれました。ただ、マイナースポーツは食えませんし、そもそも私よりも上の人間がたくさんいて、絶望。ますます無力感に陥っていったんです。
そんな無気力な生活を送っていても、卒業はやってくる。就職活動を何げなく始めて、アクセンチュアの前身であるアンダーセンコンサルティングが名古屋で採用しているというので、ハガキを出してみました。
ところが、話を聞いても、なにを言っているのかさっぱりわからない。ただ、話している人が楽しそうだったのが印象的だったし、面白かった。この感覚だけでアクセンチュアを受け、入社したんです。
だから、入社直後にちょっと冷めてて。配属希望もとくになし、残ったやつでいいや、と。
──そこからこれまでのプロセスが気になります。
最初の配属は、コンサルティング部門でした。そこでコンサルティング案件や基幹系システムの構築に携わっていくうちに自然とインフラに詳しくなっていきました。それは、誰もやりたがらないインフラの仕事がまわってきていたからかもしれません。インフラの仕事は、簡単に言えば、お客様のシステムを動かすための「裏方」の整備。
床をはがしてLANケーブルを引いたり、秋葉原へ行ってサーバーを買ってきて設置したり。プログラムを書いたり、データベースのチューニングなんてこともやってました。こんなコンサル勤務のみんながやりたがらないことを、10年ほどやり続けました。
──華やかに見えるコンサルファームで、地味な仕事を黙々と続ける……。
失礼です(笑)。虚無感はありましたよ。プロジェクトがうまくいっても、褒められるのは表にいるメンバー。裏方のインフラに光は当たりません。
一方で、プロジェクトがコケたり、トラブルが発生すると烈火のごとく糾弾される…。それが、表のメンバーが手がけたプランが悪かったせいだとしても、なぜかインフラが怒られる。なんなんだよ、となりますよね。
ただ、あるとき、この理不尽さについて先輩に愚痴ると、その先輩がこう言ったんです。
この言葉が心に刺さったんです。目が覚めたというか、どこか真剣になれなかった自分を本気にさせてくれたし、仕事に誇りを感じるようになって、今に至っているんです。
──そして、アウトソーシング部門を立ち上げた。
インフラの構築・運用で地味に頑張っている中で、私もそれなりに自信がついてきて、一匹狼の職人のようにプロフェッショナルな道を走っているな、と思っていたんです。
その自信の中で、アウトソーシングを担当することになって、ここで鼻っ柱を簡単に折られました。
お客様はアウトソーシングの価値をコスト金額くらいでしか見ていないし、システムメンテナンスの仕事を他社から引き継ごうとしても上から目線で見られて教えてもらえない。一人じゃどうしようもない、これは集合知、会社横断的なチームを作らないとダメだな、と。
──うまくいったんですか。
いくわけないでしょ……。勢いと思いだけでしたから。
まず、金がない。日本法人の経営陣に相談しても反応はなしのつぶて……。そこで、日本法人の幹部に黙って、グローバルグループ内でお金を出してくれそうな偉い人に近寄って、お金を調達しました。
アウトソーシングビジネスをやるためには、その当時のオフィスじゃダメで、勝手に別のオフィスを作ろうものなら、国内の幹部に当然ばれて怒られるし。さらにグローバルのオフショア開発拠点が日本に対応してくれてないことも判明。人的リソースもない。
また、その当時、アクセンチュアのアウトソーシングなんて知名度がないから、お客様に相手にされない。実績がないから社内の他部門に協力者もない。結果、売れない。何重苦か、数えられないくらい苦しかったですよ。
ま、でも、やばいとは思いましたが、怒られたら辞めればいいし、みたいな感じ、怖いもの知らずのところもありましたね。
2年くらい鳴かず飛ばずだった時を過ごし、いよいよマズいというとき、大きな仕事が取れそうなビッグディールに出合いました。このとき売れなかったら、いまここにいないってくらい追い詰められた時期です。でも、そんな時、大きな出来事が起きました。
「軟骨肉腫」、腰の骨にガンができて、これは切るしか手がなくて、いまも腰の骨が一部ないままです。
この仕事が取れたら、オフショアも日本向けの対応を始めてくれる、後続のビジネスも取れるようになる……そんなときですよ。入札を見届けることができずに手術して、退院する頃に勝った。チームのおかげです。その後は非常に高い成長率で順調に推移する事業に育ったんです。
一匹狼で生きてきた中で、アウトソーシング部門を立ち上げてチームの必要性を感じていましたが、チームワークが何よりも大事なことをこの時確信しました。この経験は私のマネジメントのルーツになっています。

最後発のセキュリティ。でも自信あり

──今後の話、セキュリティ事業では後発です。アクセンチュア=セキュリティのイメージもありません。どのポジションを狙いますか。
失礼です(笑)。まずは1年以内に国内シェア2%を取ります。小さな数字と思われるかもしれませんが、セキュリティ市場で2%を取ればトップ集団に入れる状況ですから、一気にこの立場に立つ。そして、早いうちに国内のリーダーポジションを奪いたい。
セキュリティは手段。社内の他部門と連携し、本質的な課題解決や目的達成のためのソリューション提案ができ、それを下支えするセキュリティという文脈をつくれるアクセンチュアには強みがあることを確信していますから、絶対にこの市場を塗り替えます。
──とはいえ、メンバーもチームもこれからですよね。どのような人を集めますか。
採用する立場からすると、セキュリティの形式知、専門スキルがあることが望ましいですが、ま、でもあんまり重要視はしていません。
大切なのは、ほかのメンバーとともにチームをつくれる力があるか。
どんなに優秀でも一人でできることは限られています。ですから、チームの大切さを理解し、その中で働ける方が望ましい。
個人事業主が集結しているようなチーム。突き通して答えを出したら、それが正解になるカルチャー。それが手前みそですが、アクセンチュアの素晴らしさであり、すごいなと感じるところです。
マーケットでは最後発といってもいい、そしてまだチームも立ち上がりきっていないセキュリティ部門ですが、セキュリティを含めたインフラがあっての社会であり、暮らしであり、ビジネスであると私は本気で思っています。
(取材・編集:木村剛士、文:加藤学宏、写真:北山宏一、映像制作:ajito 三原成介)