【山極寿一×山海嘉之】人類の新たな進化が始まっている

2017/12/19

触覚も共有可能な時代に

山極 人間はサルやゴリラと同じような祖先から生まれた存在で、犬や猫などと違い、視覚優位の世界に生きています。だからこそ、見えないものを見るということが、大きな欲望になるわけです。
これが人間の1000倍の嗅覚を持つ犬にとっては、においこそがリアリティを持った世界で、欲望の対象となりますが、視覚優位の人間の場合は空間世界を縮めることが一番の欲望となりました。
その結果、飛行機などの移動手段や情報ツールを用いて空間を縮めたというのは、山海先生が前回おっしゃった通りです。
そして、我々が持っているのは実はバーチャルなものであり、見えていると思っているものでも、実際には人間の意識の中で編集し、それを他者と共有しているわけですよね。
しかし、五感のうち視覚や聴覚は共有しやすくても、嗅覚、味覚、触覚というのは、なかなか共有することが難しい。
これにどう取り組んで、これから機械と人間が一体となってICT社会をつくっていく上での、重要な課題だと思います。
山海 その通りです。実は、私は人とロボットを一体化して、人間の脳神経系の機能を改善させようという研究をしています。
現在すでに、開発したサイボーグ型ロボットというデバイスが、人の脳神経系の情報を読み取って運動をサポートし、人間の身体能力を増幅・拡張するだけではなく、身体機能を向上させられるようになり医療保険の適用が始まるぐらいのところまで来ました。
こうした人とテクノロジーのハイブリッド化が一部で始まっているのですが、スマートフォンを手にするということも、脳の拡張という意味では同様です。
人間の脳が扱う仮想的な情報空間が、スマホによって拡張していると考えれば、すでに非常に相性のいいハイブリッド状態ができあがってきているとも言えます。
山極 なるほど、それは興味深いですね。
山海 五感のうち、触覚を他者と共有するのはさすがに簡単ではないように思えるでしょうが、それでも人がそういったデバイスを装着し、脳神経系の情報でそれを動かせる時代は到来しています。
私と山極先生が共にデバイスを身につけ、私の動きに合わせて先生の体を動かしたり、抵抗する感覚をリアルタイムで共有したりできるのです。電子的な二人羽織ができる時代が実はもう来ているんです。
これによって例えば、プロのゴルフプレーヤーのスイングを、私がデバイスを通して共有することで、「なるほど、ここで力を抜いて打っているんだ」といったことが体感できるようになる。
これはつまり、人類史上初めて、人のスキルという個人の情報をIT空間に残し、人類が共有できるようになったとも言えます。
今後、AIなどとも絡みながら、情報空間に人のスキルが時空を越えて蓄積されていくようになるはずです。
山極 それはすごく面白い話ですよね。ここで重要なのは、ハラリも『サピエンス全史』の中で述べているように、社会そのものがバーチャルなものであって、情報やいろんな機器で置き換えられることにより、家族やコミュニティというものが完全に消滅するだろう、ということです。
すでにコミュニティと家族は消滅したと、彼は宣言しています。そして、それに代わるものが個人である、と言っていますね。

時間を縮めることはできていない

山海 そういったハラリの視点は、とても大切ですよね。
山極 そうですね。ネガティブなことを言ってしまうと、バーチャルな社会で個人というのは完全に裸になってしまっていて、情報空間にしろ、政治空間にしろ、経済空間にしろ、誰もが裸で付き合わなくてはならない時代に来ている。
そこで個人の欲望や好みによって、それぞれが自分の力で新たなコミュニティをつくらなければなりません。
問題は、山海さんがおっしゃるように人間だけでやるのか、それとも機械やAIの力を借りて自分の個人空間を充実させるのかが、今問われている。ハラリはそれを予言しているのだと僕は思います。
山海 この状況を別の言葉でまとめてみると、脳の拡張の時代が始まったことが1つ。それからもう1つは、ロボティクスの発達によって身体の拡張も始まろうとしていること。
そうした題材を扱う学術領域がなかったので、私は「サイバニクス」という分野を20年ほど前に立ち上げ、「人とロボットと情報系が融合複合した分野」を開拓してきました。
結果的に、単独の学術分野では対応できない新領域が開拓され、先ほどのような触覚の共有までが実現できたのだと思います。
山極 なるほど。ただ、私たち生物の世界というのは、時間と空間からできていて、これまでは空間を縮めることはできても、時間を縮めることはできていません。
これもまた、機械と人間が一体となってICT社会をつくっていく上での、1つの課題でしょう。
山海 そうですね。私の学生時代と比べ、私が扱っているロボットに搭載しているコンピューターでは100万倍の計算能力になっていて、巨大スパコンと単独のコンピューターが協調して学習する時代になっています。
このIT空間とかロボットとかがつくり出す世界では、どこかで優れたものができたその瞬間に、世界中にそれがインストールされ、一瞬にしてシステムを変えていける激しさがある。
つまり、私たちが脳や身体の一部のように利用しているテクノロジーが、ものすごいスピードで進化していて、空間だけでなく時間までも仮想的にギュッと縮めてくれる時代に差しかかっているとも言えます。
その結果、今、世界中で激しい技術競争が始まっています。ビジョンをしっかり見据え、あるべき姿の未来に向かっているのではなく、ただ単に、生物として組み込まれている競争原理によって、どこに到達するかも分からずに黙々と競争し続けているのであれば哀しいですよね。
一昔前には、とにかくコンピューターの処理速度の向上を目指しながらも、「そんなにスピードアップさせて、一体何を計算するの?」と言われた時代がありました。
でもそれが、100万倍、1000万倍、1億倍とスピードアップしてくると、かつては端末の負担が大きすぎて使えなかったアルゴリズムが使えるようになってきた。
山極 それによって、コンピューターを使ってできることが、また格段に広がったわけですよね。
山海 はい。しかし、コンピューターが自ら学習することによって生まれた怖さもあると思います。
というのも、コンピューターが自ら情報を得ながら学習するため、設計者もどんな動きをするかが予測できない。
最近話題のコンピューター将棋にしても、「なぜこんなに強くなったのか」ということを、プログラマー自身が理解できない時代が、実は来ているんです。
私たちの想像する領域が、もう1つ外側に行かなければ抱え込めない状況になっていると言えるでしょう。
人間が想像できない状況が現実化しつつあって、大局的に見れば、人類の新たな進化が始まっている。テクノロジーを開発する姿勢や哲学が重要ですね。
第3回へ続く。
(構成:友清哲、バナー写真:chombosan/istock.com、バナーデザイン:星野美緒)