メルボルンの研究チームは、脳に入れるステントを2018年に実験するべく準備中だ。人間拡張(ヒューマン・オーグメンテーション)工学がもたらす売上は年間2兆ドルと、マッキンゼーは予測している。

成長分野の人間拡張工学

想像してもらいたい。もしマッチ棒サイズの脳インプラントが、損傷した脊髄を迂回して、まひ患者が自分の意志で動けるようになるのを支援できたら──。
この未来的な技術「ステントロード」(stentrode)は、からみ合った電極を含んだ小さなデバイスから構成されており、これまでに、ヒツジの神経作用を記録するのに成功している。
メルボルン大学のバイオメディカルエンジニアで、同技術の開発を手がけるシンクロン(Synchron)の最高技術責任者(CTO)を務めるニック・オピーによれば、次は早ければ2018年9月に、最大5人の志願者にテストされることになっているという。
ステントロードは、パワードスーツや義肢などの外付けロボットデバイスに対して、患者が意志することをワイヤレスで伝え、患者の脳による動き・移動の制御を可能にするよう設計されている。
この技術は、成長分野である人間拡張(ヒューマンオーグメンテーション)工学の一角を占めている。マッキンゼー・グローバル・インスティチュートは2013年、人間拡張工学は2025年までに先進国で運動障害を抱えて生活する5000万人超を支援し、年間2兆ドルの売上を生み出せるようになるだろうと予測している。
「われわれの目的は、こうした人々の一部が移動や自立、コミュニケーションを取り戻せるようにすることだ」とオピーは語る。「われわれはこのデバイスを、脳がつくり出した情報を抽出し、損傷した神経を迂回するために使っている」
同じようなアイデアを持つ研究グループはほかにもある。億万長者のイーロン・マスクが共同設立したスタートアップ、ニューラリンク(Neuralink)は、人間とコンピューターをつなぐ超広帯域幅のブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)を開発している。
フェイスブックの研究開発部門「ビルディング8」も、脳からの信号を使って文字入力を可能にする技術の開発に取り組んでいる。

開頭手術を避けられる

ステントロードは、伸長するメッシュタイプのステントに取り付けられた電極から構成されており、鼠径部(脚の付け根)に挿入されたカテーテルを使って、運動皮質(動きを制御する脳の部位)の上の血管に挿入される。
所定の位置に達したカテーテルが引き抜かれると、ステントロードは膨張して血管壁にくっつき、葉巻形のワイヤーチューブを形成して脳活動を記録する。ステントロードは拡張すると4ミリになる。
この設置手順は、脳卒中患者の血栓を取り除く際に神経放射線科医が用いるやり方とほぼ同じであり、約30~40分で完了できるとオピーは言う。
ステントロードはニッケルとチタンの合金でできている。柔軟で引っ張り強度が高いため、侵襲性の高い手術を行わなくても、血管を通してうまく脳内に入れることが可能なのだ。
「われわれの方法を用いれば、開頭手術を避けられる」とオピーは語る。「他の技術の多くは頭蓋骨の取り外しを必要とするため、危険をともなう。われわれは血管を通すことによって、そのリスクを避けている」

必要とされる汎用性

このアプローチの侵襲性は、脳手術と比べて低い。だがその一方で、神経信号を傍受できるポテンシャルは、その設置による制限を受ける可能性がある。ステントロードは、それを支持するのに十分な太さの血管にしか装着できないためだ。
そう指摘するのは、オックスフォード大学で計算論的神経科学(computational neuroscience)と神経外科学を研究するニュートン・ハワード教授だ。
「こうした技術の成功には、あらかじめ決められた血管系だけでなく、脳内のどこにでも埋め込めるという高い汎用性が必要だ」とハワード教授はメールで述べた。
また、このデバイスが閉塞を引き起こし、その結果、脳卒中のリスクが高まるという危険性が、少なくとも理論上はあると同教授は指摘した。そのためこのデバイスは、脳卒中を起こしやすい素因を抱える人には不適切、あるいは「禁忌」とみなされる可能性もあるという。
「ステントロードは現在の技術を追い越すものではなく、将来、次世代ブレイン・コンピューター・インターフェイス(BCI)の不可欠な要素になるものであると、わたしは思っている」とハワードは述べている。
「ステントロードは、他の技術とは根本的に異なっている」
同氏は、脳機能の発達やニューロン(神経細胞)の相互作用などを研究する一方で、神経系疾患の治療を目的とする診断方法やツールの改良に取り組む非営利団体「ブレイン・サイエンシーズ・ファウンデーション」の会長も務めている。

DARPAからの資金提供

ステントロードは、メルボルン大学とロイヤルメルボルン病院、フローリー神経科学・精神衛生研究所の研究者たちによって開発された。研究資金は、米バージニア州アーリントンにある国防高等研究計画局(DARPA)と、オーストラリアの国立保健医療研究委員会(NHMRC)によって提供された。
米議会公認の退役軍人組織である「パラライズド・ベテランズ・オブ・アメリカ」(PVA)によれば、アメリカには脊髄に損傷・疾患を抱えている退役軍人が10万人いると推定されている。
バラク・オバマ前大統領は2016年4月にYouTubeで公開された動画のなかでこのプロジェクトについて説明し、ステントロードは「我が国の傷ついた兵士や障害を持つ人々の生活を一変させる可能性を秘めている」と述べた。
ステントロードを開発するためにオピーが同僚らと創業したシンクロンは2017年4月、シリーズAラウンドで1000万豪ドル(760万米ドル)の資金調達を完了したと発表した。
ヒトに対する安全性が確立されたら、2019年を目処に約30人の参加者を対象とした世界規模の臨床試験の実施をめざすことになるとオピーは語り、ステントロードの価格がいくらになるのか推定するのは時期尚早だと付け加えた。
「会社を立ち上げたのは、ファースト・イン・ヒューマン試験を通過したら、市場に出回る非常に明確な手段をステントロードに与え、それを必要とする人々に利用されるようにするためだ」とオピーは言う。
開発の次の段階では、てんかんやパーキンソン病など、脳に関係する他の疾患にもステントロードを使用できるかどうか、その可能性がくわしく調べられる見込みだ。
「脳関連技術の成功には、とにかくデータがすべてだ。最小限の副作用で有効性が示されているか、ということが問題になる」と語るのは、ボストンにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)マクガバン脳研究所で、生物工学と脳認知科学を研究するエドワード・ボイデン教授だ。
「新たな脳テクノロジーはすべて、そうした課題に直面している」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Jason Gale記者、翻訳:阪本博希/ガリレオ、写真:Henrik5000/iStock)
©2017 Bloomberg News
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.