憎悪表現も「自由」17%=人権擁護に関する世論調査-内閣府
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他人の行為を否定することへの恐怖が広がっている気がします。
裏を返せば他人に関わりたくないという気持ちなのかと。子供が図書館で走り回ろうとその親以外は叱れない、そんな感じと根幹は一緒な気がします。
残念ですが、一方で否定すると逆上する非常に厄介な人もいるので、回答者の気持ちも分かります。
注目のコメント
ヘイト表現と政治的主張は紙一重。事前に規制すべきではない。
ただし、表現の結果、誰かを傷つけたならその責任を事後に民事で取らせるべき。その意味で、先日の在特会の敗訴確定はよかった。規制するより、ああいうニュースをもっと拡散したほうがよい。
ヘイトも含め表現は自由。しかし、自由はその結果責任を免れるもことを意味しない。嫌って差別する事と嫌っていることを表明するのとは違う。
表現の自由として認める事と、行為としてやって良いと認める事とは異なる。
表現の自由だと回答した人の中にも、この様に解釈している人が多数いるのではないかと思います。
村上 敬さんがおっしゃるように、言うからには責任を伴うでしょう。
自由には責任が伴う。これもまた然り。よって、例えば名誉毀損で訴えられたりしたとしたら、それは自由の代償であったというだけのこと。