【人権】世界から非難、オーストラリアの無慈悲な難民対応

2017/11/29

美しき大自然の国・オーストラリアで異変

多文化主義を掲げ、多くの移民を受け入れてきたオーストラリア。留学や就労を目的に移住する者も多く、門戸が開かれた国とのイメージが一般に持たれてきた。
そのオーストラリアが今、国際社会から非難されている。
舞台は、オーストラリア近隣の島国・パプアニューギニアのマヌス島。透き通る青い海に囲まれたこの島国の美しい自然とは裏腹に、同国にオーストラリア政府が設けた収容施設では難民が筆舌に尽くしがたい劣悪な環境に置かれている。
飲み水や食料を満足に与えられず、40度を超える酷暑の中でもエアコンが動かず、トイレなどの衛生面の悪さから感染症が蔓延し、精神的に追い込まれる──こんな惨状が報告される収容所の「閉鎖」を巡って、世界中から厳しい視線が注がれる事態となっている。    

島国の難民収容施設に世界中から批判

かつての寛容な姿勢から一転、近年のオーストラリア政府は難民受け入れに対して厳しい姿勢を取っている。
イランやアフガニスタンなどから戦火を逃れて海路から入国を試みる難民申請者を海上で拿捕(だほ)し、これらの島国の施設へ収容してきた。そこには難民として認定されているにもかかわらず、4年以上にわたって定住先の国が定まらないまま収容されている人も少なくない。
正規に入国する難民は一定数受け入れてきたオーストラリア政府だが、ボートで渡航を試みる難民申請者には厳しい対応を示すことで「密航業者の暗躍を未然に防ぐ」との姿勢を取っている。
しかし、この強硬政策が生んだ収容施設の実態を前に、国連を始め、国際社会から人権侵害との批判が高まっており、各国メディアも相次いで惨状を報じている。
昨年パプアニューギニアの最高裁判所がこの施設に対して「憲法違反」との判断を下したことを受け、10月末、遂にこの収容施設は閉鎖されることとなった。
『豪州政府は、密航業者を利することを理由にボートでの入国を例外なく一切認めていない』(豪州政府HPより)
マヌスの収容施設内で窮状を訴えて集まる収容者たち(11/5撮影)
だが、その施設の「閉鎖」がさらなる騒動の発端となった。
収容施設に残った約400人に対してパプアニューギニア政府が島内の代替施設に移動するよう指示したが、地元民らに襲撃される恐れがあることなどから、移動を拒否する難民申請者が続出(実際、過去に暴行に遭った難民もいると言う)。
11月23日に、パプアニューギニア当局は遂に強制排除に乗り出した。退去を拒んで残っていた人たちの持ち物や棚、ベッドなどを破壊し、備蓄していた食料や水などを取り上げるなどして、強制的に立ち退きを求めた。
オーストラリアのターンブル首相は「退去を拒否しても、政府が考えを変えることはない」として、難民と認められても依然として受け入れを拒む姿勢を改めて強調。「オーストラリアに受け入れてもらう考えならば、それにわれわれが応じることはない」と断言した。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は23日、「緊張を緩和し、解決策を見いだすために、両国政府に建設的な対話を求める」と事態のさらなる混乱に懸念を表明している。
オーストラリア各地で難民政策を非難して抗議が行われ、様々な人権団体がSNSで写真を拡散している
収容されている難民は具体的に、どのような環境に置かれていたのか。
施設は10月末に事実上「閉鎖」されたため、水道、電気、ガスなどの供給が打ち切られていた。さらに十分な食料の供給もままならず、困窮した収容者たちは雨水を求めて何時間も自力で土を掘るなどして、かろうじて生活を続けていた状況だという。
国連は「徐々に明るみに出てきている人道上の危機だ。難民保護の責任はオーストラリア政府にある」と指摘している。
飲用水を求めて土を掘る難民申請者たち(11/1日撮影)

取材が禁じられた内部の実態をスマホで発信

本来、この施設は取材が固く禁じられている。では、なぜこの施設の実態が明るみに出たのか。
時代はスマートフォン。施設内にいる難民たちは金を出し合って人権団体や母国に残る親族から送ってもらってスマホを入手。電波環境が悪い中で細々とソーシャルメディアなどを通じて世界へ向けて内部の現状を発信しているのだ。
マヌス島施設に収容中のクルド人ジャーナリスト・ベルーズ・ブッカーニ氏
その一人が、イラン出身のクルド人ジャーナリスト、ベルーズ・ブッカーニ氏だ。テヘランの大学で地政学の修士号を取得し、ジャーナリストになることを夢見ていた。2013年5月に、クルドについて自由に発信できる環境を求めてイランを逃れた。
75人の難民認定申請者とともにインドネシア経由でボートに乗り込んだが、オーストラリア海軍に拿捕され、後にマヌス島の収容施設に移された。以後4年以上にわたって行き場の決まらない収容生活が続いている。
その困難な現状が、逆に彼を突き動かした。施設内には、アフガニスタンやイラクから戦火を逃れ避難してきた、本来難民認定されるべき収容者たちが多数留め置かれている。途方に暮れている仲間のためにも収容所内の実態を明らかにしようと、スマホで発信を始めた。
その努力が実り、彼はいま英ガーディアン紙のいわば「専属」記者のような立場で内部の現状を不定期に発信している。皮肉にも、オーストラリアの地を踏むことが許されずに収容されたマヌス島から、世界が注視する内部の実態を発信するジャーナリストの夢をかなえることになった。

SNS取材に応じたスーダン難民が明かす実態

同じく施設に収容中の、スーダンからボートで逃れてきた24歳の男性・アダム氏も難民認定を受けているものの、いまだ移住先も決まらない。アダム氏がマヌス島に収容されたのは20歳のとき──以来、4年もの年月を施設内で家族と離れ離れになって孤独に過ごしてきたという。
アダム氏は「施設の閉鎖後は水を容器にためて、塩や砂糖などを加えて空腹をしのいでいる。不衛生な状況なので体調を崩す者も続出している」と訴える。
シャワーも出なくなっているため、空から降り注ぐスコールをシャワー代わりに体を洗うなどしているといい、内部の実態を写した写真を送ってきた。また、収容中のあるロヒンギャ難民の男性はひどい腹痛を訴え、一時意識不明の状態に陥ったという。
別の収容者は精神的に不調をきたして手をつけられない状態になり、その様子を間近に見た収容者たちも恐怖に包まれるなどして眠れない夜もあったという。通報しても救助を拒否され、収容者たちが自力で沈静化を図ったそうだ。
「僕の輝かしいはずの黄金の時代はすべて奪われてしまった」と、アダム氏は言う。
雨が降り注ぐタイミングでシャワー代わりに全身を洗う収容者たち
安全な寝場所の確保もままならない深刻な状態が続いている(11/6撮影)
施設に収容されているスーダン難民男性(24)と筆者とのやり取り
パプアニューギニア当局は強制排除に及んだ23日、難民らがSNSを通じて内部の実態を世界に向けて発信していることを知ってか、その場で混乱した様子を撮影し始めた収容者らのスマートフォンを破壊するなどしたという。
筆者がSNSを通じて連絡を取り合っている難民たちも軒並み、別の収容施設へ既にバスで移動したというが、そのうちの一人は「監獄からまた別の監獄に移動させられただけだ。私たちがただ求めているのは、自由だけなのに――」と落胆の色を隠さない。
また、先述のクルド人ジャーナリスト・ブッカーニ氏は、施設内の様子を頻繁に発信していたことなどから一時拘束される事態となった。
数時間後に解放されたブッカーニ氏は早速、ツイッターで当局から暴力的な言動で問い詰められたことを明かし、強制排除後の荒れ果てた施設内の写真を投稿するなどした。拘束中に「お前は我々の名声を汚した! 有罪だ!」などと叫ばれ、当局複数人にたたかれるなどの暴行を受けたという。

ニュージーランドが手を差し伸べるも拒否

こうした惨状の中、新たに動き出した国もある。ニュージーランドだ。新たに就任したジャシンダ・アーダーン首相はこの施設の現状を問題視し、「島に収容されている150人の難民をニュージーランドが引き受ける用意がある」とオーストラリア政府に打診。
ところが、マルコム・ターンブル豪首相は、先にバラク・オバマ前米政権との間で合意した難民交換協定を優先しなければならないと申し出を断り、国内外から批判の声が上がっている。
オーストラリア側はニュージーランドの提案に対し、パプアニューギニア政府と直接交渉をしてほしいとの姿勢を示したが、アーダーン首相は「私たちの申し入れを受けるのは紛れもなくオーストラリア政府の責任だ」と主張。
国連も11月、オーストラリアはニュージーランド政府による難民受け入れの申し入れを受けるべきだと指摘している。

「移民排斥」を訴える極右の動きが過激化する豪州

古くはアボリジニの迫害に始まる「白豪主義」から「多文化主義」へと変容を遂げてきた歴史を持つオーストラリアだが、近年のこうした姿勢の背景には右傾化した勢力の存在もある。
その代表格が、オーストラリアの極右政党「ワン・ネーション(One Nation)」だ。フランスの極右政党「国民戦線」や、オランダ自由党、「ドイツのための選択肢」(AfD)などと似た自国第一主義の立場を掲げる。
同党のポーリン・ハンソン氏は「反イスラム」「移民排斥」を掲げ、過激な行動で注目を集めている。今年8月には、顔を全て覆う黒いブルカ姿で議場に登場し「治安を守るため、ブルカの着用を禁止しないか」と呼び掛け、議場内を凍りつかせた。
キャンベラの上院議場にブルカをかぶって現れたワンネーション党のポーリン・ハンソン党首(写真:Gary Ramage/Newspix/Getty Images)
こうした動きはこれにとどまらず、11月初めにはメルボルンのバーで、イランからオーストラリアに5歳の時に移住したイスラム系の男性議員に極右団体のメンバーが近付き、「イランに帰らないのか? お前テロリストだろ? 小さい猿め」などと汚い言葉でののしり、さらにその様子を動画に収めて自らSNS上で公開した(動画は削除された)。
オーストラリアの極右グループの一員から、バーで嫌がらせを受けるイスラム系議員(向かって右)の写真。SNS上で拡散している。
移民や難民を排斥しようとする自国第一主義の流れは今や、ヨーロッパやアメリカだけではない。多様性を阻むその流れは、世界中で静かに広まりつつある。その背景には、失業率の悪化や自国の経済、治安などへの不満があり、その矛先が難民に向けられている一面がある。
寛容の国とのイメージがあったオーストラリアも、例外ではない。
(バナーデザイン:星野美緒、文中の難民の写真は施設内の難民が撮影したもの)