“人工知能時代”に求められる人間の能力、たった1つの答え
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注目のコメント
国が「人間力」なるものを定義して研究する様な時代なんだなと不思議な気持ちですね。
CDが12センチになったストーリーは有名ですが、その大前提は1970年代に世界中で広範なブラインドテストによって行われた人間の可聴領域の測定で、概ね16kHzが上限というコンセンサスが得られたため、20Hz程度まで収録可能な44.1kHzのサンプリング頻度で規格が決まった為とも言えます。
現在では、脳波やPET測定によって、より高周波の音波であっても、骨伝導や体表面を通じて無自覚に「聴こえている」ことがわかりつつあり、当時のサンプリング頻度の設定によって削ぎ落とされてしまった多くの音源の深みはもう取り戻せないことになります。
多少文化に造詣があっても、自然現象を謙虚に受け止めず、学会の権威の意見を盲信してしまったせいで、失ってしまうことがあるのだという教訓話だと思ったのですが。
教養があっても科学を理解していないと(または権威を信じて科学を真に理解している人を大切にしないと)、こういうことになるんでしょうね。
大学と教養に関しては、これまで散々コメントして来たので詳しくは書きませんが。
大学が、教養のためにあるのか、高度な人材を育成するためにあるのか、稼げる技術を開発するためにあるのか、叡智の集積のためにあるのか。
そのどれもが正しいのだと思いますが、その正しさの積み重ねの延長に、地獄が形成されているとも言えると思います。
私には「人間力」などと言うものが、「大学教育」などと言うもので培われるとは思えませんね。