【新】一生に一度。初開催のラグビーW杯に見る“夢”

2017/11/8
<一生に一度だ。>
そんなキャッチコピーのビッグイベントがやってくる。11月2日の木曜日、品川の某ホテルの大広間。日本ラグビー界のプラチナ、五郎丸歩選手はぼそっと、漏らした。
「まさか日本にくるとは思っていませんでした……」
4年に1度の世界一決定戦、ラグビーワールドカップ(RWC)のことである。サッカーに遅れること56年。ついに1987年に第1回大会がキックオフされ、これまで8度の大会が開かれてきた。
ただ日本で、いやアジアでは、初めてのRWCとなる。ニュージーランドや豪州、南アフリカ、イングランドなどの伝統国以外では初めて。つまり世界のラグビー界にとっては極めてチャレンジングな大会なのだった。
そのRWC2019日本大会の決勝戦までちょうど2年となった日、いつ、どこで、どんなカードをやるのかの日程が発表された。
開催国の日本は2019年9月20日、東京スタジアムでの開幕戦で欧州予選1位チーム(たぶんルーマニア)と対戦することになった。中7日おいて静岡でアイルランドと、中6日おいて愛知・豊田で欧州・オセアニアプレーオフ勝者(たぶんサモア)と、さらには中7日おいて横浜で因縁のスコットランドと相まみえる。試合間隔では恵まれた。
対戦カードが次々と発表されていく。二百数十人のメディアが詰めかけたホテルの大広間の空気がその都度、揺れる。東日本大震災の被災地の岩手・釜石では2試合が組まれた。新スタジアム建設や無理難題を乗り越えての試合実施であろう。ここまで来れば大丈夫だ。
ああ、よかった。カラフルな大漁旗がスタンドではためく。常夏の島から来るフィジーが寒冷地の釜石のグラウンドで躍動する。想像しただけで、涙腺がつい、緩んでしまった。薄暗い会場の隅っこで目頭を押さえた。

平尾誠二の語った夢

スポーツは歴史である。歴史をたどれば、ラグビーのワールドカップ日本開催を夢見ていた、何人かの故人を思い出す。
例えば、2003年11月、イラクで凶弾に倒れた外交官の奥克彦さん(享年45)。早大ラグビー部の憧れの先輩だった。秩父宮ラグビー場そばの古びた居酒屋で人生を教えてもらったことがある。
その奥克彦さんがRWCの日本開催を主張し、早大ラグビー部の先輩にあたる森喜朗総理に日本招致を熱く訴えたのだ。情熱は人を動かす。その思いは紆余曲折を経て、日本ラグビー協会の町井徹郎会長(2004年没、享年69)を動かし、会長を継いだ森さんご自身が招致活動の先頭に立つことになった。これも運命である。
日本ラグビー界は2005年、RWC2011年大会の招致に失敗する。日本など新興国の理事は1票に対し、伝統国のそれは2票を持つという理不尽な理事会の投票方式に屈した。オリンピックを主催する国際オリンピック委員会(IOC)や国際サッカー連盟(FIFA)とは違うのだった。フェアではない。
国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)の会長に対し、森さんはこう、抗議したそうだ。「ラグビーのオモシロさはボールを展開することじゃないか。日本にもボールをパスしてください」と。
日本ラグビーはRWC招致に再チャレンジする。経験は宝である。招致失敗を糧とし、理事たちとの信頼関係が強まり、いわゆる“ロビー活動”も戦略的になる。2016年東京オリンピック招致活動もプラスに作用した。
ここで妙案が生まれた。RWCの15年大会と19年大会を一緒に決めようというアイデアである。日本は総力をかけて運動し、2009年7月、ついに2019年大会の招致に成功したのだった。
たしかに日本でのRWC開催を危ぶむ声は伝統国の一部にくすぶりつづけた。だが2015年のRWC大会で日本が南アフリカに番狂わせを演じるなど大活躍し、国際ラグビー界の嫌な空気を変えてくれた。
訃報がつづく。“ミスター・ラグビー”といわれたRWC2019組織委員会の事務総長特別補佐だった平尾誠二さんは1年前、病気で天国のフィールドに召された。平尾さんは生前、こう、僕に語ったことがある。
「この大会は、新しいラグビー文化の構築につながっていく。もしかしたら、最後のもっとも大きなチャンスかもしれない。これをビッグステップと思って、さらなる発展につなげていくための大会にしないといけない」
ラグビーが大好きだった釜石市の佐藤蓮晟くんもことし2月、天国に旅立った。まだ13歳だった。目を閉じれば、地元でのRWCを楽しみにしていた少年の笑顔がよみがえる。
彼はこう、僕に言った。
「おれは、いろんな人とラグビーを楽しみたい。おじさん、ワールドカップでもっと、ラグビーを盛り上げてよ」
 (写真:©Getty Images/World Rugby)
話を“いま”に戻す。秋晴れの11月4日、日本代表はRWC2019の決勝の会場となる横浜国際総合競技場でオーストラリア代表とテストマッチを戦い、30-63で敗れた。
じつは試合前、一般の人を対象に、スタジアムツアーがおこなわれた。ぼくはガイド役をつとめた。ロッカールームではいくつかのエピソードを話した。
試合後、そのツアーにいた家族連れとばったりあった。冷たい強風の中、赤白の日本代表のレプリカジャージーを着た5歳の男の子は愉快そうだった。「試合、オモシロかった?」と、ぼくは聞いた。
「うん。とっても」
「2年後、ワールドカップの決勝もここでやるんだよ」
「うわぁ。きょうと同じチームなの?」
ははは。笑うしかなかった。でも、もしも決勝戦が日本とオーストラリアになったら……。考えるだけで幸せな気分になる。
夢を見るのは自由だ。みんなが夢見るRWCがやってくる。いろんな人の夢も背負っていこうじゃないの。
さあラグビーワールドカップだ。
 <4年に一度じゃない。
       一生に一度だ。>
(写真:©JR2019)