商店街にIT企業? 再生の先にある、新しいコミュニティ

2017/10/27
少子高齢化によって生産人口が減少するなか、どのように産業やコミュニティを維持・発展させていくか──現在さまざまな課題に直面する地方で、先端テクノロジーを使った取り組みが行われている。
いまの地方を取り巻いているのは、東京などの都市部にも、いずれ訪れるであろう状況だ。未来の変革は、ローカルから始まっている。(全7回連載)
「シャッター商店街」とは、その名が示す通り、シャッターが閉じた空き店舗が目立つ商店街のことだ。その原因のひとつに挙げられるのが、1992年の大店法(大規模小売店舗法)改正である。これにより、郊外に大型ショッピングモールが数多く出店できるようになり、商店街の衰退が始まったと言われている。
宮崎県日南市にある油津(あぶらつ)商店街も、つい4年前までは「猫も歩かぬ」と言われるほどの、典型的なシャッター商店街だった。そんな商店街が、今では全国各地から再生のモデルケースとして注目されている。
油津商店街は東洋一のマグロ漁獲高を誇った油津港にほど近い場所にあり、かつては宮崎県南地区最大の市街地としてにぎわった。しかし、冒頭の大店法改正に人口減少、高齢化などが加わり、徐々に空き店舗や空き地が増え、通行量や小売販売額も減少。ついには最盛期の1/3程度まで店舗数が減少した。
そんな油津商店街が再生したきっかけは、2013年に日本で2番目、九州では最年少で当選を果たした﨑田恭平市長による地域改革だ。﨑田市政誕生から4年弱。2017年3月末時点で、油津商店街には29店舗ものテナントが誘致された。そのなかには、東京に本拠を構えるIT企業のサテライトオフィスも含まれる。
なぜ、典型的な地方都市のシャッター商店街は、わずか4年で再生することができたのか。今回は日南市の﨑田恭平市長と、地域の課題を地域で解決するためのコミュニティデザインに携わる「studio-L」代表の山崎亮氏に、これからの地方創生のあり方について語ってもらった。

民間人登用の条件は、“日南市への移住”

── 﨑田市長の就任当初、日南市民はどういった危機感を抱えていたのでしょうか。
﨑田:自分たちの子どもや孫が、どんどん都会に出て行ってしまう。街が寂れていくという危機感が強かったと思います。私は市長選で「若者が地元に戻れない状況では、明るい展望が開けない」と訴え、行政にマーケティングの手法を取り入れることを提案しました。日南市が持つ資源や長所を組み合わせ、新しい価値、仕事、お金を生み出すことを公約にして支持していただいたのです。
﨑田恭平(さきた・きょうへい)/1979年、宮崎県日南市生まれ。九州大学を卒業後、宮崎県庁に入庁。2007年には県内の若手公務員を集めた勉強会「Mfnet」発起人のひとりとなり、市町村の垣根を越えて交流。厚生労働省に派遣され、東京で暮らした経験を経て、2012年8月に退職。翌2013年、日南市市長選に出馬。現職市長、元県議も出馬し、三つどもえの選挙となったが、他の2候補に大差で当選。就任直後から、油津商店街の再生事業をはじめ、精力的に地方活性化のための改革を実行している。
── 就任後は、地方創生事業に2人の民間人を登用し、油津商店街再生に取り組んでいますね。
﨑田:県庁職員として働いていた時代に、さまざまなコンサルタントの仕事を見ました。自治体のPRって、下手をすると県や市の名前と特産品を入れ替えただけのパッケージになっていることが多い。正直、コンサルタントに対する不信感があったんです。
重要なのは、地域と一体になって物事を進めていくこと。たまにしか顔を見せないコンサルタントではダメだと考え、2人には日南市に定住してもらうことを条件に登用しました。
1人は企業の誘致や雇用の拡大など、外需獲得をミッションにした田鹿倫基。もう1人は日南市内の消費を循環させるため、魅力ある商店街の復活をお願いした木藤亮太。
木藤は私が市長になる前から進行していた「中心市街地活性化基本計画」で公募されました。市長よりも高い給料を提示して、メディアでもユニークな公募だと取り上げられたことで300人を超える候補が集まり、そのなかから選ばれました。
田鹿は、私が厚生労働省に出向していたとき、宮崎県出身者が東京で開いている勉強会で知り合いました。当時、彼は会社員でしたが、非常に優秀だったので、出馬したときに「市長になったら日南市に来てくれ」と声をかけたんです。
山崎:いわゆるヘッドハンティングですね。僕がまず興味を持ったのは、﨑田さんのマーケティング的な発想と手法です。県庁から厚生労働省と、ずっと行政側にいるのに手法が斬新で、民間と行政の橋渡しがうまい。
僕がやっている「コミュニティデザイン」は、まさに﨑田市長が日南市でやっていることと同じだと思います。僕らは、建築家のように何かを作ることはしません。それに、コンサルタントのように計画案を提出することもない。
何をやるかといえば、市民と対話しながら課題や解決策を考えてもらって、実行してもらう。地域の人たちが当事者としてコミュニティを構築するのを、よそ者としてお手伝いしています。
ちなみに、僕は5年半ほど兵庫県庁で研究職に就いていました。この時に議会への説明や行政の縦割り構造を体感し、「行政がプロジェクトを動かすための論理」を学びました。
山崎亮(やまざき・りょう)/studio-L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶応義塾大学特別招聘教授。1973年愛知県生まれ。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなど、地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。著書に『ふるさとを元気にする仕事』(ちくまプリマー新書)、『コミュニティデザインの源流』(太田出版)、『縮充する日本』(PHP新書)など。
﨑田:行政や地域コミュニティには、民間ビジネスとはまた違うルールがありますから、頭ごなしにビジネスモデルを提案するだけではダメなんですよね。
木藤や田鹿に定住してもらったのもそのためで、まず行政と地域の信頼関係を構築しないと物事が進まない。2人とも職場対抗の草野球に出たり、地域のお祭りや催しに参加することから始めました。
そんな調子なので、4年間で20店舗の誘致を公約した油津商店街では、最初の2年で2店舗しか誘致できませんでした。4年というのは、市長の任期と同じ。つまり、達成できなければ次の市長選はかなり厳しくなるという、かなりリスキーな計画だったんです。

商店街を、新しいコミュニティの拠点に変える

山崎:地域のコミュニティを作るというのは、すぐに結果が現れるものではありませんから、少しずつ関係を築いていくしかありません。最初は何から取り組んだのですか?
﨑田:今でこそ成功事例として注目されていますが、シャッター商店街の再生プロジェクトというだけでは外部の企業はもちろん、地域の住民は見向きもしてくれません。そこで、再生の過程そのものが話題になるように、さまざまなイベントを行いました。私は、成功までの過程を見せて応援してもらうこのやり方を「AKB方式」と呼んでいます。
例えば、シャッター商店街で人通りが少ないことを逆手に取り、商店街にレーンを作って日本一長いボウリング大会を実施しました。そうすると、面白い取り組みをしながら奮闘してまちおこしをやっていると、メディアで取り上げていただけた。
こうしたことがきっかけで市民が関心を高め、自分ごととして認識してもらえるようになりました。その結果、志のある人が店舗やオフィスをオープンしてくれて、4年目には当初の目標を超える、29店舗の誘致に成功したんです。
── 特徴的なのは、商店街なのに小売店だけでなく、IT企業のオフィスなどが入っているところですよね。観光客が宿泊できるゲストハウスや、周辺には保育施設もある。
山崎:コミュニティデザインの観点で見ると、中心市街地の活性化と商店街の活性化は、それぞれ異なるものです。戦後70年間は、中心市街地がたまたま商店街と重なっていた。しかし本来、それらの機能はイコールではありません。
郊外型ショッピングセンターやeコマースの隆盛、少子高齢化といった時代の流れも含めて、小売りという機能しかない商店街は衰退を免れません。そうなったときに、次世代の中心市街地に何を据えるかを考えなくてはいけない。油津商店街は、そのモデルのひとつになるでしょうね。
﨑田:そうですね。油津商店街は「商店街の再生」というキーワードで語られることが多いのですが、私たちはここを昔の商店街に戻す気はまったくなくて、新しい役割を持たせた新市街を作るイメージで取り組んでいます。
商店街の方と対話するなかで、若い人たちのために仕事を作らないといけないという話がありました。日南市の有効求人倍率は1.07倍。しかし、若者の希望が多い事務職に限ると、0.1~0.2倍程度しかありません。
事務職に就きたい人が10人いても、1つか2つしか事務職がない。そうなると、希望する職に就けなかった若者は、たとえ日南市が好きでも外へ出ていってしまいます。若者を地方につなぎ留めるには、単に雇用が必要なのではなく、「事務職」が必要だという結論に至りました。
── そこで、IT企業に目を付けたのはなぜですか?
﨑田:都会のIT企業の悩みは、働く人の流動性が高く、企業への定着率が低いこと。しかし、地方では企業の選択肢が少ないこともあって、一度就職すれば定着率は高い。もし、都会のIT企業が地方にオフィスを構えたら、いいマッチングが起こるのではないかと考え、ウェブメディアの運営や遠隔医療事業などを手掛けるポート株式会社を誘致しました。
1社の誘致が決まると社長同士の口コミなどで徐々にうわさや評判が広がり、今では10社もの企業が、油津商店街にオフィスやワーキングスペースを構えています。
現在、商店街周辺のIT企業で80名ほどが働いていますが、彼らが商店街でランチをしたり、夕食の買い物をしたりするんです。若者の雇用を作ることが商店街の顧客を作ることにつながり、新しい経済循環が生まれてきています。
それに、これまで都会に出ないと就職できなかったIT企業で働けるということは、地元に住み続けたり、外から日南市へ移住したりすることのモチベーションになります。将来的には、大学進学などで街を離れた若者が帰って来られる受け皿にしたいです。
山崎:ポートさんのオフィスや、ゲストハウス(fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL)を見てきましたが、どの施設もオシャレで楽しそうですよね。地域を再デザインしていくときに、「楽しい」「カッコいい」「オシャレ」と感じられる施設はとても重要です。
「持続可能な地域社会」「地域コミュニティの創生」、そういった目標を掲げて地域や行政の課題を解決しようとするときに、市民の参加は必要不可欠です。その時、社会貢献のような正しい理屈だけで頑張れる人は、市民の1割もいないでしょう。
僕らの仕事は、市民が自発的に動きたくなるように、社会的な正しさと、感性的な楽しさをミックスすること。東京でオシャレなカフェがオープンするのは当たり前かもしれませんが、日南市では当たり前じゃない。ネット社会では、そのインパクトの違いがそのまま情報の拡散や認知につながります。ネットによって情報の広がり方だけでなく、価値判断も変わったのではないでしょうか。

地方が提示する、ライフスタイルの選択肢

── 油津商店街の再生は、なぜ成功したのだと思いますか。
﨑田:先ほど山崎さんがおっしゃったように、日南市が全国から注目されたことも、IT企業の誘致も、インターネット社会が発達したことによって可能になった面が大きいです。
ICTによって日南市にいながら東京のオフィスと会議ができますし、ネットの口コミで飫肥の城下町や武家屋敷を知って、日南市を訪れてくれる外国人観光客も増えました。
ひと昔前は、大手広告代理店や旅行会社に高いお金を払って、地域の情報をPRしてもらっていました。それが今では、TwitterやFacebookを使うことで、世界に向かって情報を発信できる。お金がない自治体でも、アイデア次第で対等に勝負できるのです。
ある地域が面白いPRをしたとしても、それが何千万円もかけて東京の広告代理店が作ったものと分かってしまえば、ちょっとがっかりしますよね(笑)。たとえクオリティが高くなくても、地元の人たちが一生懸命に考えて実施したPRの方が、本当の想いが伝わると思います。
これまでの地方は、高速道路や鉄道といったインフラで街を結ぶことに熱心でしたが、これからはよりITインフラが重要になるはずです。日南市もまだまだですが、より充実させて活用したいと考えています。
山崎:日南市の成功のポイントは、最初に地域との絆を深めるという、一番手間のかかることから始めたことだと思います。いきなり東京のオシャレなIT企業が商店街にオフィスを構えたら、場合によっては反感を招いたかもしれない。
アインシュタインは、「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決することはできない」という言葉を残しています。地方自治体や商店街の経済が衰退したから、新たにお金を稼ぐ方法を考えるというのは、設定自体が間違っています。考えるべきは、経済だけでなく、地域の生活をどう成り立たせるかです。
日南市では、初めの2年間で培われた信頼関係によって、市長の目指す方向がじわじわと地域に浸透した。だからこそ、IT企業の誘致が起爆剤になり得たのでしょうね。
﨑田:日南市が大局として目指していることは、日南市のコンセプト「創客創人」に込められています。
「創客」とは、日南市に人々が望む価値を持った製品やサービスを生み出すこと。「創人」とは、そのための仕組みを構築できる人材を育てるという意味です。自分で物事を判断して、個人の生き方や地域コミュニティも含めた日南市の価値を創りあげる、自立した市民を育てたい。
日南市行政のトップでありながらこんなことを言うのは変かもしれませんが、最終的には行政に頼らない市民がたくさん生まれて、自分たちの力で日南市を活性化させてくれることが目標です。
山崎:活性化する地域が増えてくれば、定住先としての地方の価値は相対的に上がります。今までの上京するしかなかった状況から、上京することが選択肢のひとつに変わるのではないでしょうか。
たくさん働いてお金を稼ぎたい時期には東京へ行ってもいい。そうではない生き方をしたいなら、地方にも新しい暮らし方がある。最近の若い人は、ブランド品と並列で、ファストファッションを取り入れますよね。まさにそういう価値観です。
行政や個人が自立して、地方やライフスタイルを変えていくと、面白い時代になると思います。
この対談は、油津商店街再生の先駆けとなった「ABURATSU COFFEE」で行われた。取材の前後に山崎亮氏と周辺を歩いたところ、平日の昼間ということもあり、買い物客でにぎわうというよりも、住民たちの生活空間として機能している様子。
多世代の交流を目的として立ち上げられた複合施設「油津Yotten」。名古屋大学の学生がクラウドファンディングで資金を募り、大学を休学して立ち上げたというゲストハウス「fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL」。近所には、飫肥杉を使った玩具が並ぶ日南市子育て支援センター「ことこと」もある。いずれもデザインが洗練されており、オシャレ。新しい施設やリノベーションされた建物と、古くからの商店がうまく共生している。
ちなみに、油津には広島東洋カープのキャンプ地である日南市天福球場がある。商店街にはカープ応援歌が流れ、真っ赤な「カープ一本道」が球場へと続く。油津Yottenには、市民の私物を含めたグッズを展示する「油津カープ館」も。この土地がカープファンにとっての聖地であることも、書き添えておきたい。(編集)
(取材・文/笹林 司 編集:宇野浩志、呉琢磨 撮影/後藤 渉 デザイン:片山亜弥)
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