「人生に『物語』を求めるのは、まったく意味のないことです」|あの人気教授が、世界最高峰の知性に斬り込む!【3】
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注目のコメント
よく知られているように、ホモサピエンス全史では人類繁栄のカギを「フィクションを信じる力」と説いています。ただこの「物語を信じる力」こそが人類に幾多の悲劇をもたらしたという側面もあります。今も続く宗教戦争などは典型的な「物語を信じる力の副作用」と言えるでしょう。一方の近代日本の虚構を信じる力の副作用の代表と言えばやはり「天皇万歳!」だと思います。
皮肉にもこの「物語を信じる力」が、ロジカルに考えればどう見ても無理な戦争に国民を動員するドリブンになりました。
このような行為は行動経済学の観点から見れば確かに意味のないものに見えるかもしれません。ただハラリ教授は手放しに「物語を求めてしまうこと」を礼賛しているのではなく、「どうやら、これは人類の初期設定のようなものだから、時に副作用を起こしても付き合っていくしかない」というスタンスだと思いますので、経済行動学における物語批判は真っ向対立ということにはならないのではないと思います。
だから多分このタイトル、一文を切り取って激論ぽい感じに見せるよくある「見出しプロレス」ではないのかと思いますが、違うのかな。
有料部分読んでいないので、分からないのです。すいません(笑)すごい歴史家だということはわかるが、このネット時代にいちいち「知の巨人」と持ち上げるのはどうにかして欲しい。
自分で楽観的になろうとか悲観的になろうとかしない、研究が生活に影響を及ぼすことがあったとしても、目を曇らせることはしない、という点はとても共感が持てますね。
私は日本人の中で最も「ピークオイル(石油供給悲観論)」コミュニティに入り込んだ人だと思っているのですが、だからと言って悲観論者ではありません。
また、エネルギーアナリストの仕事をしていると、「さぞや資産運用で儲けているんでしょう」と言われることがありますが、私は自分の話がポジショントークにならないようにする為に、自分の職業倫理として、株や債券やFXやコモディティ投資などは行わないようにしています。
エネルギーの仕事をやっているからこそ、コオロギに注目しているわけですが、それは趣味みたいなもので、自分の主張が変わることはありません。
しかし、アリエリー氏の次の話題への導入をみていると、この対談大丈夫かなと思ってしまいます。有料部分は、、、『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ
「私は歴史家です。自分の仕事は、自分の目をできるだけ曇らせないことだと考えています。自分の目を曇らせないことで、世界で起きている出来事を、明晰に、学生や読者に伝えられるからです。悲観的な見方をするプロになったり、楽観的な見方をするプロになったりした時点で、私はプロの歴史家ではなくなってしまいます」