#盛る 浮世絵、美人画、プリクラ、インスタ。「盛る」日本文化の進化史
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数年前、知り合いの若い女の子が「ちょーモレテル」と言っているのを聞いて、「え、漏れてる?」と聞き返したことがあることを白状します笑。「漏れてる(語尾が下がる)」ではなく「盛れてる( 語尾が上がる)」であり、「え、それどんな漢字?」と理解するのに当時時間がかかりました笑。
冗談はさておき、休日の土曜日はちょっとした歴史モノということで、日本人女性の「盛る」伝統文化がどのように変遷してきたか、というコラムをお送りします。
東京大学大学院の久保友香氏は、日本の「美人画」を研究し、「盛る」の数式化ができないかとユニークなリサーチをてがけていらっしゃいます。「シンデレラテクノロジー」というのも面白い発想だな、と思いました。
私自身も、インスタによくあがっているキラキラの「リムジンパーティ」を見ると「リムジンパーティの子ね、はいはい」などと一括りにしていた節があったので、個性との関係といったお話は大変、勉強になりました。「盛る」の実践的なやり方を説明した記事は多くあれど、平安時代から振り返って考察するものはなかなかないので、とても興味深いです。
平安時代といえば、清少納言の「枕草子」は結構「インスタ映え」のバイブルだと思っています。「春はあけぼの」で描写されるピンクの空は映えそうだし、「可愛いもの」として挙げられている子供や動物は、今のインスタでも「いいね」がつく鉄板。
清少納言が今の時代にいたら、ハッシュタグも粋なのをつけるだろうな。今回の連載で一番楽しみにしていた記事。その期待を裏切らないどころか、上回る内容でした。
「盛れる技術の大衆化」というフレーズには納得するところがあります。私もアジア経済について講演するときに、「ITの大衆化」というキーフレーズをしばしば使います。かつてのように、「盛れる」で言えばパトロンが付かないと盛れない時代から、誰もが安価にアプリやプチプラのアイテムで盛れる時代の現代。その背景にはITの大衆化という流れがあるように感じました。
これは先進国の人たちだけがやっているのではなくて、新興国でも所得層に関係なく「盛り」をしています。撮影する角度から始まり、フリーアプリを使っての修正など。お金があれば、更なる盛りを求めてお金を使うことも出来ます。「盛りの諸相」という視点から、私がフィールドとしているアジアでも観察をしてみたくなりました。
また、この記事の書き手が研究者である点にも注目しました。私は長らく、学術知の実務的応用というテーマ意識を持ってきましたが、この記事は美人画や浮世絵といった日本美術史や風俗史の視点を持ちつつ、現代のインスタやポップティーンなどの雑誌までアプローチをしており、現代のビジネスに関わる人たちに様々な示唆を与えてくれている。
個人的な経験としては、マレーシアの19世紀の地方史を研究している人の発表内容に刺激を受けて、現代社会や経済の構造を理解する多数のヒントが得られたことがあります。分野は違いますが、日本画という、かなり昔の時代のものを通じて、現代に示唆を与えるという、学術知の実務への応用という視点から、この記事には刺激を受けました。
あと盛り曲線が面白かった。