未来のディストピアに何があるか

ブルームバーグのテクノロジー・チームは10月6日金曜日の午後、仕事を早めに切り上げて、映画『ブレードランナー2049』を観に行った。技術の未来に関する、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による魅惑的なヴィジョンを描いた作品だ。
上司の気分を大いに台無しにすることになるが、われわれは映画のチケット代を必要経費として請求した。私は今後、他の社員を努めて避けるつもりだ。
1982年公開の前作『ブレードランナー』と同じく、『ブレードランナー2049』は実に陰鬱な作品だ。
天気が悪く、息が詰まるような汚染物質が雪のように空気中に漂い、気候変動の結果、カリフォルニア州の海岸線沿いには巨大な壁が立ちはだかって太平洋を遮断し、浜辺ですてきな1日を過ごせる見込みがなくなったディストピアを描いている。
未来のロサンゼルスは人混みでごった返し、ホログラフィック広告だらけの場所がある一方で、生き物がまったくいない見捨てられた場所もある。
恐らく最も悲惨なことは、オリジナル版の舞台である2019年とファッションがほとんど変わらないことだろう。人々はまだ襟を立て、透明なプラスチック製ジャケットを着ているのだ。

人間よりも人間らしいレプリカント

だが、背景は何もかもこのように荒涼としているものの、技術についてはもっぱら楽天的に描写されている。グーグル共同創業者ラリー・ペイジが出資する「空飛ぶ車」の工場は成果を上げたようで、未来の車は呪われたような街並みの上を苦もなく疾走している。
文明社会は一時は深刻な食糧不足に直面していたようだが、新たな種類の農業──おそらく、本サイトが取り上げた垂直農法のようなものだろう──によって、国土の多くが広大な人工的農場に変わった。
内耳にインプラントされた装置に画像を送るドローンのおかげで、視覚障害者は世界を見ることができる。ロケットは、遠い惑星である「異星の植民地」まで人々を運んでいる。
そして、ブレードランナー世界の中心には、世界を感じることができる人造人間「レプリカント」がいる。第1作では、ルトガー・ハウアーやダリル・ハンナらが演じる「ネクサス6型」の反乱グループが、何よりも人間らしいものを求めた。つまり延命だ(人間社会の安全のため、レプリカントの寿命は4年と定められていた)。
彼らはその目標を求めて極端な暴力に走ったが、彼らを容赦なく追い詰める人間たちよりも共感や感情を示していた。
「人間よりも人間らしい(More human than human)」は、完全に統制されたタイレル社(レプリカントのメーカー)のモットーであるだけでなく、「人間が最良の特質を失っても、人間の創造物はその特質を備える」という予言でもある。

人間から人間性を奪ってきたもの

今回の新作映画で、レプリカントたちは再び正義のために闘う。人間のほうは、ロビン・ライトやジャレッド・レトが演じる登場人物のように、鉄でできたビルの中でもっぱら何かを企んでいる。
イアン・ゴズリング演じる登場人物は、別の形態の人工知能(基本的には、自室にある音声アシスタント「Alexa」のようなもの)とつき合っている。そしてこのロマンスは、本作品の中で最も人間らしい関係だ。犠牲的精神と、いささか創造的なかたちの親密さに根ざしている。
起業家イーロン・マスクは、よく知られているように、AIが人類を圧倒して奴隷化すると予測している。彼と同意見の者やグーグル傘下のDeep Mindのように、大きな懸念を抱いてAIの倫理について研究し始めている者も大勢いる。
だが、『ブレードランナー2049』のロボットたちは、正常に機能していることを確認するための厳しい心理テストによって追い詰められている。つまり、人間がまだ優位に立っているのだ。来たるべき革命の兆しはあるが、暴動ではなく、市民権を求める運動と位置づけられている。
確かにこの映画には、殺人ロボットが1~2体登場する。だが、私が熱を込めてお勧めする、ゆっくりとストーリーが展開する思慮に富むこの作品には、将来に対して不安と恐怖をもつ現代に対する適切なメッセージが込められている。
それは、人間性を奪ってきたのは、技術ではなく人間自身だというメッセージだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Brad Stone記者、翻訳:矢倉美登里/ガリレオ、写真:eugenesergeev/iStock)
©2017 Bloomberg News
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.