“甲子園中毒”の 野球界。盛岡大附の反省から何を学ぶべきか

2017/10/4
甲子園のマウンドに立つ逸材の異変に気付いた人間は少なくなかった。
2014年夏の高校野球2回戦・盛岡大学附属―東海大学付属相模戦でのことだ。
盛岡大附のエース松本裕樹(現ソフトバンク)は、ストレートの球速を130キロ前後に抑えると、カーブ、スライダー、カットボールを駆使する技巧派のようなピッチングを見せていた。
優勝候補と目された東海大相模を9回8安打3失点に抑えて完投勝利を挙げたピッチングにはセンスを感じたが、大会前には150キロを投げる「剛腕」として評判だった松本の状態が、普通ではないことは簡単に見て取れた。
このとき松本の右肘は、靭帯に炎症を起こしていたのだ。
将来のある高校生がいかにも普通ではないコンディションで投げている。これは筆者を含む何人かの記者が盛岡大附の指揮官・関口清治監督を問い詰める事態に発展した。昨今の高校球児の肩・肘などの健康面を巡るいち事件として記憶されている。
「松本の失敗から学びました」
この夏の甲子園で関口から出た言葉だ。
関口清治(せきぐち・きよじ)
 1977年岩手県生まれ。高校時代は盛岡大附の5番・捕手として活躍し、高校3年時夏に甲子園出場。東北福祉大2年時に右肘の靭帯を断裂。再建手術を受けて1年後に復帰するも2学年下の石原慶(現・広島)が正捕手に座っており、4年からは教員免許取得を目指して裏方に専念した。2000年4月に盛岡大附のコーチに就任。2005年4月から部長、2008年9月から現職
3季連続出場した今年夏の甲子園で関口が率いた盛岡大附は、複数投手で大会に臨み、春に続くベスト8進出を果たした。
負傷したエース・松本をマウンドに立たせ続けた指揮官は、なぜ、采配を改めたのか。
それを明らかにすることで、今、高校野球界にある問題点を整理できるかもしれない。
そう考えた筆者は9月中旬、盛岡大附・関口監督のもとを訪れ、2014年当時の起用法から今に至る葛藤について尋ねることにした。

2、3番手投手を使うのが怖い

「指導者のエゴだったいうことだと思います」
ひと通りの挨拶と盛岡大附の歴史を聞き終えた後、今回のテーマについて質問を投げかけると、過去の自分を達観したかのように関口は語り始めた。
「2014年は松本と2、3番手の投手に力の差がありました。それで、どんな試合でも、松本、松本、松本という起用になっていました。勝つことが何よりチームに力がつく。そう思い込んだ私は『大事な試合は松本が投げる』というチームづくりを浸透させてしまったんです」
「指揮官のエゴで、結局、2番手以降の投手を育てきれず、エースの松本がケガをしているのに、甲子園で2、3番手投手を使うのが怖いという状態になっていました。夏の大会を迎えるまでの過程に、監督のミスがありました」
松本の右肘に異変が起きたのは、岩手県大会決勝戦の試合中だ。5回が終了してグラウンド整備のインターバルの際、松本本人が「(右肘に)違和感がある」と伝えてきた。
関口は自身の知識不足もあって、「違和感」という言葉に敏感には反応しなかった。
「それほど長いやり取りではなかったんです。違和感という言葉をそう重く感じなかったのもありますし、松本も『あと少しなんで頑張ります』と、代わるような感じではありませんでしたから」
甲子園出場を決めたあと、病院へ検査に行ったが、症状は軽いものだった。「疲労性の炎症。1週間もすれば治る」。医者の診断を鵜呑みにした関口は甲子園入りしてから投げ始めればいいくらいに思っていた。
ところが、松本の状態は上がらなかった。大会が始まってもキャッチボール程度しかできないほどで初戦の2回戦・東海大相模戦を迎えることとなった。
「さて、どうするとなったんですけど、東海大相模のような強豪相手に勝てる投手は松本しかいない。松本は神奈川県から(野球留学で)来た選手でしたから、本人は投げたい、と。東海大相模には中学時代に負けた相手がいたんです。その想いも買って起用したんです」
松本にはたぐいまれなピッチングセンスがあった。だから150キロの剛速球が投げられなくても、変化球を巧みに使って相手打線を手玉に取れた。
ダルビッシュ有(現テキサス・レンジャーズ)が東北高3年春のセンバツで、ストレートを多投せずに変化球重視のピッチングでノーヒット・ノーランを達成したことがあったが、センスのある投手は自身についたイメージを逆利用して打ち取る投球術を駆使できる。松本は「150キロ右腕」に照準を合わせてきた超強豪校をあざ笑うかのように、変化球主体のピッチングで牛耳ってみせたのだった。
そうして2回戦は乗り切ったが、3回戦までは持たなかった。
松本の肘がそんな状態でありながら、関口は3回戦も先発させたが、3回途中9失点でKOされたのである。
「1試合を投げるだけでも無茶だったんですけど、東海大相模には負けたくないという意地があった。次のゲームも投げさせたのはあやまちどころの話ではないと今でも思っています」
岩手に戻ると、松本は3カ月ノースロー調整を強いられるほど深刻な状況であることがわかった。結局、同年のドラフトで1位指名を受けたソフトバンクに預けるまで一度もボールを投げなかったというから、相当な重症だったといえるだろう。
救いは松本の靭帯が切れるまでに至らなかったことだが、故障させたのは間違いなかった。
プロ入り3年目の今季、松本裕樹は球界屈指の戦力を誇るソフトバンクで1軍の戦力として活躍

複数投手制で全体を底上げ

そこから関口は采配を改める。
チームにいる10数人の投手陣を育てようという気概のもと、采配において1人の投手に頼るのではなく、複数投手制を敷いた。そして、自身の奥に潜む「勝ちたい」エゴとも向き合った。
「登板した投手が“今日は負けることも勉強だ”と思えるようにしました。公式戦でも春の大会ではエースを使わないで戦う試合も作るように、と。もしそれで負けたら、そのレベルのチームだと思うようにしてきました」
松本の一件が起きる以前まで、たとえば春の県大会などで2番手以降の投手を先発させることはあったが、大差で勝つだろうと踏んでいた相手に苦戦を強いられると、登板予定のなかったエースをマウンドに行かせることが度々あった。特に松本のような大エースがいたときは、そうした起用が顕著だったと関口は言う。
「練習試合などもそうですが、“目の前の相手を倒すことによってチームが成長する。(この試合は)カギを握るゲームなのだ”と思ってしまうところがありました。生徒の成長を待つことをメインにやっていけば、松本を壊すことはなかったんです」
「それなのに、目の前の試合に勝つという気持ちばかりが先行して松本の多投にたどり着いていました。2番手投手を起用して負ける試合があっても、それは登板した投手たちに現在の力を示してあげる機会であるのに、私が蓋をしていたんですね。松本を起用することでごまかしていたんです」
今年夏のチームは甲子園でこそエースナンバーを付けた平松竜也、2年夏から登板経験のある三浦瑞樹の2枚で勝負したが、ベンチには4、5人の投手を置いた。
県大会では、さらに多い5、6人の投手をベンチに入れ、秋、春、東北大会、ブロック予選などそれぞれの大会ではエースナンバーを1人に固定しなかった。競争心をあおることで投手陣の底あげを図りたかったからだ。
エースの平松は「普段はライバルと思って競ってきました。大会では力を合わせていく感じです」とこの夏の甲子園で複数投手制について語り、三浦は「僕は完投する気で投げています。でも、継投は監督の方針なので、それは仕方ないと納得してやっていました」と話していた。誰が控えに回っても、2番手に甘んじることのない環境ができ上がったことで投手陣が底上げされたのである。
いかに指導者が最後の夏の大会までに、勝利にこだわらずにチームづくりをできるか。関口はそう考えることで、複数投手の育成に舵を切ったわけである。

高校野球人気と勝利至上主義

この一件に潜むのは指揮官の姿勢だけの問題ではない。高校野球には、公式戦だけでなく練習試合においても、エースが多く登板しなければいけない空気があると関口は証言する。
「6月くらいになると、ほとんどの練習試合が強豪との試合になるんです。そうなってくると、どのチームもエースの登板が増えます。強豪を相手に勝ちたいという欲が(監督自身に)出てくるんです。また、遠くから遠征に来ているチームが相手だと、エースを出さないのは失礼だみたいな空気もあるんですよね。そこを変えるのは難しい」
そもそも一人の投手を多投に向かわせる遠因は、関口に限らず、指揮官の勝利至上主義による場合が多い。「選手を勝たせたい」と指導者たちは美辞麗句を口にするが、“自らが勝ちたい、恥をかきたくない”という気持ちが根底にある。
同情するわけではないが、2014年当時の関口がそういう状況に置かれていたのもまた事実だ。
関口が高校3年時に初めて甲子園に出場を果たした盛岡大附は、2013年のセンバツで安田学園にサヨナラ勝ちするまで、春・夏の甲子園で9連敗という不名誉な記録を残している。これは史上最長の連敗記録だ。選手として、2008年から指揮を執るようになった監督として、連敗に関わった関口からしてみれば、センバツで初勝利を挙げていたとはいえ、勝利に飢えていた。
「うちは勝っていないチームでしたので、何とかして勝たないといけない。そうした想いだけが先行して、選手の体調とか、控え選手の成長を無視してしまっていた」と関口は回想している。
高校野球は人気がある分、周囲の目を気にしなければいけない。指揮官が結果や成果を最優先に求めるのは、高校野球の人気と勝利至上の風潮があるからに他ならない。
関口は育成の失敗から学び、今の指導につなげているが、多くの指導者が高校野球のそうした風潮から抜け出せないのが現状なのだ。
今夏の甲子園で初優勝した花咲徳栄をはじめ、複数投手で大会に挑むチームが増えてきている。この動きを「指導者の意識の変化」と「球児の健康面を気遣うようになった」と見るむきもあるが、そう言い切るのは時期尚早だ。
事実、昨夏の決勝は、作新学院の今井達也(現・西武)と北海の大西健斗(現・慶応大学)がほぼ1人で投げていたし、今年春のセンバツでは福岡大大濠の三浦銀二や滋賀学園の棚原孝太、東海大望洋の金久保優斗などが190球超えの異常な登板をこなしている。
高校野球を取り巻く環境に変化がない中での、この夏の起用法の違いはあくまでトレンドの域でしかない。大胆に言えば、投手のレベルが高くなかったから、そうした継投を選択したと見ることもできる。
加えて言うならば、複数投手制を敷く理由が「勝利」というものに基づいているのなら、それは松本を多投させた関口の発想と大きく変わらない。真の意味で、指導者の姿勢が変わったと言えるのは、目の前の勝利を度外視してでも「複数投手制」を敷くようになってからだろう。
もちろん、理由はどうであれ、複数投手制を敷くチームが増えるのは良いことだ。
ただし、高校野球の今後のあるべき姿、つまりプレイヤーズファーストを考えたとき、関口のように「勝利に対する指揮官の欲」から脱皮して初めて、真に「指導者の姿勢が変化した」と言えるのではないか。

少年野球の異常な起用法

こうした勝利を大前提としてチーム作りをする指導者のエゴは、高校野球に限ったことではない。
関口は実感を込めて言う。
「松本から聞いた話なのですが、少年野球のとき、彼は公式戦の全試合で投げたそうです。60連投くらいはしていた、と。もちろん、毎日試合をしていたわけではないようですが、60数試合の連投をこなしていたそうです。それを知った中学のボーイズの指導者が松本の登板を控えたと聞きました。野球界にはいろんなところに勝利至上の問題があるのかもしれない」
「実際、私たちのチームには、小中学校時の投げすぎで手術を経験して入部してくる子や、ケガの影響で1球もブルペンで投げることができないまま卒業していく選手もいます。そうした現状を支配しているのは、勝ちたいという指導者の想いだと思います。それが投手を酷使する原因になっているのかなと。高校野球の風潮が下のカテゴリーに降りていくこともありますので、高校野球から変えていくことも大事なのかなと思います」
甲子園で起きた一つの事件を契機に、関口は憂うべき現状に一石を投じた。指導者はいかに勝利至上主義から離れて、選手育成を最優先に切り替えることができるか。
あまりにも勝利に固執する今の風潮を、筆者は“甲子園中毒”と呼んでいる。
それほど異常な空気に野球界が包まれていることを、指導者たちは早く気付くべきだ。(敬称略)
(撮影:氏原英明)
*次回は11月1日(水)に掲載予定です。