永里優季の自問自答。「私は本当にサッカーが好きか?」

2017/10/3
アメリカに渡り早くも3カ月が経ち、残る試合はプレーオフのみとなり、あっという間にシーズンの終わりを迎えようとしています。
5月の上旬に負傷した半月板損傷から8月中旬のリーグ戦で復帰、そしてNWSL(米国女子サッカーリーグ)デビューを飾ることができ、現在は何の問題もなくプレーすることができています。
身体の痛みや不安なくプレーできることは本当に幸せで、毎日ピッチの上でボールが蹴れるという当たり前のようで当たり前ではないサッカーの根源である部分に、以前よりも大きな喜びを感じています。
サッカーを始めてから24年。
人生の大半の時間を「サッカー」に費やしてきたことになるわけですが、なんとなく始めたサッカーをなぜ続けているのか、長期離脱を強いられる負傷をしたり、心が傷む想いや嫌な経験をしてもなぜ続けるのか、そこまでしてサッカー選手にこだわる理由はどこにあるのだろう?
「本当にサッカーが好きなのだろうか?」――この問いに対して「YES」と言い切れない自分がいた時期は何度かありました。
自分の人生を生きていない
兄妹の影響でサッカーを始めてから自然とサッカー選手を志すことになり、サッカーのある生活が当たり前だと認識するようになり、中学生の頃に掲げた目標の通り、自分の足で稼げるようになりました。
W杯優勝、オリンピック銀メダルを経験し、ドイツに渡ってからも目標にしていたことをすべて成し遂げました。
その後はイングランド、アメリカと、一カ所に留まることなく常に変化と新たな刺激を求めて環境を移してきました。もしかしたら、イングランドに渡ったあたりから「目標」に対する感じ方が変化してきていたのかもしれないと、今振り返ると感じることがあります。
「自分の人生を生きていない」と思う瞬間が今まで何度かあって、その度に苦しさを感じ、他人の評価の上を生きていると感じる時期も正直ありました。
インタビューなどで目標を聞かれても、インタビュアーが求めている答え通りの言葉を並べていたときもありました。目標を立ててそれを目指すことを強要されているような感覚すらも覚え、環境に縛られて自分が自分でいられないことに苛まれ、目標が見つからず浮ついた気持ちのままサッカーをしている自分に対して嫌悪感を抱きました。
このまま仕事としてサッカーを続けるのは、何よりもサッカーに対して失礼だと感じていました。
そんな自分の気持ちをどうにか整理しないとこのままサッカー人生を歩んではいけない気がして、タイミングが上手く重なったこともあり、今回新天地にアメリカの地を選択しました。
何も期待せず、まっさらな気持ちでシカゴでの生活をスタートしようと心に決めて数カ月が経ち、そこには周りの評価を気にせず、ただ純粋にサッカーを含めた人生を楽しんでいる自分がいました。今までにない感覚というか、“こんな気持ちでサッカーに向き合ったことが今まであっただろうか?”と思うほど、新しい景色を見ているような感じがしています。
目標と目的と心
最近、ふと思いました。「もしかしたらこれまでの人生、目標に依存してきたのではないだろうか?」と。
サッカー選手になってW杯やオリンピックで優勝したい、海外リーグで活躍したい。子どもの頃から周囲に目標ばかりを求められ、目標を持ちそれを目指すことは当たり前という認識になり、なぜそれを目指すのかといった「目的」という大切な部分に関しては触れられず、目指す理由を考えずに、ただひたすら目標を達成することだけを考えて行動し、生きてきたのではないかと。
昨年3月にリオデジャネイロ五輪出場権を逃し、今までに経験したことのない喪失感を味わいました。何かぽっかりと穴があいてしまったような感覚で、それが「何か」というのは正直、そのときはわかりませんでした。
そこから1年半という歳月をすごす中で、何かを探すかのように新たな出逢いにヒントを求めていろんな場所へ足を運び、多くの人の思考に触れ、景色に触れ、答えを見つけるためにこのときをすごしていたようにも思います。
組織で一部の力のある人間に評価されれば、それである程度は安定した生活を手に入れることができます。自分の立場を守るため、自分の稼ぎのために手段をいとわない人も、これまでの海外生活で数多く見てきました。
女性社会であることも起因しているとは思いますが、私には到底そんなことはできないと思うことに遭遇する度に、改めて自分の「心」というものがわかったり、どうあるべきなのかということを考えさせられたりします。
目標に振り回され、目標に依存し、生きる上での目的を見失い、お金に左右され、お金に振り回され、それで人間関係がこじれることほど不幸なことはないと私は思っています。幸せとは何か? 真の豊かさとは何か? 私たちはどのような未来を描き、どのような未来をつくっていく必要があるのでしょうか?
アスリートやエンターテイナーをはじめ今の時代に生きる人、これからの時代を生きる人は、組織の評価だけでなく、社会からの評価も勝ち取らなければなりません。それは、「表現する=メッセージを発信する」ということに直結してくるからです。
どんな職業の人にも共通して言えることだと思いますが、自分自身を表現することが社会に対するメッセージになります。だからこそ、表現を通して何を伝えたいのかという部分において、自分という人間を確立する必要性があると思っています。
5年後の出逢いに通じるもの
「自分の道を進む」「自分の人生を生きる」って、好きなことをやっているから基本的には楽しいのだけれど、かといって楽なことって意外となくて、他人の評価にさらされながらも自分自身の目指す表現との戦いの連続で、ときにはいろんな葛藤がつきまといます。
周りの雑音や評価が気になっているときは、自分のすべきことに集中しきれていないことがほとんどです。ひたすら自分のやるべきことに集中し、毎日仕事への準備を繰り返し、自分を表現し続けることができるようになると、不思議と雑念が消え、日々の生活が充実したものになると実感するようになりました。
人は必ず他人の人生を生きるときがあると思います。そこで何も気づかずに流されるのか? 魂と誇りを先行させて自分を確立するのか?
戦後教育が生み出した調和は前者を多く世に送り出しました。自分が自分でいられないことに苦痛を感じたら、それはもうすでに自分が確立されているか。あるいは、その根源となる部分ができあがっていて、自分を表現すること自体が生きる目的になっていて、すでに自分の道を生きようとしているという証なのではないでしょうか?
これまでの人生やサッカーで培った能力は、世の中を善い方向に動かすために使っていかなければならないと感じています。自分の技術を磨きながら表現し、相手を尊敬し、感謝することで信頼し合い、お互いに助け合う心を育み、自分だけでなく他人とともに恊働し合いながらより善い世界にしていくことが、これからの未来において大切なことなのではないかと思っています。
心を通わせられる仲間とサッカーができる日々は最高に幸せで、そんな仲間に出会えることも、人生の中でそう多くはないと感じます。サッカーが人生の一部と感じられるようになり、サッカーとの向き合い方も大きく変化してきました。
サッカーだけに限らず、何事も向上心を忘れずに自分を磨き続け、自分の信念や想いを表現し続けることによって、5年後、10年後に出逢う人の質が決まるような気がします。
自分の人生を生きるということは、自分自身を幸せにし、他人の人生にも愛と幸せを運ぶことができる。世界中の人たちの心が豊かになることを祈りながら、一途一心に自分にできる準備を続け、人のために持っている技術を使い、自分にできることを精一杯やっていきたい。
そんなことをアメリカに来て強く思いました。
(写真:アフロ)