自らの手で人生を切り拓く

金持ちで有名、重要な人物といえば、リチャード・ブランソンやイーロン・マスクあたりを思い浮かべるかもしれない。
だが、過去にも富と名声を手にした人物が大勢いた。その人たちは全員が生まれつきエリートコースに乗っていたわけではなく、大半が自分で一から人生を築き上げてきた人たちだった。
過去に存在した億万長者からは、学べることがたくさんある。エジソンやフォードらについては、そのイノベーションや不屈の精神などが語られることも多い。だが、一般にはほとんど記憶されていない人たちにも、学ぶべき点は多々ある。
ここでは、そうした人たちから何を学べるかを紹介しよう。

1. ジェレミア・G・ハミルトン

ジェレミア・G・ハミルトンは、19世紀前半の億万長者で、ウォール街のブローカーだった。
歴史研究者らによると、ハミルトンはアフリカ系米国人として最初の億万長者の一人だという。1875年に亡くなるまでに、彼は200万ドルの財産を築いた。現在の価値に換算すると、おおよそ2億5000万ドルだ。
ハミルトンは、現れたチャンスはすべて物にすることで財産を築いた。不運な人々を利用したとも言われ、「暗闇のプリンス」とのニックネームで呼ばれることもあった。
だが、今日の歴史家によると、ハミルトンに対する見方は当時の人種差別によって歪められており、彼の成功が当時どれほどタブー視されていたかを物語るという。
おそらく、ハミルトンの人生から学べることは、自分が欲しいものを目指して働くということと、ビジネスの世界で成功するためには、時には世間に逆らうことも必要だということだろう。

2. ヤコブ・フッガー

ヤコブ・フッガーは、ハミルトンよりずっと昔の人物だ。彼が「大金持ちのヤコブ・フッガー」として知られていたのは、1400年代後半のドイツである。フッガーは商売により財を成した。当時のドイツで最も成功した商人の一人だったのだ。
彼はイタリアとの繊維貿易で資産の大半を築いたが、その資産を銅や銀、水銀や辰砂(水銀の原料)といった貴金属の採掘や販売でさらに増やした。
フッガーが1525年に亡くなると、その甥が200万ギルダーの資産を引き継いだ。米ドルにすると100万ドル超だが、ここでも彼の時代からお金の価値は天文学的に増えていることを忘れてはならない。
フッガーからは市場のトレンドを追うことの大切さも学べるが、それに加えて、彼がハプスブルグ家と近い関係にあったことから、政治的な関係はビジネスと同様に大切だということも学べる。

3. ジョン・ジェイコブ・アスター

ジョン・ジェイコブ・アスターはドイツ系米国人で、商人であり、ビジネスマン、不動産投資家、起業家でもあった。彼の名前をどこかで聞いたことがある人はいるかもしれないが、詳しく知っている人は少ないだろう。
アスターは経済のトレンドを追いかけることによって財を成した。最初は独占的に毛皮貿易を行い、市場で毛皮貿易への関心が薄れると不動産投資に切り替えた。
亡くなるまでに、アスターは2000万ドルの資産を築いた。現在の価値に直すと約6億ドルで、米国初の億万長者の一人として歴史に名を残した。アスターが教えてくれるのは、市場のトレンドを注意して見ておくことと、政府の高官とビジネス上の関係を保っておくことの重要性だ。

4. クララ・ブラウン

クララ・ブラウンはバージニア州で奴隷として生まれた、まさに「たたき上げ」の女性だ。54歳で彼女は奴隷の身分から解放されたが、その時すでに家族はバラバラになっていた。
ブラウンはコロラド州の炭鉱町に落ちつき、彼女もまた市場を可能な限り活用した。彼女の場合は不動産投資だった。
ブラウンは、ゴールドラッシュの恩恵を受けた最初のアフリカ系米国人女性の一人だった。ブラウンの生涯から学ぶべきなのは、非常に恵まれない生い立ちだったとしても、発想力さえあれば、その人の可能性を阻むものは何もないということだ。

5. アイザック・マイヤーズ

アイザック・マイヤーズは当時のアフリカ系米国人としては珍しく、奴隷制度のある州で自由な身分で生まれた。しかし、私立の学校で教育を受けることは認められなかった。
その代わりに、マイヤーズはコーキング(建築物などの継ぎ目や隙間を埋めること)を専門とする職人になり、「有色人種コーキング職人労働組合」を結成して代表となった。
それだけでなく、彼は同様のいくつもの団体でリーダーとなり、米国史において、アフリカ系米国人としては初めてと言える偉大な起業家的リーダーとして名を残した。自分が手掛けるものごとを上手く行うことは重要だが、そこでリーダーシップを取ることも同様に重要だということだ。

6. フランク・マックワーター

クララ・ブラウンと同様に、フランク・マックワーターも奴隷として生まれた。マックワーターは1819年に、自分で自らの自由を買い取った。
マックワーターはここに挙げた他の億万長者たちとは異なり、土地を開墾・耕作してイリノイ州にニューフィラデルフィアという町を築き、財を成した。そしてブラウンと同様に、小さなところからのスタートでも、発想力さえあれば大きな可能性が開けることを示した。

7. J・ポール・ゲッティ

ロサンゼルスにあるゲッティセンターは、ポール・ゲッティにちなんで名づけられた。そのため、彼の名前を聞いたことがある人は多いかもしれない。しかし、彼がどんな人物だったかを知る人は少ないだろう。
ゲッティは1976年に亡くなったが、生涯で現在の価値に換算して84億ドルの資産を築き、史上最も裕福な人物の一人となった。もしゲッティがいまも生きていたら、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスらと一緒に、長者番付に並んでいたことだろう。
ゲッティの経済的な成功は第一次大戦の頃から始まった。その頃にゲッティは父親から資金を借り、石油事業を始めたのだ。1966年には『フォーブス』誌により、「世界で最も裕福な個人」と認定された。
しかし、彼が資産を築くことができた真の理由は、有名になるぐらいのケチだったことだと言われている。ここから学べることがあるとすれば、財産を築くには、稼ぐ金額より使う金額が圧倒的に少なくなければならない、ということだろうか。

8. ウィリアム・アレキサンダー・ライデスドーフ・ジュニア

ウィリアム・アレキサンダー・ライデスドーフ・ジュニアは、米国の駐メキシコ副領事を務め、サンフランシスコ市の教育委員長や出納局長も歴任した。しかし、彼の莫大な資産や、1848年に亡くなった時点で144万5000ドルの価値があった邸宅は、金鉱の採掘によって築かれたものだった。
彼の人生は、技術やビジネスのトレンドの最先端に居続けなければならない現代の起業家にとって、たいへん参考になる。彼もそのようにして財産を築いたからだ。

9. エリアス・ハスケット・ダービー

エリアス・ハスケット・ダービーは、18世紀で最も裕福だった商人の一人だ。ダービーは商人として事業を拡大していくなかで、たいへんな努力とイノベーションで富を築いた。
彼は「グランド・ターク」という商船を持っていた。グランド・タークは米国東海岸のニューイングランドから出港した船としては初めて、中国と直接取引を行った。彼と同様に、新しく遠大な手法に一生懸命に取り組めば、そのイノベーションを基盤として大きな資産を築けるかもしれない。

10. ジェームズ・フォーテン

ジェームズ・フォーテンは奴隷解放主義者としてよく知られている。彼は自らの豊かな資産を用いて、この活動を推進した。
フォーテンは製帆者(船の帆を作ったり、修理したりする仕事)としての仕事に就いたあと、ビジネスマンとして成功した。フォーテンから学ぶのであれば、彼の稼ぎだけではなく、自由への無私無欲の投資や寄付について考えてみよう。
原文はこちら(英語)。
(執筆:John Boitnott/Journalist and digital consultant、翻訳:東方雅美、写真:Studio-54-foto/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.