ベーシック・インカムではAIに職を奪われた人々を救えない|『サピエンス全史』著者、ハラリ教授が考える「AI革命後の世界」
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富の再配分の仕組みを再構築する必要がある点は、ベーシックインカム推進者と共感する。しかし、なぜ必要かについてのもっと強力な理論的基盤が必要だ。今のままでは、私はそう思う、という主観的な議論を超えられない。著名なハラリ氏はこう思う、では全く弱い。
建物を建てる時に、強度計算が必要なのにイデオロギーや主義の入る余地はないし、衛星を飛ばす時に軌道計算が必要かどうかにも主義の議論も不要である。このレベルで、富の再配分に関する主義を超えた強固な科学的理論が必要だ。
現代のデータと科学的な解析力を活用すれば、そろろろこのような社会的な意思決定に、科学的な知見が基本的な役割を果たす時が来たように思う。BIは論理的には良い制度にみえますし、私も何らかの形でそれに近い制度が将来的に導入されるだろうとは考えていますが、ブロックチェーンによる暗号通貨が簡単に法定通貨と置き替わらない問題と同様に、結局は人間が作り導入・運用する制度であるということが、BIに内包された難しさだろうと思います。
仕事がなく、BIで娯楽に興じる社会がどんなものか、働きたい人はどうするのか、と言う問題もありますが、そこは多分なるようになります。
職が無くなる事で感じる不安は、スキルが全て代替され仕事という生き甲斐を失うことに関する部分と、収入をどうするかという部分と二つあり、BI(あるいはUBI)というコンセプトは後者にたいする推論的な結論としての対策です。
前者に関しては、人間は複製されない個人として、苦しみを社会(これも人間によって構成されている)に共感してもらうというスキル、つまり責任を取るスキルがあるので、どんなに機械に仕事を奪われてもその部分は残ると思います。
しかし、BIをもらう側と与える側とで、著しい生産性の違いにより超格差社会になることは明白です。
経済力とは、すなわち暴力のない一定のルール下で行使される権力の大きさのことなので、行使可能な権力の多寡による社会の階層化はますます進みます。その階層化された社会を暴力化させず安定化させるためのBIと言うことですが、それならばそもそもなぜそうした人々が存在しなければならないかという問題にあたります。
搾取対象ですらなくなった人々が、統治者や搾取する側のエリートにとって必要なくなった時に、BIが持続的に供給し続けられる意味、その社会的安定性をもたらすメカニズムは存在するか。
多くの戦争を経て、搾取対象を守るべき搾取対象(国民)とそうでない搾取対象(国外の人々)とに分ける「国民国家」という枠組みが広まりましたが、AI×BIによって、守るべき対象が変わることで、さらに混沌とした世界が想起されます。その中で、新しい秩序を構築する新たな争いも起きて来そうです。
手塚治虫の作品「アトムの最後」では、未来における人間は殺し合いのゲームの駒として描かれています。最後のシーンに記入された年は2055年。