テキストアドベンチャー不朽の名作「ゾーク」に学ぶ、技術の源泉
MIT Technology Review
2017/09/02
開発から40年経ったテキストアドベンチャー・ゲーム「ゾーク」は、入力されたテキストを解析するという、現代のAIには欠かせない技術をすでに使っていた。当時の制作者が語るその誕生秘話や、今でも科学技術者に及ぼしている影響を、貴重な多数の資料とともに紹介する。
誕生から40年、今も科学者に影響
1977年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の コンピューター科学研究室を卒業したばかりの4人は、世界中を虜にしたコンピューター・ゲームを研究室のメインフレームPDP-10を使って開発した。
当時キャンパスでよく使われていた無意味な言葉「ゾーク(Zork)」と呼ばれる作品は、この半世紀を通して歴史上、最も影響力のあるコンピューター・ゲームとなった。
ゾークは、ノーム、トロール、キュクロプスなどと戦いながら、洞窟と川がたくさんある迷路のように入り組んだ地底世界を移動して、宝石の散りばめられた卵や銀の聖杯などの宝物を集めるゲームだった。
パソコン用に発売されたゾークの商用版は、最盛期の1980年代には80万本以上売れた。現在ではスマホやアマゾン・エコー でオンライン上にある非公式版を遊ぶことができ、ゾークはゲームという分野を越えて若い科学技術者に刺激を与えている。
ゾークは、趣味、おふざけ、そして「グッド・ハック」だと開発者が自己評価するプロジェクトの見事な遺産である。この記事で紹介するのは、ゾークの開発者4人が詳しく語る誕生の経緯と、今なおやまない影響についてだ。
ゾークが生まれてから40年経った今でも、このテキスト・アドベンチャー・コンピューター・ゲームは、プレイヤーを楽しませ、科学技術者に影響を与え続けている。
MITコンピューター科学研究室の4人
ゾークを開発したティム・アンダーソン、マーク・ブランク、ブルース・ダニエルズ、デイヴ・レブリングの4人は、MITコンピューター科学研究室のダイナミック・モデリング・グループで一緒に研究をしたり助言をし合ったりしているうちに、当時まだ黎明期だったコンピューター・ゲームへの興味がきっかけとなって親交を深めた。
4人は電気工学、コンピューター科学、政治学、生物学など、MITで7つもの学位を取得していた。医学部生だったブランクを除くメンバーは、平日の日中はMITの研究資金を援助していた米国国防省の米国国防先端研究計画局(DARPA)のソフトウェアを開発していた。
夜間や週末は4人で、コーディング技術とメインフレーム・コンピューターへのアクセス権を使って、ゾークの開発に取り組んだのだ。
1977年の初頭、MITの卒業生ウィリアム・クラウザーが開発したテキストベースのゲーム『コロッサル・ケーブ・アドベンチャー(Colossal Cave Adventure)』を、スタンフォード大学の大学院生が少し改変してアーパネットで配布した。
「僕たち4人は、コロッサル・ケーブ・アドベンチャーをクリアしようと長時間没頭しました」とレブリングはいう。「そして、ついにクリアしたとき、僕たちは『とてもよかったけど、自分たちならもっといいものが作れる』と考えたのです」
その年の6月までに4人は、ゾークの中心的な機能と基礎的な要素の多くを考え出した。そこには、ゲームを進めるためにプレイヤーが入力した言語を取り込み、プログラムが処理したり反応したりできるコマンドに翻訳する言語構文解析も含まれた。
4人が構文解析の微調整を続けた結果、ゾークは形容詞、接続詞、前置詞、複雑な動詞など、それ以前のゲームよりも格段に多くの言葉を理解できるようになった。つまり、ゾークは複雑なパズルが使えるようになったのだ。
たとえば、プレイヤーがドアの下に紙を差し込み、錠前から鍵を押し出して鍵を紙の上に落とし、鍵を手に入れるといった芸当もできる。また、構文解析によって「○○を取れ」とプレイヤーが何回も入力しなくても、「敷物以外のすべてを取れ」といった文だけで、複数の宝物をごっそり取れるようにした。
機知に富む文章で表現されるゲーム
活き活きとした機知に富む文章で表現されるゾークは、他のゲームと一味違うものだった。
ゾークにはグラフィックはなかったが、「どこか頭上の見えない水源から滴り落ちる水によって育つ燐光性のコケに照らされ、クリスタルの洞穴は虹に含まれるすべての色の光と輝きを放っている」といった文により、プレイヤーは、光る「妖精の剣」のような武器を振りかざしながら探検していく「巨大地下帝国」を想像できた。
「僕らは、コンピューターで遊ぶように言葉遊びをしました」とダニエルズはいう。言葉遊びはまた、「ロード・ディムウィット・フラットヘッド・ザ・エクセッシブ(ウスノロマヌケ過激王)」や「フロボズの魔法使い」といったキャラクター名にも表れている。
何週間かにわたる開発期間中、ゾークの才気ある書き込みや創意あふれる謎解きが、米国とイギリスのプレイヤーたちを魅了した。
「MITのマシンは、アーパネットにアクセスしてきた子供たちをオタクに引き付けるものでした」とアンダーソンはいう。「子供たちは、ゾークというものを誰かが運営しているのを知り、MITのファイルシステムのあちこちを探し回ってこのゲームを見つけて遊び、友人たちに話したのです」
MITのメインフレームのITSというオペレーティングシステムにより、ゾークの開発チームはユーザーが文を打ち込むのを遠隔で観察し、頻発するエラーを明らかにしていった。
「ゲームがサポートしていない単語を多くの人が使っているのを発見すれば、それを類義語として追加していったのです」とダニエルズはいう。
4人は1979年4月まで、ゾークの改良と拡張を続けた。その数カ月後、4人のうちの3人と、他の7人のダイナミック・モデリング・グループのメンバーが加わり、ソフトウェア会社インフォコム(Infocom)を立ち上げた。
チャットボット開発のモデルにも
最初の製品である修正版ゾークは、パソコンのメモリサイズと処理能力の制限に合わせ、三部作として3年かけて発売された。
これらのパソコン用ゲームは、最盛期の1980年代にはアップルⅡからコモドール64に至るすべてのパソコンで使えたが、40年近く経った今でもオンラインでプレイでき、科学技術者たちに影響を及ぼし続けている。
ハウディー(Howdy)の創業者、ベン・ブラウン最高経営責任者(CEO)は、人工知能(AI)で動くチャットボットの開発にゾークが役立ったという。
「ゾークは物語ですが、そのなかには相互にやりとりしながらゲームを進められるヒントが隠されています」とブラウンCEOはいう。
「これは、つたないコマンドやコマンドの繰り返しをしなくても、チャットボットが反応したり、使えたりする方法をユーザーに教える良いモデルです。たとえば、『あなたは暗くてとても気味の悪い洞窟にいて、北、東、南、南西へと続く道があります』という文は、プレイヤーに進むべき方角を選択する必要があるというヒントを与えますが、実際に『北、東、南、または南西を入力してください』との明白な指図はしていません」
ブラウンCEOのチャットボット、ハウディも同じように、ユーザーがボットとコミュニケーションに使える「チェックイン」や「スケジュール」などのキーワードには、注意を引くような太字の目立つフォントが使われている。
実質現実(VR)映画を製作する映画製作者のジェシカ・ブリルハートも、ゾークの影響について話している。「ゾークは、人を筋書きに没頭させる素晴らしい方法を教えてくれ、人が探検する1つの大きな世界をいかにして作り出せるかを示してくれています」
ゾーク開発者のデイブ・レブリングは1970年代末に、ゾークの「巨大地下帝国」手書き地図を製作した。GUEと呼ばれていた「巨大地下帝国」は、古代寺院、火山、魔法使いの仕事場など、探検すべき面白いものであふれていた。
1981年11月版ゾークのソースコードをプリントアウトしたもの。ゾークのオリジナル版は、ディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)のPDP-10メインフレームで書かれていた。このメインフレームは、ITSと呼ばれるオペレーティングシステムとMDLと呼ばれるプログラミング言語を使っていたが、どちらもMITが開発したものである。ゾークの製品版は、パソコン上のバーチャル・マシンで動くZIL(Zork Implementation Language)言語と呼ばれるプログラミング言語で書かれた。
写真はZILで書かれたコードで、プレイヤーたちがゲームを進めるために入力した動詞をゾークがいかに処理したかの例である。具体的には、ゲーム中にプレイヤーが何かの鍵を開けようとすると作動する、デフォルト・コードを示している。鍵のかけられた檻に直面したときに「解除」を入力すると、「檻の鍵が解除されました」「ここからでは鍵に届きません」「うまくいかないようです」など、プレイヤーの所有物や位置に応じた反応が返ってくる。
1979年に、当初の開発者4人のうちの3人を含む、MITの10人の卒業生や教授たちが、インフォコムというソフトウェア会社を立ち上げた。翌年、インフォコムは、パーソナル・ソフトウェアという会社にゾークのライセンスを供与し、パーソナル・ウェアが最初のゾーク商用版を発売した。ゾークのオリジナル版は当時の家庭用コンピューターには容量が大き過ぎたため、三部作として別々に発売された。写真はパートⅠだ。
1981年にインフォコムは、ゾークの権利をパーソナル・ソフトウェアから回収し、ゲームのパッケージを新たにデザインし直した。新デザインは、石や重厚な扉から作られた文字が使われ、ゾークの洞窟や地下牢を暗示する神秘的な雰囲気になった。
ゾークのプレイヤーは地図のような付属品を求めており、プレイヤーはお金を払ってでも手に入れたいと考えていることに気づいたインフォコムは、ゲーム関連商品の販売を始め、郵送で届けるようにした。1981年10月、マイク・ドーンブルックというMIT卒業生が、ゾーク・ユーザーズ・グループと自身で名付けた会社の一部としてそのビジネスを引き継いだ。写真の地図は1981年と1982年のものである。
ドーンブルックはまた、ゾーク・プレイヤーたちのための「ザ・ニュー・ゾーク・タイムズ」というニュースレターを始めた。ウィットに富んだこのニュースレターは、年におよそ4回発行され、インフォコムのゲームに関する幅広いニュースを伝えた。
1982年にドーンブルックは、インビジクルーズ(InvisiClues)というゾークの攻略本シリーズを作った。この書籍は、プレイヤーがゲームの難題をクリアするのを手助けするが、読者が一度にゾークの秘密のすべてを知ってしまうことを防ぐために、見えないインクで印刷されていた(ヒントが見られるようになる特殊なマーカーが付属)。翌年、ドーンブルックは、ゾーク・ユーザー・ビジネスをインフォコムに売却し、自身もインフォコムに加わった。
インフォコムは後に、オリジナルゲームの3部をすべてディスクに収めたゾーク「三部作」版を発売した。このパッケージ商品には、ゾークの巨大地下帝国にあるリゾート地のパンフレットや、ゾークミッドという硬貨など、ゲームの世界観に関連するボーナスアイテムがいくつか含まれていた。
ゾークは大いに売れ、1984年にインフォコムは、ゾークがいかに人気を集めたかを宣伝する雑誌広告を出した。広告には、ゾークⅠは「1981年以来ベストセラー」であり、ソフトウェア販売業者ソフトセルの1983年娯楽用ソフトウェア売上のトップを占めたと書かれている。
しかしゾークの人気は数年で衰え始め、インフォコムは経営難に陥った。1986年2月、インフォコムはビデオゲーム会社アクティビジョンと合併したが、1987年の『ビヨンド・ゾーク』、1988年の『ゾーク・ゼロ』など、ゾークの続編を発売し続けた。現在、ゾークの非公式版が、スマホやアマゾン・エコーなどで、新たにオンラインでプレイされている。
原文はこちら(英語)。
(執筆:エリザベス ウォイキ/米国版 ビジネス担当編集者、写真: Images courtesy of Rick Thornquist, courtesy of Dave Lebling; Courtesy of Mike Dornbrook)
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