子どもの意欲を伸ばす「教えない教師」とは

2017/8/31
現在の教育が抱える課題、未来における理想の教育やPBL(※)などの新しい学びのニーズとは? メディア、カルチャー、スポーツ、教育などで広い経験と知見を持つプロピッカーの中村伊知哉氏が、教育現場でさまざまな改革を実践する現役教師の木村健太氏、児浦良裕氏と、教育改革で変わっていく新たな教育の姿について語り合う。
※PBL(Project based Learning)=プロジェクト学習。目的や成果物があるプロジェクトを実践しながら、知識・スキル、思考力・判断力・表現力、主体性・協働力などを習得するための体系的な教育手法。
偏差値35から人気校へ躍進した広尾学園
──今回のテーマは「これからの教育のあり方」です。まずは、広尾学園を改革によって人気難関校に変貌させたキーパーソンの木村先生に、改革が成功したポイントについて伺います。
木村:広尾学園は約100年の歴史を持つ学校で、もとは順心女子学園中学校・高等学校という女子校でしたが、偏差値は35以下、定員の約1/3しか生徒が集まらないという深刻な危機に直面していました。
そこで、時代のニーズに合わせて変わることを決断。2007年に共学化・進学校化へと変革の舵を切り、昨年は240人の定員に対して4000人も受験者が集まる人気校となりました。
その最大の理由は「変化し続ける」という道を選択したことにあります。
医進・サイエンスコースの特徴は、大学・大学院レベルの研究活動を行うということ、社会とのつながりを持つという2つがあります。社会のニーズは、常に変化し続けるもの。そのニーズに対応しながらも、自らの興味を追求し、ある程度の実現可能性が見込めるテーマを追求していきます。
研究活動のモチベーションを高め、内容を深めるため、本物に触れる機会もふんだんに用意しています。第一線で活躍する方々の話を聞いて、ユニークな発想に刺激を受けたりしています。
また、本格的な研究に取り組むためには、英語で論文を読んだり、インターネットで情報を集めるスキルが必然的に要求されます。生徒自身にこれからのキャリアビジョンに英語やICTが欠かせないのだという気づきが生まれ、それらへのモチベーションアップにもなっています。
興味・関心をコアにしながら、英語やICT以外にもさまざまな教科へと、そのモチベーションが広がっていく図式が成立しています。
児浦:その研究活動に、PBLを活用しているんですね。
教師も「その答え」を知らない
木村:そうです。生徒の研究テーマは「世界で誰も知らないこと」でなくてはなりません。つまり、我々教師もその答えを知らないので、教えることができない。生徒たちが自ら学んでいく傍らで共に考えるのが教師の役割となっています。PBLでは、研究成果がうまくいくかどうかよりも、その過程こそが重要になってきます。
中村:学校改革の成功のターニングポイントはどの時点で感じましたか?
木村:医進・サイエンスコースは、ゼロから手探りで生徒たちとつくってきましたが、すでに1年目で生徒の反応に手応えは感じていました。とにかくモチベーションがすごかった。英語で書かれた学術論文を読むなんていう無茶振りにも、必死に取り組む姿に「これはいける」と実感しました
生徒を偏差値などで輪切りの評価をして、やれることの限界を設定しているのは大人。生徒はもっと背伸びしても挑戦できるんです。そこに、結果よりも過程を重視するPBLという手法がうまくはまりましたね。
レゴを使った「思考力入試」
中村:児浦先生もまさに今、学校改革に取り組んでいるところですよね。
児浦:私はベネッセから教育の現場へと転身。現在、聖学院という創立110周年を迎える男子校で数学と情報科を教えています。
本校の教育理念にはキリスト教にもとづいた「Only for Others(他者のために生きる個人)」というのがあります。教員の中にもこの理念が浸透しており、生徒を支え生かしていくという、教職員全体の意思統一がある。
そういう中で、本校が21世紀にどんな教育を打ち出していくか、私が部長を務める21教育企画部が各分掌と連携して新しい学校のあり方を模索しているところです。
本校の特徴のひとつに、5年前から導入した「思考力入試」があります。レゴを使って作品をつくることで思考力をみるテストで、その意図は我々が積極的に行っているプロジェクト学習と相性のよい生徒に入学してもらいたいというもの。
思考力入試で入学してくる生徒たちは、個性があって、自分の好きなことや得意なことが極められる子が多いですね。
21世紀型の教育は「寺子屋×ICT」
──新しい教育にチャレンジするお二人の先生のお話を伺いましたが、中村先生はこれまでの日本の教育についてどのように評価していますか?
中村:明治から戦後の100年、工業化社会の中で、画一的な知識を与える日本の教育モデルは世界でも大成功を収めてきました。2000年のOECD生徒の学習到達度調査(PASA)では、算数で世界1位にもなっています。
しかし、ここにきて、これまでの日本の教育モデルは機能しなくなってしまった。商品、サービス、考え方が豊かになり、画一的ではなく、多様な対応が求められる時代に突入しています。21世紀を生きるのに必要なスキルは、問題解決能力、コミュ二ケーション力。今の日本は、かつての成功体験に引きずられて、そういうスキルを伸ばす教育ができていないのです。
私はその解決策の一つとして、江戸時代の寺子屋に立ち返ることを提案しています。車座になり、それぞれがそれぞれの課題に取り組みながら、共に教え合う。この寺子屋スタイルこそ、これからの教育にぴったりではないでしょうか。
木村:明治以前の教育の形にヒントがあるということですね。
「教育情報化後進国」からの脱却
中村:そうです。その寺子屋スタイルをICTで実践していけばいい。そこでもう一つの課題として浮かび上がってくるのが、「教育情報化後進国」という点です。
米国では3人に1台、シンガポールでは4人に1台の学校内PCが、日本では6.5人に1台と圧倒的に少ない。OECDでは学校内PC利用が平均37%なのに、日本はたったの4%です。
10年ほど前、時の首相が「ケータイ利用は百害あって一利なし」と発言したのをきっかけに、日本ではそれ以降、教育現場からデジタルテクノロジーが遠ざけられてしまった。
その間に、世界ではクラウドやSNSを利用した教育が進化し、これからはAIやロボット、ビッグデータとつながるというところまで来ている。いまだに日本の教育現場はスマート教育以前の段階で、まずはここをなんとかしなくてはいけない。
木村:確かに教育現場のICT化は非常に遅れています。生徒はスマホを持ち、家にはパソコンがあって、自由に使いこなしている。学校だけICTから取り残されたガラパゴスルールが適用されています。
中村:日本の若い世代の情報発信力は海外平均の5倍と、ポテンシャルは世界一。それだけ知識や情報はあるのに、教育的な環境でそれが生かせていないのが現状です。日本の14~18歳で、自分のことを創造的だと思っているのは8%(※)。このデータが、いかに子どもたちのポテンシャルをダメにしているかを物語っていると思います。
もっと子どもたちのポテンシャルを生かすチャンスや環境をつくっていかなくてはいけない。それには学校内で教育を完結するのではなく、社会と接点を持ち、世の中の具体的な課題とは何なのかを考える機会を増やすことです。
※「Gen Z in the Classroom: Creating the Future(教室でのZ世代*1:未来を作る)」/アドビシステムズ(2017年)
木村:まさに、広尾学園が目指していることです。
教師は教えるのではなく、一緒に考える
木村:教師が過程をスキップして答えのみを教えようとするからいけない。切り口はなんでもいいから、「どうすれば良いのか一緒に考えよう」というスタンスで、生徒が考え方や学び方を学べる環境をつくることこそが大事なんだと思います。
児浦:画一化と多様化の問題は、システム的な要素も絡んでいますよね。
1人の教師が30〜40人の生徒に一方通行で教えるのではなく、これからの時代の教師はストーリーをもとにファシリテートできるプロでなくてはならない。教科書や指導要領に頼らずとも授業をデザインできる、そんな能力が必要になってきます。そのためには、ICTやナレッジのプラットフォームがないと難しい。
教師だけでなく、社会のたくさんの大人が生徒の先生になっていくという点でも、そういうプラットフォームが生かされます。バーチャルであれば、大勢の大人がより多くの生徒と向き合うことができます。
「問題を見つける力」こそ、新しい「幸せ観」になる
中村:今、世の中の価値観が大きく変わってきました。いい学校、いい会社に入れば幸せになれるというフィクションはもはや通用しない。
これからは「成長しない国」で生きていくことになるわけで、そこではお金や出世ではない「幸せ観」が大切。それはコミュニティだったり、一緒に参加するライブ感であったりします。
では、学校はそういう価値観や心持ちを育むために、何ができるのか。大人も子どもも「先がわからない世界」を生きていく中で、求められる教育は「問題を見つける力」にこそある。これまでは教えてもらっていただけだったのが、これからは自らが学びとっていくということ。
不確かな世界で多様な価値観を学び続ける力、何か起きたときに対応できる力を育てていく。だからこそ、教師の存在はますます重要になってくるはずです。
本質的な教育。それを実現するPBL
──これからはPBLのような手法を利用して、自ら学ぶ力を伸ばすのが教師の役割ということですね。そういう新しい教育が進む中で、教師がどうICTを使いこなしていくのか、も課題です。
木村:ICTの導入で教育は、より本質に立ち返るはずです。学校での学びは受験のためだけではなく、本来の学術のあり方に近づいていく。また、面倒な作業を効率化できるのがICT。浮いた時間で生徒とのフェイスto フェイスのやりとりがふやせます。そのときこそ、ベテラン教師の知見が必要です。ICTとベテラン教師は相性が良くないと思われがちですが、教育界にICTが普及すればするほど、ベテラン教師の力が必要になるのです。
さらに、場所と時間の制約がなくなり、学びがより自由になっていく。教育の本質に近づくということは、こういうツールや手段の多様化を受け入れるということでもあります。
児浦:ベテラン教師の強みは、生徒が成長することを知っていること。成長させるためにはどうすべきかという、教育の本質が理解できている。そこをわかった上でICTを取り入れるメリットは大きいですよね。
中村:確かに、教育力のある教師がICTを使うことで、よりパワーを持つという話はよく耳にします。
今は、教育のあり方が大きく変わる移行期で、一番大変なのが教師でしょう。しかし、長期的に見ると、さほど心配することはない。日本の教師は力があるし、独自の教材を作るなど非常に勉強熱心です。そこさえ損なわなければ、いくら環境が変わっても大丈夫です。
生徒を管理するためのツールではない
児浦:広尾学園でPBLツールを入れたICT化では、どんな変化がありましたか?
木村:それまでは感覚でやっていたことが、信憑(しんぴょう)性の高い正確なデータでわかるというのが一番大きいですね。ログをとることで過程を評価できますし、それを生徒に随時還元できます。ビッグデータ化できれば新たな分析もできるでしょう。
先生の価値観や力量に左右されずに、誰もが平等に本質的な教育を受けられる機会が増えたと思います。
児浦:教師が生徒のプロジェクトを見守っているという点もポイントですよね。
木村:そうですね。そこで勘違いしてはいけないのが、PBLで用いるものを含めたICTツールは生徒を管理するためのものではないということです。
大切なのは、「見える化」したデータから生徒自身がどうするか考えること。だからこそ、ICTを使う目的がどこにあるのかを、教師も生徒もきちんと理解していなくてはならないと思います。
児浦:さまざまな学習プログラムや教育サービスがありますが、そこで大事なのはフィードバックの信憑性。フィードバックの与え方を間違えると、生徒は間違った方向に進んでしまう。
ほったらかしのように見えてフィードバックが抜群にうまい教師というのがいるんですよね。そういう優れた教師がICTを活用すれば、データに裏打ちされたフィードバックができるから、すごくやりやすくなると思います。
木村:よくコピペ防止のために手書きでレポート提出させるというのがありますよね。これって、全然本質的じゃない。我々が生徒に伝えるべきなのは、剽窃(ひょうせつ)が重大な研究倫理違反であること。
何より、ネットで検索して出てくる情報は答えではなく、あくまでも考えるための材料であるということです。こういったことも、本校の生徒たちはICTを活用したPBLを通して理解しているのだと思います。
AIでは代われない、ファシリテーターとしての教師
──最後に「教師の役割とは何か? これからの教育はどうなっていくのか?」についてお聞かせください。
中村:さまざまな価値観が交わる中で、教師はそれらを共有し価値を生み出すためのファシリテーターとなっていくはずです。知識を与える立場から、共に学ぶことで生み出せる価値を誘導していく存在。それをするには高度なコミュニケーション能力が必要で、AIが取って代わるのが難しい。それが、教師の役割となっていくでしょう。
理想の教育というのは、古代ギリシャに始まり何千年も追求されていますが、理想の形なんてないんです。今は最先端のデジタル教育にしたって、この先100年は研究や検証が続いていくでしょう。そのときそのときで、最もよい方法やツールを使っていく、それが教育のあり方です。
児浦:教師の役割は、生徒が社会に出たときに、自由に自分の意思を持ち判断できる人間に育てること。そのために自分で考える力を身につけさせることが、究極の目標です。また、自分の立場だけでなく、相手の立場に立って考えられる生徒同士の協働や相互承認の経験を積むことが、その力を育んでいきます。
中村:大学ではすでに国際競争が始まっていて、優秀な生徒を取り合っています。大学は学生にどういう価値を与えられるかが問われている中で、日本の大学はどこまで変われるのか?という問題に直面している。
逆に言うと、大学が変わることで、その下にある小・中・高校の教育もガラッと進化していくと思います。
(構成:木村剛士 撮影:長谷川博一)