AIは人間と同じように、芸術性を獲得できるか?
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チューリングテストというものがある.人間が目の前の機械と会話を交わす.その会話をする機械の背後には人がいるのか,あるいは人工知能が会話しているのか,人間が区別できなかった場合,テストに合格.その機械は知性を持つと言える.
芸術版のチューリングテストを考えると面白い.人間がお題を与え,絵を描かせる.出来上がった絵を見て,この絵は人間が描いたものか,コンピュータが描いたものか? これはあくまで私の想像だが,こんなテストがあったらおそらく,コンピュータは合格するに違いない.つまり,人が描いたもの,AIが描いたもの,作品だけ見れば,我々はすでに区別できなくなっているのではないだろうか.
一方,我々は,同じ絵なのに人間の描いたものの方が価値が高いとみる.結局,我々は人間が描いたという「物語」に価値を見出しているのかもしれない.もしそうだとすれば,芸術の世界において,しばらくはAIに仕事を奪われることはない.AIが物語性を持つほど,歴史と深みを重ねるまでは.元アーティストの立場からの視点でコメントさせていただきます。
創造性とは、新しい何かを生み出す事。AIが単独で創造を完結できるかという議論より、手段はどうであれ、創造性の高い作品が生まれ、鑑賞者が心から楽しむ作品となれば、それでいいのではないでしょうか。
思い出してください。生演奏以外のメディアとしてレコードが登場した時、生楽器以外のエレキ、シンセサイザーといった電子楽器が登場した時、音楽にコンピュータが使われ始めた時。常にアーティストの立ち位置と創造性が破壊されるのではという議論がされてきました。でも、優秀なアーティストは新しいものを生み出すためには偏見なく新しい技術を取り込み使いこなしていきます。そして創造性に磨きをかけていく。YMOを思い出して下さい!
AIとアーティストのコラボレーションから、どんな新しい作品が生まれるのか、僕はワクワクしています。「芸術性」とはなにかということを理解していないと、まともな話にならないでしょうね。
「創造性」とは、異なるコンセプトの融合などによって、新たなコンセプトを生み出す事であり、そのスキルの萌芽は既にAIによって実現されつつあるので、「創造的」なプロダクトを生み出すこと自体は技術的に可能です。
そして、マーケティングとしてのマッチングも技術的に可能なので、一見してアーティスティックな経済的に成功するクリエイティブなプロダクトを生み出すことはできるでしょう。
ただし、それをアートと呼べるかどうか。
私は、デザインやクリエイティブとアートの違いは、その製作者個人という唯一性という属性があるかどうかということだと思っています。最近流行りの商業化されたアートはアートであってアートではない。
アーティストその人がそれまでに生きた証として、様々に想起される抽象的なコンセプトを具現化し、一般の人々の多くがこれまで想起する事のなかった感覚と1対1で結合することがアートで(その意味においては量産化されても実現しうる)、これからのアートはその唯一性や一時性(テンポラリネス)がより重視されて行くのだろうと思います。
コピー可能なAIから生み出されたものに真の芸術性は感じられないので。芸術とはその作品そのものではなく、作者の存在そのものにその本質があると私は思います。作品そのものの力は、感覚器官と言う意味での「感覚的」なものでしかない。