【実話】祖母を日本人に救われた「イスラエル人起業家」の秘めた覚悟
NewsPicks編集部
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冷泉さんがおっしゃるように、杉原氏の日本における歴史的な評価には、私は名誉回復の表彰前から、そして表彰後の今でも強く疑問に感じています。
「命のビザ」が発給される過程や、それ以前の本省への意見具申の内容などを調べていくと、杉原氏が一級のインテリジェンスオフィサーとしての能力と人脈を築いていたこともわかります。
各任地で現地の人たちと深く付き合い、かつ各国についての知識と分析力、そして人柄や語学力などもなければ、そうそう構築できないほどの情報網だと感じています。杉原氏を人道主義者であると同時に、インテリジェンスオフィサーとしても見ていくことも、大変興味深い考察の仕方です。
私は外務省で働いていた時代に、最も尊敬する外交官として杉原氏の本や資料は随分読みました。外務省内の図書館の倉庫の奥まで行き、関連書籍や資料を探したこともありました。
杉原氏は、当時の「外務省留学生試験」の合格者で、今で言う外務専門職のカテゴリで採用された人物です(こういう言い方は嫌いですが、いわゆる「キャリア組」ではない)。戦後は民間企業に転じています。杉原千畝氏の名誉回復に関しては、河野洋平外務大臣談話による顕彰という形を取っていますが、全く不十分と思います。高位の勲章を死後追贈するなど、もっと明確な形が必要です。組織の論理を人道に優先する体質を温存していては、今後の非常事態に耐えられないからです。
プライベートで行ったリトアニアの杉原記念館、取材で行ったテルアビブのサムライハウス。まさか、その二つの点が線としてつながるとは思いませんでした。ヨニーさんの人生は、日本人として知っておくべき歴史の存在を語りかけています。