【鈴木寛×加藤理啓】AIにない「人間らしさ」を育てる教育とは

2017/8/24
21世紀型の教育を目指す2020年教育改革。ポストシンギュラリティ時代を生きる子どもたちの新しい学びとして重視されているのが、「PBL(Project based Learning=プロジェクト学習)」だ。前文部科学大臣補佐官の鈴木寛氏と、PBLのツールを高校教育の現場に提供するClassi副社長の加藤理啓氏が、これからの教育のあり方とPBLの意義について語り合う。(注:対談は8月2日に実施しました)

21世紀型の教育はなぜ必要なのか

加藤:2020年の教育改革では21世紀型の教育として、PBLなどのアクティブ・ラーニング(※)を重視しています。
Classiが学校の教育現場に提供しているPBLツールでは、プロジェクトごとに成果物を共有し、自己やチームでの振り返りなどを蓄積・モニタリングができるようになっています。こういった手法を取り入れた21世紀型の教育とはそもそも何なのか、なぜそれが求められているのか。鈴木さんのご意見を聞かせてください。
※アクティブ・ラーニング:課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学びのこと。次期学習指導要領ではアクティブ・ラーニングを「主体的・対話的で深い学び」と置き換えている。
鈴木:2020年、日本の教育はドラスティックに変わります。それは歴史的改革といってもいい。この流れは世界的なもので、OECDでも「Education 2030」事業を推進。これからの教育のあり方を世界共通の課題として、抜本的に議論して変えていこうという動きがあります。
加藤:日本だけでなく世界でも教育のあり方が大きく議論されている背景には、何がありますか?
鈴木: 2020年教育改革の対象となる子どもたちの寿命は100年となるでしょう。彼らは2100年、つまり22世紀まで生きて、22世紀を創る人材です。22世紀を創る彼らの土台、つまりOSをどうつくっていくか、それが新たな教育の課題です。
2045年にはシンギュラリティ、つまり、AIが人間の能力を超える時代がやってくると言われています。
20世紀は大量生産、大量消費の時代で、マニュアルを覚えて標準品を大量に作る、そういう問題処理能力が求められました。それに合わせた日本の教育は、1980年代の繁栄を生みました。
しかし、これからはデジタルテクノロジーの時代。人間に求められる能力も当然変わってきます。ポストシンギュラリティを生きる、子どもたちに必要な教育をしていかなくてはいけない。
加藤:今まで重視されてきた暗記力や再現力に加えて、新たな力がこれからの人間には求められていくということですね
鈴木:今後、現在ある仕事の約50%がなくなっていきます。そういう時代を生き抜くために、2020年教育改革では「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に多様な人々と協働して学ぶ態度」の3つを教育の柱としています。
これらの資質や能力を育成するのが、PBLなどのアクティブ・ラーニングです。
加藤:鈴木さんの言葉に強く共感しますね。将来、シンギュラリティが来ることを前提として、そのために立ち上げたのが学校教育向けPBLツール「Classi」です。ポストシンギュラリティの時代に残っていくのは、AIにはできない「人間らしさ」の要素。そこを大切に育てていかなくては、という思いがあります。

お手本なし。日本がフロントランナー

加藤:情報革命と呼ばれる時代の大きな転換期を私たちは生きていることを強く意識すべきだと常々思っています。
鈴木:今は産業革命以来ともいえる250年ぶりの歴史的変化の時代。激動の時代の幕開けにいるという、歴史認識があるかないかの差は大きいですね。
江戸から明治に変わった近代では、欧米というお手本がありましたが、今回は日本がフロントランナーです。先進国の先陣を切って行う教育改革もそうですし、高齢化、環境問題など、今後世界が直面する課題に真っ先に対応しなくてはいけない、課題先進国でもある。
海図なき世界を日本が地図を作りながら前に進んでいく。そういう点では、おもしろみがありますよね。

世界の見本となる日本の義務教育

加藤:「日本ではイノベーションが生まれにくい。その原因のひとつが教育にある」という指摘については、どう思われますか。
鈴木:日本というカテゴリーで、ものごとを捉えることが時代遅れ。ほどんどのトップ企業は日本企業というより今やグローバルカンパニーです。拠点や労働者、利益・売り上げの割合の半分以上が、海外というのも当たり前ですよね。
それは教育でも同じです。教育行政のグローバル化が一挙に進み、人々の移動がもっと促進されれば、3、4カ国で教育を受けるという人も出てくるでしょう。
そういう時代を見据えて、G7でもOECDでも、教育のコモンバリューを各国でそろえていこうとしています。どこの国で学んでも、ある程度、同じ方向とレベルの学びを受けられる時代がやってくるでしょう。
日本の教育にこだわるのではなく、日本に縁のある次世代が世界のブレーンサーキュレーションネットワークに加われるかどうか。そこが重要になってきます。
15歳以下の義務教育に限れば、日本の教育のパフォーマンスは非常に高く、世界のトップです。このレベルの教育を1億人以上の人口を抱える国が、すべての地域で標準的に展開できているというのがすごいと評判です。アジアやアフリカなどで多くの国が日本型教育をお手本にするなどの動きが始まっています。ただし、問題は高校以上なので、そこは2020年から改革します。
日本ではイノベーションが生まれないという点についても、それは20年前の話です。一部のイノベーティブな人たちとそれ以外の多数とで二極化しているといったほうが正確です。世界で最も革新的なベンチャーといわれている「スパイバー」は慶應義塾大学SFC発のベンチャー。クモの糸の遺伝子解析をし、それを応用して、単位重量あたり最も強靭な繊維の開発・量産化に成功し、世界的に注目されています。
東大発ベンチャーも約300社に達し時価総額が1兆円を超え、世界の主要大学と比べても大きな存在感を示している。その代表例がロボットのシャフト、ミドリムシのユーグレナ、スマートニュースなど、いくらでも例を挙げられます。
加藤:日本のベンチャーを生み出す若者の能力が、世界で評価されている割に国内ではあまり認められていないという現状はあるかもしれません。
鈴木:特に大手企業などの20世紀のメインストリームがそこに気づいていない。また、有力メディアの認識が20世紀のままなんです。
一方で、トヨタの大幹部がスパイバーをサポートするなど、突き抜けた能力を持つ一部の若者と、先の世界が見えているベテランのメンターはつながっている。そういう未来が見えているトップランナーが日本のメインストリームになっていくべきだと思います。
日本の抱えている問題としては、時代の先が読めているトップランナーがいる一方で、それに乗り遅れた(乗り遅れていることすら気づいていない)人たちとの差がものすごく開いていることですね。
加藤:そのギャップを埋めていくのが教育の役割になっていくんでしょうね。

PBLがもたらす教育改革

加藤:世界と日本の区別がなくなり、多様性も重要なキーワードとなっていきます。働く仲間もマーケットもどんどん多様化すれば、主体的に学び、他者と関わりながらものごとを解決していかなくてはいけない。
世界的な課題先進国の日本が、多様な人々と一緒に解決策を考えていく。PBLが根付くことで、そんな未来がやってくると期待しています。
鈴木:PBLの手法は、実社会で起きるさまざまな課題に対応するための学び。今までの教育は、課題を与えられて解決法を問うものばかりでしたが、大事なのは「問題解決」よりも「問題を発見して設定する力」です。
課題を発見できることが、人間の可能性。AIに課題発見はできません。つまり、人間が課題を発見して、あとはAIと人間が一体となって解決していくようになります。
PBLは教室の外に出て、実社会の多様な他者とコラボすることで課題を解決していきます。そのプロセスこそが最も大事なポイントです。
そもそもプロジェクトというものは、「想定外」と「板挟み」の連続。机の上では想定外のトラブルなどは起きませんが、リアルな世界では思わぬアクシデントはつきものです。チームで何かに取り組めば、板挟みになる経験をすることになるでしょう。それらにどう対応していくか。その力を養うのがPBLです。
想定外や板挟みにタフに取り組み、エンジョイできるか。そして、その先にあるブレークスルーに到達できるかが、鍵となってきます。
加藤:想定外や板挟みこそ、成長のチャンスですね。
鈴木:大変なことを乗り越えたときの喜びが、次の成長につながっていきます。サッカーだって、PKばかりではつまらない。きついマークを振り切ってゴールするから、達成感がある。

混乱があるほど教育的

加藤:次世代教育の要となるPBLですが、今の教育体制で教えることができるのか、という懸念も耳にします。
鈴木:正直なところ、今の教育現場ではうまくPBLを教えるのは難しいでしょう。そもそもPBLは教えるものではありません。PBLから、学習者が学びとるものです。
「教えられる人がいないからできない」というループにはまっていては先に進まない。制度を変えると同時に、学校、教員、保護者、学生、生徒がマインドセットを変える必要があります。「教える」のではなく「学ぶ」のです。
まずは、「教えないで、まず、やらせてみる。ほうっておいて、自分たちで解決できることは極力自分たちで解決し、いよいよ無理だとなったら、メンターに助けを求める。そこまで、待つ」んです。
PBLは問題発見力・解決力を身につけることが目的なので、むしろ、何か混乱や問題が起きないと真の学びにならない。混乱すればするほど教育的な環境になります。混乱を乗り越えてこそ学びになる。
サッカーで例えると、国内できれいに整備された芝ばかりで練習をしていて、海外遠征で芝の荒れたフィールドで戦わなくてはいけないときに対応できなかったりするのと同じ。
あまりにも整った環境では、いつまでたってもイレギュラーバウンドに対応できない。学校から一歩外に出たら、そこはトラブルや想定外だらけの世界だから、です。
人は生まれたときから、本来、好奇心や主体性を持っています。しかし、成長するにしたがって、社会のルールを守らせるために、その主体性や好奇心を抑えつける。それを、やりすぎるから、受け身人間になってしまう。
まだ、残っている好奇心に光をあて、大事にそれを育んでいくことで、学びの意欲・ドライバーを上げていく。そういう探究型の学びの経験値は多ければ多いほどいいんです。
加藤:経験値が多いほど、トラブルやアクシデントが想定できるケースも増えてきます。それができるか、できないかの違いも大きいですね。
鈴木:ものごとはうまくいかないのが、デフォルトだと思うべき。しかもトラブルは同じパターンではやってこない。だからこそ、チームでやる意義がある。
想定外のアクシデントにどう対処していくか、メンバーと一緒にやることで互いに教わり、学び合うことができます。
加藤:「環境を整えすぎない」「教えることをやめる」という鈴木さんの言葉は、まさにイノベーティブな先生たちの発想ですよね。ClassiのPBLツールを活用しているイノベーティブな先生方からもそのような話を伺います。
答えにたどり着きやすいようにするのではなく、失敗をするチャンスを与えること。それが本当の学びの環境だと感じます。

間違えるのが人間。そこに創造力が働く

鈴木:エラーなくして成長はありえません。エラーをするには、まずはトライすることが必要で、学校はたくさんのエラーを安心してできる場所であるべきです。トライ&エラーを重ねて、その先に成長とブレークスルーがある。
“To error is human”という言葉の通り、間違えるのが人間。そこから創造力が生まれる。AIはエラーをしない代わりに、クリエイティビティも生まれません。すべてはエラーからはじまっていくのだと思います。
加藤:先生や親にも、子どもが伸びるのを待って見守ることの重要性を再認識する必要があると思っています。
鈴木:子どもたちの学びは指数関数のように、最初は低迷しているようでも途中から急カーブを描いて伸びるもの。伸び悩んでいるように見える時期をどれだけ待てるかが、その後の伸びに直結します。
本当にまずいと思ったら、子どもは自分から助けを求めてきます。
周囲の大人たちはエラーをする前に手を出すのではなく、しっかりと目と心は見開いて、見守り続けること。
しかし、発言は最小限にして、どうしても言いたいときは問いだけを発し、自発するのを待っていればいいんです。そうすれば、必ず自らソリューションを発見してきます。 
加藤:社会にでると、エラーをたくさん重ねるという環境はなかなか許されなくなります。しかし、学校はエラーをしても大丈夫という、守られた環境です。
安心感、信頼感のある環境をつくっていくためには、先生が子どもたちの様子をいつも見守っていることも重要です。
ClassiのPBLツールでも、先生は子どもたちのすべてのプロジェクトを常にモニタリングできます。また、先生だけではなく学校外の専門家や大学生メンターも参画し、子どもたちのプロジェクトをサポートする環境をつくっている自治体や学校もあります。
いつも見守っていてくれるという安心感が、エラーを恐れないチャレンジを生んでいくと信じています。
(構成:木村剛士 撮影:森カズシゲ)