【水野✕原】「売れ線」を生む難しさ

2017/8/9

作り手の「エゴ」と求められるモノ

水野良樹 いきものがかりは時々「売れ線だ」と揶揄されるんですが、売れるって実はそんなに簡単じゃないですよね。
原泰久 「売れ線」っていう言葉は悪く使うのがとても簡単な言葉ですね。でも本当に売れる作品って作ろうと思っても、当然誰でも作れるものじゃないんですよ。
僕が最初に聞いた「どうすればヒットするんですか」というのは、まさにそれです。
初回
【水野良樹✕原泰久】最初は「無邪気」から始まった
多分、読者はシンプルな漫画の構成は簡単に作られてると思ってるんですけど、わかりやすくシンプルにするために要素をカットするのは、複雑にするよりずっと難しい。
僕は、物語を混み合ったものにして盛り上げるのは得意な方だと思ってます。でもそれを毎週毎週の18ページの連載に盛り込むと、読者には読みにくいし伝わらない。
だからわかりやすく伝えるための、さまざまな要素を「抜く」作業が必要なんです。これが本当に大変ですね。スカスカになってもいけないし。
水野 その通りですね。作り手のエゴと、向こうから求められるものとの兼ね合いっていうのがわからなくて。
水野 「ありがとう」のときは、なんて平たい曲を、それこそスカスカの曲を作ってしまったのかもしれないと不安だったのに、それがヒットしたんです。
歌のなかに「自分」があるかないかわからない曲なんですが、自分を詰め込みすぎなかったからこそ、いろんな要因を含めることができていたんですね。そのおかげで聴いてくださる方とコミュニケーションを取ろうとする姿勢が伝わったのかなと。
キングダムの物語の中でも、たくさんのキャラクターが個々に主張していますが、全体としては答えがないですよね。そこにヒントがあるように思えます。
実際にはキャラクターたちが主張をぶつけ合って、戦国時代の物語なので殺し合いになってしまうわけですが、その主張のぶつけ合いが実はとても大事だと思うんです。
今の世の中「それも正しいよね」「これも正しいよね」って言い合うことが当たり前になって、「君は君で好きなようにやっていいよ」「でも僕には関わらないでね」というスタンスを持つ人が増えてきている。
でも本当は、そこでお互いの正義をすり合わせるのが大事で。
一番理想的なのは「正義と正義」の狭間にある、互いが許せる妥協点を見つけて、共に次の時代に行くということじゃないでしょうか。そのためには、主張し合わないと前に進めないんですよね。一緒に新しい時代を生きていかなきゃいけないわけですから。

「狙い」すぎないこと

水野 作品作りにもそれは通じていて、「君はそう思ってるんだよね」って言い合って、それに合わせていくだけでは何の解決にもならないし、結局人に刺さらないと思うんです。
作り手側にある「何か」と、受け手側にある「何か」がぶつかるものが作れたときに、作品として、エンターテインメントとしての面白さが出てくるのではないかと感じています。
 それを歌でやろうとしてるんですか?すごい話ですね!
水野 原さんも「最初は無邪気に描いていた」とおっしゃっていましたが、キングダムが大ヒットした今、作品を生み出すときにはまずご自身の「思い」ありきでしょうか。それとも読者を想定してから物語を作られているんですか?
 僕はまず「自分」ですね。
頭の中で、アニメを見るような感じで1回見るんですよ、一通り。映画館に行って見るような感じです。
水野 頭の中でですか!では最初の読者がご自身ですか?
 そうですね。完全に動画で見て、感極まるくらいまできちんと整ってから描くので、他人がどう思うかの前に、単純に自分1人が楽しんででき上がってます。
水野 それを形にするときに読者を意識し始めるんでしょうか?
 「面白い!担当編集に教えよう!」と思って、ネームと呼ばれる絵コンテを描くんですが、動画を静止画にするので、そこで読者の目線を意識しますね。わかりやすく見せるテクニックが必要になってくるんです。
水野 最初その動画で見たときを100としたら、静止画にするときに狭まるんでしょうか。
 狭まりますね、どうしても。
水野 僕もメロディを書くとき、たとえばサビが何小節か浮かんだときが、一番快感がある最高の瞬間なんです。生まれたてのメロディはすごい可能性を持ってて、頭の中で大名曲になってるんですね。もう想像上では「100万枚売れてる!」くらいの(笑)。
でもカタチにしていく作業の中で、その感動がどんどん狭まっていくんです。
これをどれだけ狭めないで聴く人に伝えられるかが、自分の技術の試されるところだなと。
 そこはまったく一緒かもしれないです。
担当に電話で「こうなるよ」と伝えて「面白いですね!」と返ってきても、いざネームを描いて送ると「なにか違いますね」なんてことがあります。
以前の担当編集は「打ち合わせで盛り上がったときが一番ヤバい」と言ってました。

曲は器。聴く人の心を入れてほしい

水野 先ほどの「読者を想定する」という話をすると、僕も曲を作り出す瞬間は「聴く人をこんな気分にさせたい」という自分の根源的な欲求がスタートです。
そのためにはどんなメロディや言葉が良いだろうか、というふうに考えて進める。聴く人が何を求めているかということを意識します。
たとえば、東日本大震災が起きる前と後では言葉の受け取り方が違ってて。同じ「明日」という言葉でも、聴き手の感情の状態が違えば当然リアクションも変わりますよね。
「この人を泣かせたい」のか「笑わせたい」のか。それがつながって大きくなると「世の中をハッピーな気持ちにさせたい」ということにもなっていく。
 メロディはそこから生まれるんですか?
何もない無音の状態から、どうやって生み出すんだろうと不思議でした。
水野 動機みたいなものはありますね。
よく、「いきものがかりの歌はメッセージソングじゃない」と話しているんですけど、「自分がこう思ってます」というメッセージを歌にして聞いてもらうだけでは、何も解決しないと思うんです。
曲は器だという話を時々するんですが、器になれたら、聴く人が感情を入れてくれて、歌がその人のものだと思ってもらえるんですね。
でもそこには裏のテーマがあって…。
感情って水みたいに形がないですよね。もし水がペットボトルに入っていたら、飲む人はそれを手でつかんで口に持っていかないといけない。
それがティーカップなら、指でつまんで飲まないといけなくなりますね。器の形がその人の動きに影響しているわけです。
 確かに、(器が)刺々しいものだと持ち方も変わりますね。
水野 一人ひとりが持っている親への感謝や、恋人への好きという気持ちを、たとえばいきものがかりの曲を聴いた気持ち、その「器」で考えるようになるということは、その人の考え方に知らず知らずのうちに影響を与えることになると思うんです。
それが世の中を変えることにつながると。
これは意外と難しい話じゃなくて、いろんな時代でヒット曲と呼ばれたものって、当時の恋愛観に自然と影響を与えているんですよね。たとえば有名な、DREAMS COME TRUEさんの「未来予想図Ⅱ」での「ブレーキランプ5回点滅/ア・イ・シ・テ・ルのサイン…」の歌詞には、「恋愛ってこういうものなんだな」と感じさせられるものがある。
この曲をメッセージソングだと思う人は少ないかもしれないけど、実際には世の中に大きな変化を与えていると思うんです。
 その話、素晴らしいですね。僕との対談じゃなくてもっと大きなところで発表されると、ものすごい反応があるのでは(笑)。
水野 キングダムもそうじゃないですか?戦争の話ではありますが、そこに存在する人を全部含めて描き切るわけですよね。
 キングダムはものすごく具体的ですけどね。
僕はあえて現代人の感覚で描いているんです。時代劇として描くと読んでいて距離感が生まれてしまうので、それを避けたくて。
「キングダム」の第1巻(©原泰久/集英社)
水野 阿久悠さんが歌詞を書いた「また逢う日まで」(※)という歌があって…。
当時の恋愛の歌はどちらかに未練があって、多くは女性が置いていかれて男性が出て行く、女性はいつも我慢している、というものが多かったのに、阿久悠さんは「また逢う日まで」で、対等な2人を描いたんですよ。「ふたりでドアをしめて/ふたりで名前消して」って。
その当時では画期的な恋愛観だったんですね。
でも本当は、表に出ないだけで、その時代にも対等な恋愛はあったと思うんです。
それを歌にすることによって、そういう恋愛像を多くの人が認識するようになって、男女の関係性を変えていった。そこにとても憧れます。
キングダムにも共通するものを感じます。大変な生みの苦しみがあることは百も承知なんですが、その影響力は羨ましくさえありますね。
※「また逢う日まで」…1969年にCM用に作られた音楽で、何度か歌詞を変えてリリース。最終的に阿久悠が書き直した歌詞で1971年3月、歌手・尾崎紀世彦の2枚目シングルとして発売。のち、累計100万枚を超える大ヒットとなる。
(構成:仰倉あかり、写真:横山隆俊(EGG STUDIO)、デザイン:中川亜弥)