パナソニックの焦燥。日本を見てたら「100年企業」は滅びる

2017/7/17

「最貧困の都市」が激変

「100年企業という存在は、“化石”になってしまうかもしれない」
2017年7月上旬、パナソニックの津賀一宏社長は、これまで一度も訪ねたことがなかった中国の内陸部を巡っていた。
足を踏み入れた都市のひとつが、貴陽市(貴州省)だ。
ここはアップルが中国で初となる巨大データセンターを建設することで、高い注目を集めている「ビッグデータ都市」だ。中国全土のiPhoneユーザーのデータが、まるごと吸い上げられ、さまざまなサービスに応用される。
その他、クアルコムやマイクロソフト、鴻海精密工業といった世界的企業がこぞって進出し、地元政府は行政サービスをまるごとクラウド化しようと躍起だ。長らく、中国で最も貧しいと言われてきたこの地域が、データセンターの集積地に化けつつある。
その中心部にあるビッグデータの研究施設を、津賀は訪ねていた。
巨大なデータセンターの建設ラッシュが続く貴陽市(写真:Lintao Zhang via GettyImages)
「もはやスマートフォンとクラウド無しでは、中国では日常生活すら送れないな」
次に飛んだのは、重慶市だ。
ここで中国最大級のバイクメーカーを作り上げた創業者を訪問。バッテリーで走る電動バイクの工場も視察している。
こと交通分野でも、中国では劇的な変化が起きている。スマホひとつで呼べる配車サービスは当たり前で、今は街中のどこで拾っても、どこで乗り捨ててもかまわない、電動自転車のシェアサービスが公共交通のあり方を変えつつある。
目まぐるしい変化にどっぷり身を浸さなくては、いくら100年企業として尊敬を集めても、シーラカンスのような存在になりかねない。そんな危機感が募ってくる。
「日本は“いい国”ですよ。あまりにも変化が遅い。だからこそ企業を殺してしまう」
そこには来年に創業100周年を迎える大企業トップの、リラックスした表情はなかった。
パナソニックの津賀社長は、今年に入って何度か中国を訪れている(写真:Bloomberg via Getty Images)

次の100年に「保証はない」

1918年の大阪。小学校を中退して、わずか9歳という年齢で丁稚奉公に出ていた松下幸之助は、22歳の時に妻・むめのと義弟の3人で、4畳半の作業場でパナソニック(旧・松下電器産業)を創業した。
最初の製品は、電球用のソケット。今風の言葉でいえば、大手電力会社を辞めて起業した、ハードウェア系のスタートアップだ。そして、創業者は時代の先を読む目をもっていた。
これからは電気の時代になる──。
ソケットからランプ、乾電池、そしてテレビやVHSビデオまで。「経営の神様」と呼ばれるようになる幸之助の会社は、優れた品質の家電製品を生み出しては、日本人の生活を豊かにしていった。
多くの人々が安価で良質なものを享受できるよう説いた「水道哲学」の思想や、企業の使命として「社会の公器たれ」という創業者の言葉は、今でも受け継がれている。
それはパナソニックが売上高7兆3437億円(2017年3月期)、従業員数約25万人を抱える大企業になっても変わってはいない。
パナソニックは今も大阪の門真市に本社を構える(写真:bloomberg via GettyImages)
一方で、創業100年を迎えることは、次の100年を生き残れることを意味しない。
同じ関西企業のシャープは、ちょうど創業100周年にあたる2012年に経営危機に陥った。自力では立ち直れず、台湾の鴻海精密工業グループに買収された。
海の向こうでは、伝統ある自動車メーカーのゼネラル・モーターズ(GM)も創業100周年直後の2009年、経営不振によって破産を申請。国有化されている。
そしてパナソニックも花形だったテレビなど家電事業の不振で、2011〜2012年度に累計1兆円以上の赤字に陥り、旧来の「家電メーカー」では立ち行かないところまで追い込まれた。
「パナソニックは体力があったから、あの時は潰れなかった。それでも新しい成長がなければ、10年後には現在の5分の1ほどのサイズに縮小しているかもしれません」(津賀社長)
だからこそ、これまでにはない変化と、大きく3つの「破壊(ブレイクスルー)」に生き残りをかけて挑んでいる。

25万人企業が挑む「3つの破壊」

1つ目は、優れた外部人材の登用だ。
今年2月、パナソニックが発表したサプライズ人事が話題になった。パナソニックを飛び出して、外資系企業で活躍してきた日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏が、代表取締役として25年ぶりに「出戻り」をしたからだ。
「私がやったことは、裏切りの二乗」
樋口氏をよく知る人物によれば、本人はかつてパナソニック社員としてハーバード大学のMBA(経営学修士)まで取得しながら、半年後に退社した経緯をそう表現していたという。
NewsPicks編集部は今回、メディアとして初めて樋口氏への単独インタビューを実現。どのような思いでパナソニックに再入社し、かつての名門事業部をこれからどう立て直すかを聞いた。
同じくパナソニックで社外取締役を務める経営共創基盤の冨山和彦CEOや、SAP日本法人でCIO(チーフ・イノベーション・オフィサー)として活躍し、パナソニックに移籍した馬場渉氏に未来像を語ってもらう。
2つ目は、EV(電気自動車)や自動運転によって大きな変化を遂げようとしている、自動車産業への参入だ。
その象徴となるのが、イーロン・マスク率いる米テスラとの提携だ。今秋出荷されるEVの「モデル3」は、受注だけで30万台を超えており、いまや自動車業界の台風の目となっている。
パナソニックは、このテスラ向けの車載用リチウムイオン電池を一社独占で供給。テスラの巨大電池工場「ギガファクトリー」(米ネバダ州)の生産ラインに、2000億円近いお金を投資し、運命共同体になっている。
「パナソニックは、もはや自動車関連企業になりたいとすら思っている」(証券アナリスト)
家電メーカーの遺伝子をもつパナソニックが、どれだけ別の産業にビジネスを広げていくことができるのか。その実情をお伝えする。
3つ目は、大企業が宿命的に陥ってしまう「イノベーションのジレンマ」を打ち破る、数々の仕掛けだ。
2017年3月、パナソニックは米テキサス州で開かれたテクノロジーの祭典「サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)」に初めて出展した。そこで大好評を得たのは、過去に社内会議で「ボツ」にされた企画を含む、斬新なハードウェアたちだ。
嚥下(えんげ)障害の人のため、見た目の美しさや味はそのままに、料理を軟らかくする調理機器。まるで家具のように美しい、ディスプレイ製品。わずかな隙間に設置できる、クローゼット型のミニ洗濯機など。
「これまで大手家電メーカーの会議では、市場規模はあるのか、技術的な強みはあるのか、といった議論で新しい企画をボツにしてきました。そうした製品が反響を呼んでいます」(パナソニック社員)
1兆円単位の売上高をもつ社内カンパニーを4つ抱え、グローバルで25万人の社員が働く企業は、どうイノベーションを取り戻そうとしているのか。その舞台裏やキーパーソンたちの素顔を描く。
果たして、パナソニックが次の100年を生き残るための道は、どこにあるのだろうか。もし「経営の神様」が生きていたとしても、きっと大いに頭を悩ませる、難問であるに違いない。
(取材構成:後藤直義、デザイン:中川亜弥)