【第7回】復興に必要な人材を求めて

2017/7/16
地域再生には、「よそ者、若者、ばか者」が必要とよく言われるがそれは本当なのだろうか。修羅場のリーダーシップとはどのようなものなのだろうか。35歳で縁もゆかりもない陸前高田市の副市長を務め、現在、立命館大学公共政策大学院で教鞭をとる久保田崇教授が、陸前高田でのリアルな体験を振り返りながら、「よそ者のリーダーシップ」の神髄について考える。
この連載も終盤に差し掛かってきました。広範な分野にわたる復興事業を速やかに進めるには、ヒト・モノ・カネの経営資源が必要ですが、今回は「ヒト」を取り上げたいと思います。

全国各地から派遣応援職員が集う

主力となるはずの市役所職員295名のうち68名(23%)を津波で失った(臨時・嘱託職員を含めれば、443名のうち111名を失った)陸前高田市役所にとって、喫緊の課題はマンパワーを確保することでした。
この点、頼りになったのは他の(被災地域外からの)地方自治体からの応援職員です。岩手県庁及び県内内陸部の市町村はもちろん、県外の自治体から、毎年100名規模の派遣職員に来てもらっています。
とりわけ、名古屋市はいち早く沿岸被災地に調査チームを派遣した上で、被災が大きく行政機能の喪失も著しかった陸前高田市に「行政丸ごと支援」すると決め、初年度の2011年度に32名、2017年度も11名と、集中的に人員を送ってくれました。
名古屋市の河村たかし市長と会談する戸羽太市長。2011年陸前高田市役所にて撮影。
このような「行政丸ごと支援」は、複数の被災自治体に少しずつ人員を派遣する方式に比べると、派遣職員にとっては派遣先でも同僚がいて心強い上に、年度の切り替えで職員が交代する際の引き継ぎもスムーズに行えるというメリットがあります。
様々な事情があって「行政丸ごと支援」のような形は一般的とは言えませんが、岩手県など被災県や総務省・全国知事会・全国市長会・全国町村会が派遣元と派遣先のマッチングを行い、必要人数の充足に努力しています。
青年市長会は、陸前高田市役所敷地内に「復幸応援センター」を設置して地域のお困りごとを独自支援した。写真は左から井原巧四国中央市長(当時)、戸羽太市長、中山泰京丹後市長(当時)、小林松阪市副市長(初代センター長)。2011年8月の復幸応援センター開所式にて。
私自身も(唯一の)国からの派遣職員のようなものだったわけですが、派遣職員と異なるのは、市長の代わりに全国の自治体に職員派遣をお願いして回るのも役割の一つだったことです。
例えば私が現在居住する京都市も3名の職員を陸前高田市に派遣していますが、副市長時代には京都市役所に赴き、「今年度派遣いただいた職員には非常によくやっていただいている。可能ならば、ぜひ引き続き来年度もお願いしたい」とお願いしていたのです。
派遣職員の「給与」は被災自治体が負担し、後で総務省の地方交付税措置により補填されますので、派遣元の金銭的負担はなく、かつ被災地での経験は貴重な研修機会ともなります。
しかし、どの自治体も人員削減を10年20年と続けてきていますので、余剰人員は抱えておらず、震災の風化が進むにつれて派遣が少なくなってきているのが実態です。

庁内で最も気を使った相手とは

市役所の職員体制は震災後に中途・新規採用で確保した職員数十名を合わせてプロパー職員が250名前後、それに派遣職員が(年度によって変動しますが)大体100名ほど、合わせて350名ほどで日々の業務を行っていたわけですが、幾つか気をつけていたことがあります。
私が最も気を使った相手は、自分の直接の部下となる25名程度の部長・課長さんたちです。彼らは(岩手県からの出向者を除き)全員が男性・プロパー・50歳以上です。(当時。最近は、40代の課長も登場したようですが)
部長ともなれば大体55歳以上であり、35歳で副市長になった私には一回りも二回りも年上の経験豊富な職員です。まずはこの方々からできるだけ丁寧に話を聞きました。
なぜなら、彼らの立場に立ってみれば、「あの日」も経験しておらず、被災もしていない、よそ者で地元のこともわからない人間(しかも随分と年下の若造)が、偉そうにあれこれ指示を出したところで、素直に聞く気にはなれないだろうと考えたからです。
現実に部課長クラスは、「副市長を代えてくれ」くらいのことはいつでも市長に言える立場です。
だからこそ、市役所という組織における本当の意味での私の「味方」は、自ら武雄市の樋渡前市長や内閣府に働きかけて任命した戸羽太市長以外にはいませんでした。
その意味でも、戸羽市長とのコミュニケーションも密に行いました。市長日程のちょっとした空き時間を見つけて市長室に入り、雑談を交えて様々な案件の相談をしていました。
戸羽市長と打ち合わせを行う筆者(左)。2011年陸前高田市役所(市長室)にて撮影。
これは、自分の判断がまずい結果を引き起こさないようにとのリスクヘッジの意味合いもありましたが、市長とのコミュニケーションを重ねていくと、現地の人間関係や市長のビジョンを深く理解するのに大いに役立ちましたし、冗談好きな戸羽市長との会話はとても楽しいものだったのです。

アメリカ人海外広報ディレクターの誕生

市長と意見が一致したことは、被災地からの情報発信が死活的に重要だということでした。そこで、海外への情報発信を進めるため、アメリカ人のアミア・ミラーさんに2012年11月に陸前高田市海外広報ディレクターを委嘱することになりました。
高校卒業まで日本で過ごした彼女は大学からアメリカに移って25年が経ちましたが、ボストンで東日本大震災の発生を知り「何かしたい」「何か私にできることがあるだろう」と考え、ご主人にも背中を押されて故郷の日本に戻る決心を固めます。
通訳として同行した非営利団体のご縁で陸前高田市に初めて入り、以降は戸羽市長のフェイスブックの文章の翻訳や海外メディアへの発信に精力的に取り組みました。
ジョン・ルース大使(2009-2013)夫妻とアミア・ミラーさん(中央)。2015年3月、戸羽市長の代理で講演を行った際にワシントンDCにて撮影。
業務の傍ら、地元の保育園を回り、子供に喜びを与える様に遊びを通して外国人と外国語に慣れてもらうイベントも行うアミアさんは非常にエネルギッシュです。
今は、大好きなアメリカのパイを作って売る事業をしながらも陸前高田に毎月足を運び続けています。
陸前高田市内の保育所でのアミア・ミラーさん
海外メディアからするとFukushima以外の情報が少ない中、岩手発の情報は貴重だったと思います。

若手職員のアイデアを引き出す

もう一つ、戸羽市長と話す中でも課題意識を持っていたのは、「若手職員がおとなしい」ことでした。仕事は真面目にこなす一方で、なかなか積極的な提案やアイデアをあげてきません。
一方で、「自分の街のことなんだから、たくさん言いたいことがあるだろう」「副市長や派遣職員などの『よそ者』に負けてたまるか」という気持ちがあるだろうと考えていました。
そこで、戸羽市長が目指す「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」に向けたアクションプラン作りを、部署横断的な若手職員に任せてみることにしました。
打ち合わせを行う陸前高田市の若手職員。2012年11月陸前高田市役所にて撮影。
NHKが被災三県(岩手、宮城、福島)沿岸部の27市町村から聞き取り調査を行ったところによると、東日本大震災における障がい者(障害者手帳所持者)の死亡率は、住民全体の死亡率の約2倍だったと報告されています。
国連防災世界会議関連事業「高齢者・障がい者と防災シンポジウム 復興の力:ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくりに向けて」にて若手職員がプランを発表。2015年3月陸前高田市コミュニティホールにて撮影。
このような部署横断的、かつ派遣職員もプロパー職員も一緒になって取り組むのは初めてのことでしょうし、苦労もあったと思いますが、住民への説明会や意見照会等を経て、「はまってけらいん、かだってけらいん運動の推進*」など56のアクションを内容とするプランが完成したことを誇りに思います。
*「はまって=集まって」「かだって=話をして」「けらいん=ください」という意味の方言。気楽に集まって話すことによって、孤立防止や自殺予防をめざし、コミュニティの再生と地域力や住民自治能力の向上を図る。

地元住民が独自の情報網となる

一方で、市役所全体のマネジメントのためには、庁内だけにいてはダメだと感じました。
公務員は住民と個人的な付き合いを持たなくても、やっていける職業です。むしろ、面倒なこと(厄介ごとを頼まれる)に巻き込まれたり、モンスター住民を恐れて付き合いを持たない職員も多いと思います。
しかし、私は被災者を含む住民が、どういう生活をしていて、どういう考えを持っているのか知りたかったため、積極的に知り合いを作ろうとしました。
「りくカフェ」のスタッフに誕生日を祝ってもらう筆者。
こうした住民の方とは仕事上の上下関係もありませんから、仲良くなると、市の施策に対する率直な意見や不満、また復興に対する考えを教えてもらうことができました。
これはまた、独自の情報網を構築することにもつながりました。庁内で様々な議論をする際に、「副市長さんは知らないでしょうけど、こちらではこうなんですよ」と丸め込まれそうな場面でも、「でも、自分の知り合いの市民は、こう言っていたけど」と反論する材料にもなったのです。
「アップルガールズ」(りんご農家を含む住民の皆さん)との別れ。中央が筆者。退任直前、2015年7月に陸前高田市米崎町にて撮影。
今でも、仮設住宅から公営住宅に引っ越したという便りを頂いたりと、近況を聞かせてもらうのが楽しみで、こうした皆さんは私の宝物です。
本稿では、経営資源としての「ヒト」を取り上げてきました。災害の結果とはいえ、小さな自治体で派遣職員や外国人を含めこれだけの多様性を有することは、とても貴重だと思います。
*本連載は毎週日曜日に掲載予定です。
(文中写真:著者提供、バナーデザイン:砂田優花)