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障がい者雇用の継続に悩んだ。家業を継いだ社長の葛藤と覚悟

NewsPicks編集部
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  • ノンフィクション作家、小説家、インタビュアー

    昨日はたくさんのコメント、ありがとうございました。

    「虹色のチョーク」を執筆している最中、私がその視線を重ねたのは、現社長である大山隆久さんでした。広告代理店で働き海外へ留学した隆久さんは、父親である泰弘さんの意に沿って日本理化学工業へ戻った時に、社内会議でこう言うのです。「知的障がい者の雇用を見直し、生産向上のために健常者の社員を増やすべきだ」と。
    創業家の長男として経営に真摯に向き合ったからこその言葉ですが、間も無くその気持ちは反転します。知的障がい者がチョークを作る姿に触れて行く日常の中で、彼は知的障がい者雇用こそ日本理化学工業の使命だ、と心に刻むのです。
    「何か大きな転機があったわけでなく、ある日、朝から懸命に働く彼らの姿を見ていたら、自然に涙が流れていました。そして、父がそうしたように、彼らとともに働いて行く人生を歩もう、と」
    日本理化学工業の素晴らしさは、知的障がい者雇用が、決して会社のスローガンなどではない、ということです。
    大山隆久さんは、社員が作ったチョークやキットパスを消費者に届けるために、営業に、展示会に、今日も飛び回っています。


  • ジェイ・キャピタル・パートナーズ株式会社 Founder and CEO

    私の両親は二人とも重度の身体障害者でした。父は生まれは茨城で、生まれつき右耳が難聴で、母は幼少の頃、戦時中の東京大空襲で左足を失いました。二人は東京大塚の紳士服仕立ての職業訓練校で知り合い、結婚しようと決めましたが、両方の親戚から「社会的弱者同士の二人で何が出来る」と猛反対されます。

    二人は駆け落ち同然で、当時福岡で「一口カツ定食」で成功を収め、呉服町や大名の飲食店で成功していた父方の叔父を頼って福岡に行きます。叔父は二人をかくまい、身元保証人になってくれ、持っていた貸家を無償で貸してくれました。二人はそこで紳士服仕立「テーラー田中」を始めます。
    そこで産まれたのが私でした。

    身体障害者二人の人生が、どれだけ大変だったか想像に難くありません。それでも私を私立の大学まで入れてくれ、父は自宅まで建てた両親に対して、感謝と尊敬の気持ちしかありません。

    人は誰かの優しさに触れることなく、行きていくことは出来ません。大山会長の考え方に朝から目がしらが熱くなりました。この様な企画をありがとうございます。

    引用
    でも、その先生は諦めませんでした。3度目に来られた時、「もう就職させてくれとは言いませんから、働く体験だけでもさせてくれませんか」と前置きし、「もし就職しなければ、この子たちは卒業後、施設に入ることになります。そうなれば、一生“働く”ということを知らずに人生を終えるのです」と言われた。


  • NewsPicks Studios / NewsPicks Team Leader

    日本理化学工業の大山社長と小松成美さんの対談第2回。みなさん、昨日はたくさんのコメントをいただきありがとうございました。

    第2回は、
    ・理化学工業が障がい者雇用をスタートするまで
    ・新卒では広告代理店に入社した大山社長が家業を継いだ時のエピソード
    などに話が及びます。

    特にこの第2回は、仕事で悩んだり迷ったことのあるビジネスパーソンには共感できるポイントが多いのではないかと思います。

    最後の「ありがとう」としっかり伝えるということの大事さについては、対談をモデレートしながらなんだかじーんとしました。


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