【堀江貴文】「仕事」と「遊び」の境界線はもはや消えた

2017/7/6
仕事と遊びの境界が溶けてきている
もう20年以上前の話ですが、パン工場で一晩だけ、商品の仕分けのアルバイトをしたことがあるんです。できあがってきたパンをピッキングして、納品先ごとに振り分けて伝票と一緒にまとめる作業なのですが、これは工場内で数少ない、人間がアサインされている仕事でした。
当時でも自動化することは可能だったはずですが、その設備投資をするよりも、人を雇ったほうが安かったのでしょう。しかし、はっきり言って僕にとっては何の面白さも見いだせない仕事でした。こんなつまらない作業の対価(日当)が1万円とは、なんとも割に合わないと感じ、二度とこの仕事をすることはありませんでした。
21世紀は仕事と遊びの境界が溶けてきている時代だと僕は考えています。
19~20世紀はとにかく産業を効率化しなければいけなかった時代で、自動車産業でも何でも、どんどん機械化が進められていきました。先程のパン工場のように、機械化できない、あるいは機械ではコスパが悪い部分に人間がアサインされ、人は報酬を得る手段としてそれを受託していました。
ところが21世紀になって、IT技術の発達によってその境界が次第にあいまいになってきました。効率的に機械化できる領域が増し、人はある程度、自分が興味を持てる部分を選んで担えるようになったからです。
例えば僕の場合、マンガを読むのが好きだから、『マンガHONZ』や『マンガ新聞』といった事業を立ち上げました。また、最近立ち上げた『マンガトリガー』は、マンガのセレクトショップアプリですから、マンガを読むこと自体も仕事になっています。今の時代、その気になれば何でもマネタイズできるはずなんですよ。
生きるための仕事がなくなった現代
現在は、お金を得る手段が労働に対する対価のみではなくなってきたため、相対的にお金の価値は下がってきています。そのため、日本中でお金が余っている時代とも言えます。おかげで面白いアイデアを持っている人の元に、どんどんお金が集まるようになりました。クラウドファンディングなどはその典型でしょう。
僕がやっているサロンの会員にも、「ニート女子ですが、トライアスロンに初挑戦するので応援してください」と言うだけで、15万円も集めた子がいます。僕に言わせれば、こういった自分がやりたいこと、楽しいと思うことでお金を得ることだって、立派な仕事です。それが実現できる時代なのだから、誰しも楽しい仕事を積極的に取りにいかない手はないですよね。
昔と比べて大きく変わったのは、生きるための仕事がなくなったこと。最近話題になっている『サピエンス全史』に、「人間はかつて穀物の家畜だった」といった記述がありますが、これは言い得て妙だと思います。
狩猟採集生活をしていた頃、人々はきっと楽しんで狩りに取り組んでいたことでしょう。しかし、農耕生活を始めたことで、生きるために嫌でも畑を耕さなければならなくなりました。そのために人は家族という集団で暮らし、一家の住む土地に根を張って生きていくことを強いられ、結果として住む地域や仕事を選ぶ自由を失ってしまいました。
それが産業革命によって機械化が進んでからは、人は必ずしも生きるためにはたらく必要がなくなったはず。しかしそれでも、市場原理のなせる業なのか、安い仕事でも渋々はたらいている人が大勢います。この、「食べていくために」安い仕事で我慢している人の存在が実は大きなネックで、今の待遇ではたらく人がいる以上、労働単価は上がりません。
現在はとにかく、「こうあるべき」という妄想に意味もなく囚われている人が多い世の中です。しかし、決まったオフィスではたらき、毎日決まった家に帰らなければ生きていけない、ということは一切ないはず。僕自身、もう長いことそうした生活とは無縁です。
例えばコンビニやスーパーのレジにしても、不満が出るような安い時給でもその仕事を選ぶ人が大勢いるから、一向に全体的な機械化が進まないわけです。不満のある仕事を選ぶ人がいなければ、その仕事の労働単価は上がり、どこかで人件費が機械化のためのシステム開発コストを超えます。そうなれば、不満を言いながらはたらいていた人たちが別の仕事に就くことができ、本当の意味ではたらいて笑う人はもっと増えるでしょう。
仕事観も家族観も、すべてにおいてもっと合理的に自分を解放することができれば、人はもっと楽しく生きられるはずなのですが。
「他人の時間」ではなく「自分の時間」を生きる
僕はあまり、はたらきながら笑うタイプではありませんが、面白いことをやろうという意識は常に持っています。
そのプロセスにおいて壁に行き当たり、つまらない思いを強いられてイライラすることもありますが、それを解決するところまで含めて、最終的に楽しめればそれでいいと思っています。
大切なのは「他人の時間」を生かされるのではなく、「自分の時間」を生きることの意識化でしょう。営業マンの無駄話に付き合わされている時、人は「他人の時間」を生きていることになります。逆に、大好きな仲間と飲みに行く時は、人は「自分の時間」を生きているのです。
20代のうちから年金の心配をしていたり、老後までの人生のロードマップを語りたがったりする人が非常に多いことに驚かされます。でも、10年後、20年後について、正解など存在するわけがありません。
誰もが永遠の時間を持っているわけではない以上、その使い方をもっと考える必要があるのではないでしょうか。
今この時間をどう使い、何をすれば楽しくはたらくことができるのかを真剣に考えてみることが、はたらいて笑うための第一歩でしょう。
(聞き手:久川桃子 執筆:友清哲 撮影:岡村智明)